3/07/2020
3/06/2020
3/05/2020
2/26/2020
「楽譜のある家」開催延期のこと
こちらの企画は開催延期。
音楽家はこの決断を非常に残念がっていた。
何より心配のない状況の中で実り多き時間が持てたらいいなと思う。
*
3月14日に音楽家の阿部海太郎さんと「楽譜」についてのトークをさせていただく。
海太郎さんの待望の楽譜集の刊行を記念したものだ。
会場は東京の西麻布にある旧カニングハム邸。
楽譜集をデザインされた葛西薫さん×海太郎さんの対談も3月7日にある。
お申し込みなど詳しくはこちらの音楽家のサイトを。●
2/25/2020
「だまされ屋さん」
読売新聞に連載中の星野智幸さんによる小説「だまされ屋さん」。
新聞の小さな枠のカットを楽しく描き続けている。
星野さんの他の何編かの小説を読ませていただいた。
作中の登場人物が語る場面がどれも印象的。星野さんの、語ることへのこだわりが感じられた。
もしかしたら星野さんのルーツの一つである南米的な価値観に秘密があるのかもしれない。
この「だまされ屋さん」は本当に、語り語りで物語が進んでいく。
語ること、そして耳を傾けることで現実が変わっていく。
このところ物語が大きく動いて読者としても目が離せない。
2/15/2020
15.feb
「MONKEY vol. 20」
柴田元幸さんの編まれている「MONKEY」20号に絵が掲載された。
switchの新井敏記さんの筆による、不思議に引き込まれ、少しひりひりする小説のための絵。
2/07/2020
「びろう葉帽子の下で」
刊行されたばかりの山尾三省の詩集「びろう葉帽子の下で」の新版。
絵を描かせていただいた。
三省の屋久島移住後の10年間に書かれた美しい詩が収められている。
表紙は油彩(屋久島で出会ったハマビワ)、本文は切り絵。
カバーに切り絵があしらわれているので、二つの手法の絵がここに出会っている。
また栞に三省の詩について短文を書かせていただいた。あまりに恐れ多い。
とても良い本。関わることができて光栄だった。
とても良い本。関わることができて光栄だった。
また、11日からは本書の刊行を記念し東京のTitleで展覧会が行われる。
全著作や写真、直筆原稿が並ぶ貴重な展示になりそう。
私も本書に使用された表紙や切り絵、屋久島を思い出して描いた新しい絵を展示予定。
こちら ●
山尾三省「びろう葉帽子の下で」
刊:野草社
序文:今福龍太
デザイン:文京図案室・三木俊一
編集:アサノタカオ
376ページ
刊:野草社
序文:今福龍太
デザイン:文京図案室・三木俊一
編集:アサノタカオ
376ページ
2/02/2020
1/29/2020
「緑と黒の置かれた絵」
1/04/2020
4. Jan
殊に冬季は油絵具の乾燥が遅く、気分任せに絵を触っているうちに3色くらいの絵具が混じり合って似たような色になる。
要素の形だけが描かれ、モノトーンの写真に近い状態の、ここまでの作業結果が画面的にも発想的にも絵の土台のようなものなので、そこからいったん離れる。
だから仕事場には乾燥を待つ途中の絵がたくさんある。
このような小休止を経由するというのが油彩の良いところではないだろうか。
その時間にこのまま思っていた方法で進めて良いのかどうかを考える。
そして、時間が経てば重ね塗りができる状態になるのだが、そのときはもう下地を作っていた頃の気分ではない。
よってその絵を進めるとすれば、別のコンテキストの形や色が割り込んでくる。
そのことによって絵の中に違和感が生まれるということは嬉しいことだ。もちろん新たなる不安でもある。
要素の形だけが描かれ、モノトーンの写真に近い状態の、ここまでの作業結果が画面的にも発想的にも絵の土台のようなものなので、そこからいったん離れる。
だから仕事場には乾燥を待つ途中の絵がたくさんある。
このような小休止を経由するというのが油彩の良いところではないだろうか。
その時間にこのまま思っていた方法で進めて良いのかどうかを考える。
そして、時間が経てば重ね塗りができる状態になるのだが、そのときはもう下地を作っていた頃の気分ではない。
よってその絵を進めるとすれば、別のコンテキストの形や色が割り込んでくる。
そのことによって絵の中に違和感が生まれるということは嬉しいことだ。もちろん新たなる不安でもある。
ウインドアイという小説に描かれていた別次元への窓のようなものが絵に開くわけである。
しばらくの間その違和感を眺めると、より高みにある調和を目指すことになる。
一つずつ階段を登っていくような作業。
登るだけでなく降りることもある。
油彩は塗り重ねるものなのでundoができる。(しかし浅はかなストロークをふるった記憶を表す埋没したマチエールまではundoできないのだが)
絵の完成は何処なのかを探るが、真剣に考えているわけではなく身体任せなところがある。
完成とは階段の頂上まで昇ることではなく、途中の踊り場でやめるという状態のことが多い。
良い眺めとは必ずしも「頂上にて」とは限らないからである。
年から年中それをやっている。今年もきっと。
しばらくの間その違和感を眺めると、より高みにある調和を目指すことになる。
一つずつ階段を登っていくような作業。
登るだけでなく降りることもある。
油彩は塗り重ねるものなのでundoができる。(しかし浅はかなストロークをふるった記憶を表す埋没したマチエールまではundoできないのだが)
絵の完成は何処なのかを探るが、真剣に考えているわけではなく身体任せなところがある。
完成とは階段の頂上まで昇ることではなく、途中の踊り場でやめるという状態のことが多い。
良い眺めとは必ずしも「頂上にて」とは限らないからである。
年から年中それをやっている。今年もきっと。
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