先日、鹿児島に行った時のこと、投宿した部屋で何気なくテレビをつけたらローカルニュースをやっていて、ちょうどその日にあった川内原発の事故を想定しての避難訓練の様子が放映されていた。
原発事故を知らせるサイレンが鳴って、車に駆け込む。
畑のあぜ道を逃げる。
財産などを積む暇はもちろんない。
赤ん坊を車のチャイルドシートに載せながら四苦八苦している人もいた。
でも彼女たちは笑っている。
これは訓練にすぎないし、本当に過酷事故が起こるとは思っていないみたいだ。
それでも「今の時代こういう避難訓練も必要だよな…」と頭ではそう思いつつ映像を見ていたのだけど、だんだんわたしの中では違和感がひろがって来た。
何故って、原発事故が起こったら「すべて」失うというのに、避難訓練だと。
おかしくないか?
家も畑も健康もすべて失う。
未来も失う。
人間関係もばらばらに壊れる。
2014年の今となってはそんなのは当然「拒否」じゃないのか。
(そういえば島根でもやっていたなあ、避難訓練…)
避難訓練をするということは原発の再稼働を認めるということだと思う。
それどころか事故が起こっても九州のみならず日本が終わってしまっても「しょうがない」と言うに等しいことだと思う。
地元川内の人たちの善良そうな顔にほっとするどころかそれがかえって不気味に思えてきて、(川内の一部の人だけだよね?)悲しくなってテレビを消した。
危機感。