マスクを着けるとわたしは注意散漫になるようで、十字路で二度ほど車にはねられそうになってしまった。
それにマスクをしたまま料理や工作をしていて刃物で手を切りそうになったこともまた一度や二度ではない。
マスク着用という口鼻塞ぎが五感の他の部分に制限的な影響を与えるのは興味深い。
しかしわたしにとってはそういう微細なことであれど感覚の制限は一大事なのである。
浮かぶアイデアも捕まえられなくなるのである。
なので、マスクをつけない暮らし。
その方向で生きていく可能性という選択肢を採ることを視野に据えることもやぶさかではないのではないかと考えている。
まあシンプルに言えば、自分の吐く二酸化炭素をあまり吸いたくないだけかもしれない。だけど、それによって感覚の疎外が起こるのはやはり大いに予想できることである。社会は個人に生命にとっての呼吸という権利の重大問題をコンプライアンスとして押し付けてしまって良いのだろうか。そのような疑問が街を行き交う人びとを見ながらふつふつと浮かんでくる。
繰り返すがマスクは五感に制限を与えると思う。さらに言えばそれは直感、霊感にも影響を与える。宇宙の神秘、聖なる呼吸の流れをマスクというものが堰き止めるからだ。知らんけど。
わたしは才能の枯渇をマスクのせいにしたくない。アイデアというのは散歩したり買い物したり部屋の外を歩いているときに降りてくるものなんである。
とはいえ、このご時世でこのような態度でいるのはひとさまの視線が痛いものである。
このままでは都市で生きにくくなりそうだ。
それも時代の変化で良い機会かもしれず、仕事場を少し都市部から離れたところに引っ越してみようかしら…と夢想している。