9/30/2017

9/28/2017

sep 28



やぶって塗って。
昨日には存在しなかった人たち。
微笑むようにとまったく意識しないで描くのに微笑んでいるのはどうしてだろう。
顏を入れる時のかすかな気持ちのゆれの作用だろうか。

L'autre jour, j'ai fait quelques poupées de papier.
j'ai déchiré le papier et l'ai peint.

ils sourirent et dansent.

9/21/2017

水彩画のワイン



「翼の王国」のカリフォルニア・ワインの連載記事のイラストレーションは珍しく水彩画。飛行機はオフラインだから「翼の王国」の記事はゆっくり読んでもらえるのだろう。記事そのものも面白いのは当然として。
会う人から飛行機で「絵をみたよ」とよく言われる。
オフラインであることのありがたみを考える。
それがこんなにも価値になるとは。
その見えにくい価値ある時間はさみしさや自身の弱さに勝たなければ手に入らない。











9/19/2017

「その絵をください」

ライブで、ワークショップの後での場面で僕が描いた絵をくださいと言われることがある。今回もそういうことがあって。
通常ならお断りすることが多い。

けれど僕はたいていそういう場では役目が終わって肩の荷がおりてホッとしてるのかヘラヘラしている。おまけにライブペイントは楽しかったしワークショップもまた充実していたりして、ほっとする時間。
一番油断してる時で、そのタイミングで「絵をください」。

そう言われたとき、本当にその人を感心してしまう。そして困ってしまう。
僕は少し困ったそぶりをする。

相手は(たいてい女性)は多分、僕の困惑を察する。

でもわざとそれに気づかないふりをしたりして。
さあ 画家さん、絵をくれるのくれないの という感じで。

女の人って恐ろしい。

間に耐えられなくなって、結局仕方なく絵を差し出した。
気が弱いのである。

僕はもう敗北していた。


でも、最後の抵抗でサインはしなかった。



僕はそんなことがあった旅の帰り道でいつも後悔する。
絵をただであげたりもらったりすることには良いことがひとつもないからね。

そいで、そのときの話。
それを見たもう一人の人に絵をねだられたが(そりゃそうだよな)お断りした。



でも彼女の方がある意味幸運である。


なぜ彼女の方が幸運なのかは書くのはとても野暮だから書かない。


そんな事を書くといままで僕に絵をねだってタダで絵をもらった人は気を悪くされるかもしれない。

今までのことは気にしないでほしい。その絵はもしよかったら飾ってほしい。
でもこれからはそういうのは無しにさせてもらおうかと思う。

ついでにいうと、絵本にサインをするときに絵を添えて描くのもあんまり好きじゃない。
あれこそは絵の安売りだと思う。

あの風習、誰が始めたのかな。
さっさっと絵を描くのが上手い手塚先生かな。
色紙にことばを一筆して絵も描いてみせた昔のひとかしら。

まあいいや。


絵をただでさしあげてしまったこと。

このことにくよくよすることによって、絵の仕事という幻想にしがみつく自分の滑稽さも同時に目の当たりにするのである。

なんともあちらこちらと情けない。



これからは、無しだぞ。



9/15/2017

sep 15

福岡。明日は線をひくワークショップ。

9/02/2017

this summer



kumamoto


tokyo



hiroshima


kobe 
kyoto




fukuoka



乗り物に乗れてさえいれば映画館は必要なかった。

あちらこちらと移動に明けくれて それに負けじと制作も。

自分が二人いるようなおかしな気分だった。
ちょっと日焼けしてしまった。
みなさんも良い秋の始まりを。