
描きかけの絵。
カスパールで
おそるおそるドアを開けて、入ってくるひとが、だんだんその場に馴染んでいくのをながめるのは楽しい。
初対面のひと、偶然居合わせた友人と話すひと。
真剣に絵を見るひと(絵をいろんな壁に掛け替える)。
ご近所話をするひと。お茶を飲み飲み遠くを見つめるひと。本を開くひと。
連れられてきたちいさな子が実にくりくりしていて、自分で食べようと思った板チョコをあげた。自分が食べるのもいいけどその子が食べるのがもっといいなあと思ったからだ。
尊敬する画家や写真家がいっぺんに来て戸惑った。
お店の外からみたらなにも見えないけど、その内側では劇場のように、目に見えない素敵なことがいろいろあって力をもらえた嬉しい二日間だった。
抽象表現
たくさんの空想上の風景を描きながらも関心は印象の新鮮味だった。
それならもっと印象と直結した抽象というものに素直に向かってもいいのではないか、という気持ちが芽生えてきた。
なぜなら今日の気分、朝の気分、水の味、聴こえる音、というのは、具体的なかたちのあるモノの映像が始めから心に起こるのではなくて、そこに視えるものはまず、仄かな色面であったり、ゆらぎのあるパターンであったりするからだ。
またそれ以上に大切なのは、絵はそれ自体がそのような印象を作り出せるということだ。
絵が、みるひとにどこにもない、そのひとだけの新しい印象を想起させるように作用する。
その効力(と罪深さ)を思うとき、抽象といわれる表現ならではの表現をつくることができるかも、という手応えをつかめるような気がする。
-nakaban expo-
Dissonance is unknown harmony
2020.10.17(sat) - 11.1(sun)
closed on Thu. Fri.
open:11:00-17:00