ここ広島の電車ではマスクを着用しましょう、というのは車掌さんのアナウンスではなく「録音」になった。他の町ではどうだろう。
つまりこれ、マスク着用は恒久化され、日本人の性格的にこれからずっとマスクをすることになるのだろう。
本当にそれでいいのだろうか?
脳細胞が壊れても。この社会で育つ子どもたちの表情が無くなってしまっても?
わたしは電車の中でもマスクをしないことがある。
というか、まあ申し訳ないけどほとんどしていない。こういうことには全く意味がないからだ。
先日知らないひとに話しかけられた。
「みんなの迷惑になるからマスクしてほしいなあ」
「でもマスクは全くこういったことには意味がないし、酸素不足で免疫が落ちるし脳細胞とかも壊れるんですよ」
へっ!と言われて会話は終わりだった。
あまりに課せられたものが釣り合いが取れないと思った場合、社会のルールを無視するということも必要ではないか。
そのみんなの迷惑というのは、いったいそもそも何だろうか。
何がそれを醸成させたのか?
感染の機序がなんとなくみんなの頭の中にイメージされているけど、もしそれが嘘だったら?テレビや新聞、ネット、専門家が言っていることをそのまま信じるべきなのか?
過去にはえらい人から言われたことをそのまま信じた結果、庶民が進んで戦争や不幸に加担してしまった、という歴史のパターンが山盛りあるではないか。
感染がそんなに怖いなら、この問題でパスツールとべシャンまで遡ることは基本であり、中世の黒死病や古代ギリシャのミアスマ(瘴気)という概念まで、感染症の恐怖を偽って、全ては民を分断させるための政治的なまやかしだった(要するに今と同じ)という事実を知らなければいけない。
ただ…それらのことはそうとう、オタクのように調べなければわからないようになっている。日本語の書籍は、ない。
150年前から医学は産業の支配力が濃くなっているので、むしろ身体に悪いことばかりしているではないか。
余程の良医でない限り、お医者さんは社会にばら撒かれた毒、つまり食品の添加物や日用品に使われる有害物質といった病気の原因に注意を促すことはない。
その一例がマスクで、何気なく口に密着させてるだけで、化繊のちりや消毒剤の毒を毎日吸っているということをどれだけの人が知っているのだろうか?
大人はいいけどそれを子どもたちにも強制させているなんて。
そろそろ、いい加減にいろいろとお調べください。