デッサンは本人にとっては実験に満ちた世界だ。
実験の結果は描き終わった瞬間にカルトンに片付けられるものになる。
あるいはまれに「商品」となる。そのことを書く。
ピカソはデッサンがぞんざいに扱われると激怒したという。
乱暴な指により紙に折り目がついて、余分な視覚情報が付加されるためである。
つまりひとつには、こうだ。
離れた所からみるとデッサンは風通しの化身である。
紙は紙でなくなり、線は線でなくなる。そうなったときに風が通る。
君の部屋に、脳にだ。
その絵が飾られると君の部屋に白い穴が開いてもっとひろくなるような。
僕もそういうのが描けるようになりたいものだ。
(かように判りやすい線画でなく絵の具で描いた絵とかはどうだろうか、そのことはまた考えてみたい。)
僕は最近流行のシンプルライフ、とかミニマリズムとか、サードウェーブ男子 笑とか、ばかにしていない。
その気持ちがよくわかる。
きもちをどうでもいいことに向けたくない。
それもエゴだと思う。それでも詩に近づくのならいいことだ。
朝の金のひかりや夜の青い沈み。
そういう無形のものに感謝を捧げる。
ただ、そういう気分になるということは、モノを作って売るということが「業」になってくるってことなのだろうか。
これはおもしろい現象だ。
(しかしモノにも光は当たり、夜は訪れるのだが)
ただ、じゃまモノがなにも無いそういう「くらし」に憧れながらも僕は自分の部屋には李禹煥やマチスのデッサンとか、ニコルソンのモノクロームの絵くらいは飾ってみたいたいものだと思っている。
僭越ながら自分の引いたへなへな線のデッサンでもいいとおもっているのだよ。
でも自分のはちょっと違うかしらん。
ま、このモノのあふれた時代「商品」としては風通しを重視するのもいいのではないか。
だが、しかしである。
そういうのとやっぱり違う地点にあるものが絵画なのである。
だからあえてデッサンを人前にだしてみたいなと思ったのだ。
絵画はやっぱり「くらし」とは関係ない。
nakaban
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nakaban 個展「dessin」
2016年 3月24日(木)~4月11日(月)火曜休み open:12時~20時
〒167-0042
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TEL:03-5382-0599
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