雨の季節。
これは「Tiny Courtyard」という題で販売されていた第一作目の模様をリミックスしたかのような色変りバージョン。日傘と書いたが雨傘としても使用できる。
ブルガリアの弦楽器Tambouraの古楽器バージョン(マニアックすぎる)の図柄が見えるが、イチジクの葉っぱや抽象的なパターンなどさまざまな版画を一面ずつあしらっているリッチなモノクローム傘。こちらも同様に雨傘として使用できる。
旅先での早朝を表現した。
東京の西荻窪のURESICAで現在開催中の展覧会、植田真 × nakaban の “parallel stamps” の作品群がURESICAの Web shopに掲載される。
購入もいただけるが、丁寧に撮影された作品画像が並んでいるので、ご多忙な方や遠方で来られない方、わたしたちの作品を展覧会気分でご覧いただけたら嬉しい。
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本日も本の轍へ。
移転オープンされたばかり。とても賑わっている。お店のロゴマークは福田さん。
外壁の看板にはVan Morrisonの No Guru, No Method, No Teacher.という言葉。
松山。早起きして船に乗ってやって来た。
観光港からてくてく歩いて伊予鉄に乗る。
素晴らしい電車からの眺め、ミカンばたけ、カラスノエンドウやケシの花。
潮風にさらされた板を纏った家屋。いいところ。
光の質感の違いがより「南」を感じさせる。
というわけで、今日から二日間「本の轍」に居ます。ぜひどうぞ。
春になってツバメが戻ってくるころ、ミツバチの巣箱が騒がしくなったら分蜂の兆候。
巣箱の表面がミツバチだらけの真っ黒になる。
ミツバチを見慣れていない人が見たらびっくりしそうだ。
この時、ミツバチは巣分かれの見送り集団と出発集団に分かれるようだ。
出発集団は巣箱の近くの木や軒下に塊を作り、しばらくそこでモゾモゾして、そこから新天地へと飛んでいく。
これを見送るのもいいが、養蜂をする人たちはその塊を丸ごと捕まえて、巣箱を増やしていくわけである。
梯子をセットして、群れたミツバチの近くで待機する。
枝にとまった蜂の集団がスイカのように丸くなって、枝から垂れ下がってくる。
そして機を見て虫取り網でその塊を掬い取る。
この塊の状態は、一見恐ろしいのだが、実際はミツバチたちはおとなしい状態なのだ。
だが、その塊を網に掬い取ればミツバチはさすがに驚いて、大騒ぎになる。
すかさず網の口をダンボールでおさえ、雑に蓋をする。
ぽろぽろと隙間から蜂が逃げていくが、そのまま網を新しい巣箱の場所に運び、
巣箱の脚の部分、(説明が難しいが、木や鉄でできた天板のないテーブルにようなもの)に網を載せる。そのときまだダンボールは被せたままだ。
ミツバチでいっぱいの網の上に巣箱の最上段を被せる。
日本ミツバチの巣箱はただの空洞の枠を重ねているものなのだが、この巣箱のトップだけにはスノコ構造の空間が開いた蓋があり、そこが新しい蜂の巣の起点になる。
蓋をしていたダンボールをゆっくりスライドさせて抜き取る。
すると、ミツバチたちは網の部分から被せた巣箱へと昇っていく。
ミツバチは暗いところに集まる習性があるのだ。
この集団の中に女王蜂がいないと失敗だ。(実はわたしは先日失敗している)
しばらく待って空っぽになった網をそっと取り外し、代わりに巣箱の出入り口部分のパーツを台に乗せ、その上に蜂でいっぱいの巣箱のトップを載せる。
さっそく出入り口付近にミツバチが出てくる。
そのミツバチが、出入り口で羽根をバタバタさせている。
女王蜂のフェロモンを周辺に撒き散らして、外を飛んでいる後発の仲間を呼んでいるのである。
すなわち、女王蜂がこの巣箱に収まっているということを表わす。
ミツバチは新しい巣の周りを惑星のように周回して位置情報をチェックする。
そのとき、そばで観察しているわたしもチェックされる。
もちろん刺されるということはない。
一日経っても蜂が逃去していないのでこれで分蜂は完了。
というわけでミツバチ が二群になった。
追記>
その後逃げられ、また捕まえ、また逃げられ、また捕まえた。
北極の冷たい空気が天体の回転の遠心力であふれて、ときおり日本の上にかかる。
それで冬がさらに冷えているようだ。
キッチンのオリーブオイルもすっかり固まってしまった。
他人事のようだが、この時期、制作する絵も灰色のものが多い。
自分には珍しくある仕事で映像を制作している。
梅はまだ咲かない。去年より1ヶ月以上遅れている。
ミツバチが何匹か寒さに脱落して死んでいる。
それでも巣箱の中で丸く塊を作って暖めあっている。けなげだ。
この丸い塊全体が本当に一つの生命体のようである。
年が明けてから果樹をたくさん植えた。
洋梨、プルーン、ネクタリン、アーモンドなど。
果樹は超密植になってしまった。
ほぼバラ科なので、虫にやられたり病気になってしまうかもしれない。
南国系果樹のチェリモヤやロンガン、アセロラは面白そうだから植えてみたが寒さで枯れてしまう。レモンも先端部がきびしい。
香りコニファーのブルーアイスを数本植えた。ブルーアイスは何本あってもいい。
この庭、去年は棘のある野苺を取り除いていたが、今年は
つる日日草を抜いている。つる植物はぐるぐる巻きにすると枯れる。
逆に巻かないと陽に晒しても青いままでずうっと枯れない。これが不思議だ。
マチエールは漆喰。以前より下地に何かを使うことが増えた。
2月8日、東京の青山ブックセンターでトークイベントが行われる。
この「まど・みちおの絵本」シリーズでわたしが担当したのは「水はうたいます」という作品。****
絵を描くスイッチが入らない。のでまずはパネル作りをする。たてものの修繕用に買った材が結局パネルになっていく。電動工具が吐き出した木屑をブロワーで飛ばす。最近これが楽しみ。
ある日、あまりに冬の山がきれいなので山に入ってみた。
それでいろんな発見があったので気に入って、ほぼ三日に一どのペースでどこかの山に入っている。
この辺の山のふもとは全て墓地になっていて、その参道の奥に道が続いていて神社があったり、荒れ果てた登山道に入り口があったりする。
この町でこれらの墓を通り抜けて山に入っていく変なひと、わたししかいない。
地元の人に聞くと「昔はみんな山へいっとったけどねえ、今ごろは山は怖いけえー」という。松茸とか獲れるらしい。
山はあまりにも無人で、その結果降り積もった葉っぱで道はふかふかでベッドの上のようだし、道自体が崩れてなくなっているところもある。
人が通らなくなると道は消滅する、と当たり前のことを思った。
最近は植物の中でも椿が好きで色々研究していたが、山には野生の椿がたくさんあって嬉しくなる。鹿のツノとかも転がっている。アトリエに飾ったらかっこいいかなあと思うが拾う勇気がない。それより薪になりそうな枝を集める。
わたしの絵本、「トラタのりんご」のように廃業の果樹園が山中にたくさんあることを知った。棚田式になっているが石垣も崩れかけている。柑橘類は皮が厚いので動物も食べない。
この冬は西日本はいつもより暖かくもあり、雪が降らない。でもこれを小春日和って呼びたくなるわけでもないような違和感がある。
ミツバチは冬眠してたのに、暖かい冬のせいかまた働き始めている。このまま春になってしまって大丈夫なのだろうか。