個展の制作時期に入った(遅)。
幾つかの「点」と「点」が風景をつくると言うけど、個展での絵もそういうものかもね。
その風景をフフンと観てみたいために描く。
個展で絵が売れると、いろんな人の家にその点がちらばって、風景は見わたしにくくなるけど、
離ればなれの点と点たちが勝手に会話を始める。
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3/02/2013
1/26/2013
1/26
色彩。
それについて考えてみたことは意外にもこれまであまりなかった。←こらこら
(絵を描き始めると、心がどうしても線や形に集中するため余裕が無かった)
けれどときどき「はっ」とさせられる。
今まで数えきれない程の画家が絵具を塗り続けて来た。
それでもまだまだ未知の領域があると思う。
優等生的な配色の適切さではなく、異世界への扉のような、
心を捉えて離さなくするような。
色を塗る事は今まで考えていたよりももっともっと面白いのだろう。
希求して行きたい。
7/18/2012
7/18
ずる賢く、臆病に、疑い、注意深くなるという事。
クレバーになる事。
世の中のいいカッコしいとは「逆」を行くきわめて地味でカッコ悪い事柄を知る事が学ぶという事なのかなあとさいきん思ったりしている。
それは
1.鋭利な刃物や火を使った手作業や料理
2.急勾配の山の斜面や
3.知らない国への旅
などから学べる。
ケガをしたらそれはすべて自分のせいだ、と明らかにできる環境で遊ぶことが大切だと思う。
4/01/2012
3/08/2012
3/7 Verde que...
Verde que te quiero verde.
Verde viento. Verdes ramas.
El barco sobre la mar
y el caballo en la montaña.
Con la sombra en la cintura
ella sueña en su baranda,
verde carne, pelo verde,
con ojos de fría plata.
Verde que te quiero verde.
Bajo la luna gitana,
las cosas la están mirando
y ella no puede mirarlas.
Verde que te quiero verde.
Grandes estrellas de escarcha,
vienen con el pez de sombra
que abre el camino del alba.
La higuera frota su viento
con la lija de sus ramas,
y el monte, gato garduño,
eriza sus pitas agrias.
¿Pero quién vendrá? ¿Y por dónde?
Ella sigue en su baranda,
verde carne, pelo verde,
soñando en la mar amarga.
-Compadre, quiero cambiar
mi caballo por su casa,
mi montura por su espejo,
mi cuchillo por su manta.
Compadre, vengo sangrando,
desde los puertos de Cabra.
-Si yo pudiera, mocito,
este trato se cerraba.
Pero yo ya no soy yo,
ni mi casa es ya mi casa.
-Compadre, quiero morir,
decentemente en mi cama.
De acero, si.puede ser,
con las sábanas de holanda.
¿No ves la herida que tengo
desde el pecho a la garganta?
-Trescientas rosas morenas
lleva tu pechera blanca.
Romance Sonambulo
Federico García Lorca
私の好きなみどり。
で始まるロルカの詩。
11/15/2011
ポートレート
親しい人の肖像を描く様に風景をいとおしく描ける様になったらな。
それができない。
けれど!
一本の木には鳥が住んでいるかいないか。
その木がおとす影のトーンはかなしそうかたのしそうか。
この風景、人に例えるとしたらどんな人生を送っているのか。
いや、モチーフではない。
絵が持とうとしている物語の問題だ。
そしてそれはいっさいが自分とは遠いところにある物語なのだ。
だから絵に自分を投影させようとするのはひょっとしたら間違っているのかも知れない。
線ひとつ点ひとつからはじまる全ての絵が肖像画の様であるならばいいのにな。と思う。
きっとそれは今日という日がつまったいい絵になる事でしょう。
それができない。
けれど!
一本の木には鳥が住んでいるかいないか。
その木がおとす影のトーンはかなしそうかたのしそうか。
この風景、人に例えるとしたらどんな人生を送っているのか。
いや、モチーフではない。
絵が持とうとしている物語の問題だ。
そしてそれはいっさいが自分とは遠いところにある物語なのだ。
だから絵に自分を投影させようとするのはひょっとしたら間違っているのかも知れない。
線ひとつ点ひとつからはじまる全ての絵が肖像画の様であるならばいいのにな。と思う。
きっとそれは今日という日がつまったいい絵になる事でしょう。
9/15/2011
9/15
絵を描く時、わたしは基本的に紙を机に置いて作画する。
が、たまにイーゼルや壁に立てかけて作画すると絵のたち現れ方が違う。
つまりいろいろな描きかたを試した方がいい。
ねそべって描くとか。風呂に入りながら描くのもいい絵が描けるだろう。
ピアノを弾く人がたまにアコーディオンを弾くと音楽的発見があるような感じかな。
が、たまにイーゼルや壁に立てかけて作画すると絵のたち現れ方が違う。
つまりいろいろな描きかたを試した方がいい。
ねそべって描くとか。風呂に入りながら描くのもいい絵が描けるだろう。
ピアノを弾く人がたまにアコーディオンを弾くと音楽的発見があるような感じかな。
6/21/2011
6/21
旅の情熱は、多分、ポエジーと分離することのできるものではないのだが、それは自分のポエジーを、一般のポエジーの中に見ていないのだ。要するに、それは、悪い仲間の方を好んでいるのである。
…
ポエジーは郷愁の中で旅に出会ったが、それは旅の好む所ではない。
アンリ・ミショー『パッサージュ』より 小海永二訳
引っかかっている。私はああいう画を描くのでポエジーは旅情の中にあると思いたがっているがその安易さに一抹の居こごちの悪さも感じる。自分を引きずって行くものに対し、きびしくあらねばなりません。それにしてもミショーの絵はいいな。
…
ポエジーは郷愁の中で旅に出会ったが、それは旅の好む所ではない。
アンリ・ミショー『パッサージュ』より 小海永二訳
引っかかっている。私はああいう画を描くのでポエジーは旅情の中にあると思いたがっているがその安易さに一抹の居こごちの悪さも感じる。自分を引きずって行くものに対し、きびしくあらねばなりません。それにしてもミショーの絵はいいな。
6/04/2011
空の写真。


これは、地震から数日後の3月17日の夕方、横浜北部の拙宅から撮った空の写真。
時々思い出しては眺めている。ブキミで印象深い空だ。
その日は西から東への強い風が吹き荒れていた。
だから放射性物質?とその時私の心をよぎった心配はありえない。
…と思いたいが、ふと気になり東京都の放射性物質の計測データを探してみた。
そのPDFをみると唸ってしまう。
PDF: 都内における大気浮遊塵中の核反応生成物の測定結果について(3月31日〜3月15日)
これによるとこの17日の不思議な空と東京都上空に大量の放射性物質が舞っていたタイミングと合致している事がわかる。
つまり、15,16日にすでに関東に放射性物質は到達していた。(15日の10時台がピーク)…それは周知の通り。
それがあの日の強風で撹拌されるということもあり得る。
また、その頃の黄砂飛来のデータもしらべたが黄砂はなし。
wikiによると問題のセシウム、ストロンチウム、プルトニウムなどはすべて黄色系の物質である。
Cs Sr Pu
ヨウ素131の色は調べたけどわかりませんでした。
さてなぜ私が調べてみたくなったかというと、あまりにもあの空の色が不思議でかつて観た事がなかった色調だからだ。
でも放射性物質だ!と決めつけるつもりはなく、やっぱり花粉かもしれない。
あの地震の揺れで、とんでもなく揺れたのだから花粉、そして地面や瓦礫から生じる粉末も大量に大気中に舞い上がったと思う。
たぶんプロの人でもこの空の原因、本当の所はわからないのではないかな?地震にせよ原発にせよ前代未聞の出来事なのだから。
いずれにせよ、アブノーマルな状況があの日の空の色を作ったことは間違いない。
貴重な写真かも知れないので掲載した次第。
悲しい事、その時期に関東地方が放射性物質で汚染されてしまったことは現実だ。
5/24/2011
メチエ
技法書として、ぱらぱら読んでいた本で思いがけずみつけた言葉。
君の作品を幾度も作業台にのせて
絶えず磨きに磨け。
(油絵のマティエール 岡鹿之助著 美術出版社1954)
*
Boileau-Despréaux, Nicolasという詩人の言葉。
当たり前の事を言われるのが結局一番心に響く。
では磨きをかける「手」や「やすり」とは何であろうか?
経験?思慮深さ?手わざ?
それとも純粋な心眼?
- Vingt fois sur le métier remettez votre ouvrage,
- Polissez-le sans cesse, et le repolissez.
君の作品を幾度も作業台にのせて
絶えず磨きに磨け。
(油絵のマティエール 岡鹿之助著 美術出版社1954)
*
Boileau-Despréaux, Nicolasという詩人の言葉。
当たり前の事を言われるのが結局一番心に響く。
では磨きをかける「手」や「やすり」とは何であろうか?
経験?思慮深さ?手わざ?
それとも純粋な心眼?
11/20/2010
闇雲に

私の絵の描きかた。
すこし変わっている。
プラン無し。
順序立てていない。
つまり全くの手探りで描いているのだ。どうなるか、本当にわからない。
画材はたまたま目に留ったものを用いる。そして描く、というより闇雲に塗り始める。
ドローイングだったら何枚も捨てながら紙にかいていく。
でも、途中で、さかなや風景、文様のかたちがひらめく。
そうか、この絵はさかなの絵なのですか?
と、自分でびっくりする。
そこでやっと少しずつ方向が定まり、終わりが見えて来る。
さかなであればコンブの絵を描く。
するとコンブの方が熱が入ってしまい、よし、この絵はコンブの絵にしよう、となる。
そのあともラーメンの絵になったりする。
どんどん変わって行き、塗りつぶしたり、逆さにしたりする。
ノコギリで絵そのものを切断する。
半年間しまい込む。
最終的には思いもよらなかった絵になる。
これは例えるならば、献立の決まらないままスーパーマーケットに行き、食材を夢遊病の様にかごに放り込んで、帰って来て、ワクワクしながら厨房に立つ様な感じなのだ。
無計画すぎる。
しかしそうやって出来た料理にはその日の気分が刻印されていることだろう。
ストーリーがあるだろう。
これが絵描きにとってはやや重要。
この料理、うまいかまずいか、食べてみてのお楽しみ。
2/26/2010
10分間だけの実験室
10/27/2009
線をひく時は息をとめるか

ちょっとごそごそやっている。
昔の自分の絵を発掘して見たりする。
たまにいいのもあるがだいたいダメ。線がうすっぺらだ。かっこをつけようとしているようにも見える。
いったい何を表現しようとしていたのだろう?
それなりに形にはこだわりがあったようだ。
けれどもそれは自分の中のアルゴリズムのみで完結している。
ある意味ピュア。遊びを認めない。
ながめているうちに少しだけ記憶がよみがえって来た。
息をとめ、力をこめて線をひいていた。
しかしそれの努力の割に悲しきかな、出来たものはやはり浅いし生きていない。
線はとっても苦しそうだ。窮屈で狭いところにいたように思う。
今はけっこうラク。
そういえば最近は息をとめて線をひかない。
進歩か、退行か。
けれども息をとめるかわりになにかをとめている。
時間のようなもの。外部との遮断?
いや、外部と遮断しているわけではない。
けれどそのときだけ特別な時間の層にいるような気がする。
地球の上の時間に生きていながら同時に画の中の時間に生きている感じがある。
そうなるとけっこういい感じに画ができるように思う。
たとえば音楽を奏でる人は職業絵描きよりいい画を描くのではないかと思っている。
音楽を奏でるとき、奏者は音楽の時間のなかに生きることを知っているからだ。
それでいて外部との関係が断たれている訳ではない。
空間のもつ個性やそこに集った人、置いてあるもの、その日の気圧、におい、生活音、その土地の記憶…風土との関係が存在しないのであれば演奏する意味はない。
またパンを焼くひともそういうパンの時間という層を発見しているだろう。コーヒーを淹れるひともそうだろう、先日見た広島駅のお好み焼き屋のおばちゃんもなにかを知っている筈だ。文章を書く人もそうだろう。保育園の保母さんもそうだろうし、通勤電車の運転手だって。つまりそもそも職業でわける必要もないけど『集中力の特化』という意味でははたらく、という事がおおいに関連してくるのではないか。
今日、食卓でこどもがブドウの皮を真剣にむいていた。
なんだかすごく真剣だ。そして皮を剥き終わると躊躇なく食べてしまい、こう言った。
『ぶどうの夜』
彼は探検家の様にぶどうの皮の惑星に降り立ち、何かを視て無事生還したのではないだろうか。使い古された言い方ではあるが、こどもはやはりとてつもない集中力をもっている。だからいろいろな層への入り口をみつける。そして層から層へといとも簡単にかろやかに飛ぶ。大人は一つの層に入り込む事すら苦心するというのに、である。親からみれば節操がないとおもうけど、たぶんこどもがやってることは『そういうこと』なんじゃないか。
内面がそろそろひからびそうな大人である私も、このまま終わるのは悔しいのでもうすこしだけ自覚したいと思う。
地球上に生きながら同時にいろんな層に生きるのだという事。
そしてその層は自分が選ぶのだという事。
9/28/2009
9/23/2009
『der meteor』の制作メモ

アニメーション『der meteor』の制作覚え書きより。私のつくって来たアニメーションはストーリーの説明ではなく、無数の絵の束であり、当然裏のタイトルが無数にあります。
映像からすこし離れたここから言葉を添えてみるのも面白いかなと思い公開する事にしました。
さて覚え書きのいくつかは映像化されています。アニメの中のどこでしょう?
*
ひかり 日駆り 日刈りの午後
傾く日と傾く星
異國の石疊に降る花びら
凪ぎ待ち ダマスクスの絵葉書
辺境伯の古い城
白い花は昼の星
星標
百舌鳥のひく弧の中心
町を覆ひ始める雨の氣配
甘藍畠から呼び止める声
藥局の窻ガラスの向かうに琥珀洋燈
石の伽藍に鳥の巢
石の手に水たまり
家の骸
搖籃
林檎の木
果樹園の道具小屋
旅行鞄の內の故鄕の街角
死のほうき星
時は砂
こゝから傾きの國に入る足下に注意
魚と目が合ふ寒気
南国の虫の羽の色螺鈿色
*
"der meteor" nakaban
noble
2009-07-07
DVD (NTSC / ALL REGION)
CXBL-1003
¥2500 (within tax)
der meteor
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