4/25/2010
radiosondeのジャケット
器楽音楽ユニット radiosonde。
彼らのアルバムための絵を描かせていただきました。
描いて、それを撮って、いろいろ試しました。
(どうやって作ったか覚えてない…)
彼らの音楽を表しているかの様な浮遊感あふれる仕上がりです。
リリース元のflauレーベル。●
official。 □
津田さん ♨
青木さん ⁂
5月の中旬発売との事。お楽しみに!
この発売を待つ時間がまた良いんだよね。
4/23/2010
原発にnoを
原発にnoを。
上関の原発のことを頭に思い浮かべながら書いている。
これだけ電気の恩恵に浴しておきながらも、やはり私は原発にnoと言い続けようと思う。
何をしていても原発の周辺の、数えきれない不幸な事がらを考えてしまい、頭に蜘蛛の巣が張られているように感じる。この世から原発が無くならない限り、この不快感は消えないのだろう。
その理由を書いてみようと思う。
私には原発というと思い出す本がある。
それはC.チャペックの『絶対子工場』という題のSF本で、たしか小学生のころ読んだ。
たいして読書好きでもない田舎の小学生がチャペックに触れるとは不思議だが、そのころ私はSFが好きで、ロボットという言葉の発明者なんだ、という理由で手に取ったのだと思う。
内容は喜劇風の原発を風刺した物語だった。
今読むとやはりチャペックらしく軽妙な文体だし、喜劇なのかもしれないが、その『絶対子工場』では制御出来なくなった原子エネルギーの得体の知れなさが見事に描かれていて、子どもにとってはたいへん怖い話なのだった。
(ただし刊行時の1922年には原発は構想すらないはず。チャペックは不思議な人だ)
この本を読んで以来のショックは今も継続している。やはりあれは人が手を出してはいけない領域なのだ、と今でも原発の事を考えるたびに思ってしまう。
私ひとりの個人的な不安やチャペックのお話の中だけで済めば良いが、そのあと現に事故が起こった。
チェルノブイリ。ニュースの映像を覚えている。怖かった。
悲惨だった。誰もがそう思ったはず。思いだしましょう。
ユーラシア全土を覆った放射能の汚染。
遠く離れた日本でも放射性物質が検出された。
水、土、空気がすべて汚染され、生き物の奇形、病気が起こった。
そして最も悲しい事、怖い事。それは汚れてしまったものへの差別が生まれた事だ。
事故現場はコンクリートで覆われた。あの石棺の写真を見ると今でも鳥肌が立つ。
日本でも事故があった。
1999年の東海村JCO臨界事故では2人が死んだ。また600人以上の被爆者。
2007年の新潟の地震での原発の損傷では、あぶないところだった。
が、まったく無問題で済んだわけではない。
つい先月、松江の島根原発の点検漏れがあった問題で、中国電力の担当部長が不審きわまりない自殺と、これだって見逃せない。(中国電力は今上関原発を建設中) (同様の自殺事件は1995年の「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故が起きたときにもあった。)
そのような不幸が今も、たった今も拡がりつづけていると考えると、仕事中だろうが遊んでいようが、そのイヤな感じはますます重さを増してゆく。
だからnoなのだ。
けれど、負の可能性には蓋をして、今の日本には原発を倍増させる計画がある。
今年の1月に発表されて、それを知って新年早々、暗い気分に陥った。
この地図を知らない人、できたらちょっと足をとめて眺めて欲しいと思う。
クリックで拡大。今後この倍の原発が建つ。
原発を増やす事は表向きは電気の確保の為、環境の為、と言っているが、私は違うと思う。
これからはあらゆる機器の省電力化がますます進むだろうし、日本の人口は減少中だ。それなのに電気がさらに必要で、原発の基数を倍増というのはどうしても納得できない。
でも、データを引っ張って来てここでうだうだ言うつもりは無い。学者ではないし、情報のウラをとる能力が私には無い。
最初に書いた様に、直感で原発は恐ろしいものだ、と思うから反対している。
原発で電気を作る事が百歩譲って(譲らないが)この国にとってスマートであるとしよう。
けれども現実に、あきらかに地方の人々の暮らしをめちゃめちゃに壊しているという問題が棚にあげられている。それはどういうことなのか…!
それは迷惑というレベルではない。むしろ侵略に等しいという程のものなのに。
それでも原発がまた、出来たとすれば、毎日毎日、当の電力会社や行政自身が、度かさなる地震や点検ミスに怯えることになる。
そして実際、地震や点検ミスは起こる。そのせいで原発の稼働率は低いまま、代替の火力発電に頼ることになる。
放射性物質の処理には気の遠くなるような時間とリスクがかかる。将来の解体時にも、もの凄い費用とリスクが…。
何を言おうとしているのか。言ってしまおう。その挙げ句、実は結局原発はCO2のたいした削減にもならないのではないか、と思うのだ。
電力会社のCMは昔は「原発はCO2を排出しません」と謳っていたのが、今では「原発は“発電時”にCO2を排出しません」とさりげなく修正しているみたいだ。発電時以外のCO2排出の量の事は言えないのだろう…。ウランの採掘、輸送、毎秒百数十トンの温水、燃料の再処理、何万年もの減衰期間がかかる放射性物質の管理。それらが生み出すCO2は?
もうひとつ言ってしまおう。結局は原発はCO2問題を傘に着たビジネスだ。そう、最終的にはどこかの金持ちの財布を太らせるだけなのだ。それと、核兵器の材料をストックしておく事による地政学的な目論みもある。こんなの、ろくな発想じゃないと思う。
この辺の事情は大人なら誰もが判っていると思う。けれど、そう言った所で今の社会は経済中心の流れで動いているのだから、関わってる人にしたって、私個人のせいじゃないよ、となるのか。仕方がないのだろうか。いや、私たちひとりひとりの無関心、本当にそれでいいのか。
それが、矢面に立たされた人たち、の犠牲の結果だなんて悲しくないだろうか。
これが不幸でなくて何なのだろうか。
何度でも繰り返そうと思う。
原発にnoを。不幸の源泉を塞がなければ。
最後に。やっぱり本当はこんな暗い文章書きたくない…!
上関の原発のことを頭に思い浮かべながら書いている。
これだけ電気の恩恵に浴しておきながらも、やはり私は原発にnoと言い続けようと思う。
何をしていても原発の周辺の、数えきれない不幸な事がらを考えてしまい、頭に蜘蛛の巣が張られているように感じる。この世から原発が無くならない限り、この不快感は消えないのだろう。
その理由を書いてみようと思う。
私には原発というと思い出す本がある。
それはC.チャペックの『絶対子工場』という題のSF本で、たしか小学生のころ読んだ。
たいして読書好きでもない田舎の小学生がチャペックに触れるとは不思議だが、そのころ私はSFが好きで、ロボットという言葉の発明者なんだ、という理由で手に取ったのだと思う。
内容は喜劇風の原発を風刺した物語だった。
今読むとやはりチャペックらしく軽妙な文体だし、喜劇なのかもしれないが、その『絶対子工場』では制御出来なくなった原子エネルギーの得体の知れなさが見事に描かれていて、子どもにとってはたいへん怖い話なのだった。
(ただし刊行時の1922年には原発は構想すらないはず。チャペックは不思議な人だ)
この本を読んで以来のショックは今も継続している。やはりあれは人が手を出してはいけない領域なのだ、と今でも原発の事を考えるたびに思ってしまう。
私ひとりの個人的な不安やチャペックのお話の中だけで済めば良いが、そのあと現に事故が起こった。
チェルノブイリ。ニュースの映像を覚えている。怖かった。
悲惨だった。誰もがそう思ったはず。思いだしましょう。
ユーラシア全土を覆った放射能の汚染。
遠く離れた日本でも放射性物質が検出された。
水、土、空気がすべて汚染され、生き物の奇形、病気が起こった。
そして最も悲しい事、怖い事。それは汚れてしまったものへの差別が生まれた事だ。
事故現場はコンクリートで覆われた。あの石棺の写真を見ると今でも鳥肌が立つ。
日本でも事故があった。
1999年の東海村JCO臨界事故では2人が死んだ。また600人以上の被爆者。
2007年の新潟の地震での原発の損傷では、あぶないところだった。
が、まったく無問題で済んだわけではない。
つい先月、松江の島根原発の点検漏れがあった問題で、中国電力の担当部長が不審きわまりない自殺と、これだって見逃せない。(中国電力は今上関原発を建設中) (同様の自殺事件は1995年の「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故が起きたときにもあった。)
そのような不幸が今も、たった今も拡がりつづけていると考えると、仕事中だろうが遊んでいようが、そのイヤな感じはますます重さを増してゆく。
だからnoなのだ。
けれど、負の可能性には蓋をして、今の日本には原発を倍増させる計画がある。
今年の1月に発表されて、それを知って新年早々、暗い気分に陥った。
この地図を知らない人、できたらちょっと足をとめて眺めて欲しいと思う。
クリックで拡大。今後この倍の原発が建つ。
原発を増やす事は表向きは電気の確保の為、環境の為、と言っているが、私は違うと思う。
これからはあらゆる機器の省電力化がますます進むだろうし、日本の人口は減少中だ。それなのに電気がさらに必要で、原発の基数を倍増というのはどうしても納得できない。
でも、データを引っ張って来てここでうだうだ言うつもりは無い。学者ではないし、情報のウラをとる能力が私には無い。
最初に書いた様に、直感で原発は恐ろしいものだ、と思うから反対している。
原発で電気を作る事が百歩譲って(譲らないが)この国にとってスマートであるとしよう。
けれども現実に、あきらかに地方の人々の暮らしをめちゃめちゃに壊しているという問題が棚にあげられている。それはどういうことなのか…!
それは迷惑というレベルではない。むしろ侵略に等しいという程のものなのに。
それでも原発がまた、出来たとすれば、毎日毎日、当の電力会社や行政自身が、度かさなる地震や点検ミスに怯えることになる。
そして実際、地震や点検ミスは起こる。そのせいで原発の稼働率は低いまま、代替の火力発電に頼ることになる。
放射性物質の処理には気の遠くなるような時間とリスクがかかる。将来の解体時にも、もの凄い費用とリスクが…。
何を言おうとしているのか。言ってしまおう。その挙げ句、実は結局原発はCO2のたいした削減にもならないのではないか、と思うのだ。
電力会社のCMは昔は「原発はCO2を排出しません」と謳っていたのが、今では「原発は“発電時”にCO2を排出しません」とさりげなく修正しているみたいだ。発電時以外のCO2排出の量の事は言えないのだろう…。ウランの採掘、輸送、毎秒百数十トンの温水、燃料の再処理、何万年もの減衰期間がかかる放射性物質の管理。それらが生み出すCO2は?
もうひとつ言ってしまおう。結局は原発はCO2問題を傘に着たビジネスだ。そう、最終的にはどこかの金持ちの財布を太らせるだけなのだ。それと、核兵器の材料をストックしておく事による地政学的な目論みもある。こんなの、ろくな発想じゃないと思う。
この辺の事情は大人なら誰もが判っていると思う。けれど、そう言った所で今の社会は経済中心の流れで動いているのだから、関わってる人にしたって、私個人のせいじゃないよ、となるのか。仕方がないのだろうか。いや、私たちひとりひとりの無関心、本当にそれでいいのか。
それが、矢面に立たされた人たち、の犠牲の結果だなんて悲しくないだろうか。
これが不幸でなくて何なのだろうか。
何度でも繰り返そうと思う。
原発にnoを。不幸の源泉を塞がなければ。
最後に。やっぱり本当はこんな暗い文章書きたくない…!
4/21/2010
4/21
*
アキ・カウリスマキの映画『過去の無い男』をやっと観た。
友人や嫁にお勧めされて五年くらい経ちましたがちゃんと観ました。
気になる救世軍バンドの名はMarko Haavisto & Poutahaukat。
かっこわるかっこいいです。
嫌いじゃない。というか大好きだ。
当時のアルバム『lamppu palaa』再発されないかな。
*
ツイッター。昨日利用者が一億人を突破したらしい。私も先日アカウントをつくって、仕事仲間数人をフォローした。で、少しずつネットワークが広がって行く様を観察していた。やっぱりハブになる人、団体に知られてしまうと広がるなあ。人は人を150人までは同時把握できるらしい。で、それは昔の「村」の最大人数と一緒なのだとか。おもしろい。
「今起きました」「道でころんだ」というようなシンプルなつぶやき、知人の言葉であれば、ああ、あの人が、と楽しめるけど、まったく知らない人のまでは読んでも仕方がない。難しいなあと思う。しかし達人によると「読む」というより「眺める」と「読む」の間くらいという感じらしい。うーむ。人類の文字の取り扱い方が変質しつつあるということか。タイムライン上の言葉のコラージュと思えば楽しめる、か。
*
なにか突発的に面白い事をする時はいち早く載せます。宣伝媒体としてもかなり良いと思った。
フォローしてくださいませ。
http://twitter.com/@nakaban77
4/20/2010
4/18/2010
retablo 4
さてレタブロも進みつつある。
吊るし用の穴をドリルで穿つ。
これから先は当然ながら絵を描くという自由で精神的な領域なので説明ができない。
当然本物のレタブロにある"Fe(信仰の心)"は私には込める事かなわないが、がんばってみましょう。としかいいようがない。
言葉で説明出来ないものを作っている職業だからこそ、昨今流行りのスピリチュアルさんのように精神的なものとして売りたく無い。
結果は絵の表層に全て出る。気に入ってもらえればうれしいし気に入られなくても良い。
私のアニメーション"der meteor"に西洋、東洋、南米が混ざった様な町並を歩く場面があって、
その町の民家の一つ一つに掛かっている様な絵をイメージしてみようと思う。
可能であればスペイン語の詩を入れたい。
望雲さんのページ。
4/17/2010
classic
4/14/2010
4/13/2010
review for "der meteor"
NAKABAN: DER METEOR (noble) Was für eine Reise! Das wie stets bemerkenswerte Label aus Tokyo präsentiert einen sanft-umwerfenden Animationsfilm, der meilenweit von jeder Manga-Ästhetik entfernt ist und dafür vielmehr sehr europäisch daherkommt. In 8 Teilen wird die Reise eines jungen Mannes auf der Suche nach einem Kometen erzählt: märchenhaft realistisch, wunderschön unkitschig, poetisch surrealistisch. Da Nabakan ursprünglich ein Maler ist, erleben wir seine herrlich farbigen Einzelbilder in einem einzigartigen Animationsszenario, begleitet von der großartigen minimal-kammermusikalischen Musik von Takeo Toyama. Dieser stupende imaginäre Mix aus einer kolorierten Lotte Reininger-Animation, sinistrer Eric-Carle-Grafik und naiv-pointierter Kurt Weil-"Silbersee"-Tonalität hallt lange nach. Honker
terz magazine
terz magazine
4/08/2010
2 animations on vimeo
vimeoは洒落ているし、投稿されてる作品からはとってもクリエティブな空気を感じる。
印象がいい。
映像学生の頃にこういうvimeoの映像の数々に浸っていたら良いだろうなーと思う。
でも影響を受けすぎてしまうだろうか。
先日そのvimeoに『ランテルナムジカ』をアップした時に気づいたのですが
『der meteor』と『三つの箱』のtrailerがありました。
poca luce, poco lontatno from Improvica on Vimeo.
Der Meteor / nakaban from Improvica on Vimeo.
印象がいい。
映像学生の頃にこういうvimeoの映像の数々に浸っていたら良いだろうなーと思う。
でも影響を受けすぎてしまうだろうか。
先日そのvimeoに『ランテルナムジカ』をアップした時に気づいたのですが
『der meteor』と『三つの箱』のtrailerがありました。
poca luce, poco lontatno from Improvica on Vimeo.
Der Meteor / nakaban from Improvica on Vimeo.
4/02/2010
実際に観た風景ですか?というQ
nakaban.com 地味に更新しております。drawingのページ等。
すこし色が載ったドローイングが自分の中で流行りです。(2010年4月現在)
風景を描く場合、展覧会等の場で多く訊かれる質問のベスト1は
『コレは実際に観た風景ですか?』である。
思うに、展覧会場という場所は私も、お客さんの多くもたぶんニガテである。
閉じられた画廊という空間に作家がぬぼーと立っていたりすると"間"が持たないのでそういう質問を頂くのだと思う。
ありがとうございます。
でも、私は、うーんそうである様な、そうでない様な、という煮え切らない答えをしてしまう。
自分でもよくわからない。
"観た"あるいはその場に"行った"という言葉の源に迫る質問だから考え込んでしまう。
たとえば本をひらき、どこか知らない場所の写真を見たときにその場所の音や匂いを感じた事はないだろうか?
その場合は"行った"、"観た"、の感が強く、実際にその場にこの足で行った様な記憶として経験の中に織り込まれてしまう。
また音楽を聴く時、もそういう事はある。
映画ではなおさらのことである。
"der meteor"のようなアニメでは"あっちの世界"に潜入しないと創作が出来ない。
おっと、なんだかあやしい話になって来た…。
4/01/2010
バッチイ金
祝島のおばちゃん偉い。
上関原発の話。中国電力による買収がとっくに決まってたと半ば諦めていたが、実は28年間祝島のおばちゃんたちが待ったをかけている。
反対運動を続け、電力会社から10億を越える漁業保証金を受け取ろうとしない。
この金が島民に受理されなければ電力会社は原発を建てる権利を有さないということになる。ココがまともな国であれば…
いろいろ経緯を読んだが、バッチイ金である。
そんな金よりきれいな海。
瀬戸内に暮らす人として当然、正常な感覚と思う。
もちろん瀬戸内の地物の魚を食べて育った私も反対である。
仮に放射能や臨界事故の懸念を棚に上げたとしても、原発が出来たら毎"秒"190トンといわれる7℃も高い温排水が海に流れる。これは暴力的な水量で、瀬戸内の生態系を確実に狂わせる。
(n撮影。原発予定地の上関町、祝島はこの先の島)
おまけ、めっちゃうまそうな祝島の特産品。
上関原発の話。中国電力による買収がとっくに決まってたと半ば諦めていたが、実は28年間祝島のおばちゃんたちが待ったをかけている。
反対運動を続け、電力会社から10億を越える漁業保証金を受け取ろうとしない。
この金が島民に受理されなければ電力会社は原発を建てる権利を有さないということになる。ココがまともな国であれば…
いろいろ経緯を読んだが、バッチイ金である。
そんな金よりきれいな海。
瀬戸内に暮らす人として当然、正常な感覚と思う。
もちろん瀬戸内の地物の魚を食べて育った私も反対である。
仮に放射能や臨界事故の懸念を棚に上げたとしても、原発が出来たら毎"秒"190トンといわれる7℃も高い温排水が海に流れる。これは暴力的な水量で、瀬戸内の生態系を確実に狂わせる。
(n撮影。原発予定地の上関町、祝島はこの先の島)
おまけ、めっちゃうまそうな祝島の特産品。
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