6/03/2023

3. juin

 


あっぷる製品の修理とアップデートを承り。

一か月もその大きさに圧倒されてた。(ごめんなさい)
深刻な亀裂が散見されたのでまずはパテ塗りから。

5/30/2023

30.Mai

 

創元社noteの「風景のレシピ」は64番に到達〜。

5/27/2023

27.Mai

 


5月があっという間に過ぎていく。
おかげさまで忙しくてずーっと仕事してた。いろんな本の絵。
最近三日だけ福岡に行って「望雲」でのまりぼんさんと早川ユミさんの展示を見てきた。
とても良かった。お二人とゆっくり話せたのもよかった。
絵を見にいく立場になって、見にきてくださるひとの気持ちがわかった。

たまにはこんなきれいな青も。
青には緑寄り、赤寄りとあるのだけど最近の好みで、赤寄り(Red Shade)の方を用いることが多い。夕暮れのなかに佇む青。
都市の夕暮れの青は照明の効果があるので緑寄りもいいかも。

緑寄り(Green Shade)だったらフタロのターコイズが思い浮かぶ。
すてきな色だが使いこなせていない。
えぐいレベルで発色が良くて、パレットの絵の具の混色したのを一瞬で台無しにしてしまう。
筆洗液も全部その色に染まる。
一日に一回はそれをやってしまう。何年たっても全く学習していないのだ。。
でもターコイズブルーはじつにすてきな色だ。

5/13/2023

13.Mai

 



約一年前に制作が停止してしまった絵。
雑誌「暮しの手帖」に提案した2枚のうちの一枚。
これのお昼のヴァージョンの絵が表紙になった。
少し加筆してみようかな…



5/11/2023

トートバッグ

 



こちらは松本の本・中川さんが送ってくれたトートバッグ。
印刷されている画像は、ロゴデザインをさせていただいた時のスケッチのヴァリエーションから採用された。
本・おやき・サンドイッチ。

本・中川で購入できるはず。使いやすい。
正式のロゴを使用せず、あえてハズしを入れてくる大人の遊び心にやられました。

5/07/2023

7.Mai




五月の雨が降ってる。
仕事で使っていたトレース台は数年前に壊れて、いやに分厚いアクリル板だけがのこった。

ひっくり返したスツールの鉄脚に植物育てる用のクリップライトを取り付け、光を上方に向ける。
スツールの四つ足にそのアクリル板をのせる。

水彩画の水を入れるカップはスターバックスのアイスコーヒーの持ち帰りカップで、
なぜか捨てられずそのまま作業場に居着いてしまっている。

スツールはいくつあってもいい。出来上がった絵もスツールに乗ってちょっと高いところから撮影する。


5/02/2023

松田素子さんが語る「フランドン農学校の豚」




絵本編集者の松田素子さんが語る絵本「フランドン農学校の豚」
いつかブログにあげたいと思っていた。
このトークのために丁寧な取材を受けた。
素子さんの話が面白く、とても上手なので引き込まれる。
誰もこういう風には話せないだろうなあ。

賢治の作品は社会批評という観点からも鋭いものばかりなのは、わたしなどよりきっとみなさんの方がお詳しいと思う。
今のすさんだ世を眺めているとわたしはときどきこの「フランドン農学校の豚」それから「ツェねずみ」というお話など思い出す。
これも石井聖岳さんの絵でミキハウスの絵本になっているけど、読むと、ああ、ああいう問題のことだな、ってわかると思う。
まあこのねずみもかわいそうな話なんだけど。

「フランドン農学校の豚」のほうも未読の方はぜひ読んでみてほしいです。

4/29/2023

24.Avril


ショウウィンドーの中にいろいろな品が飾ってある絵を時々描きたくなる。
旅先でもこういう場面に出くわすと絶対写真に収めるのだ。

ガラス越しの届きそうで届かないもの。

旅先の、滞在している町で気になるものを店のショウウィンドー越しに見つける。
でもたいがい、その店はいつもしまっているものだ。
結局、後ろ髪を引かれながらその街をあとにしなければならない。

今でも未練たらたらに思い出す。
あのナイフや古書をこの手に取ってみたかった。
その郷土の装いのあるお菓子やパンをほおばってみたかった。
でも、そうやって思い出すってことは、こういうふうに憧れのままの記憶でいるほうが心の宝物になって幸せなのかもしれない。わたしとその物体、お互いにとって。

自分が触ってきた楽器を並べてみた。
appleのコンピューターだけ架空のお品。
昔、高円寺の中古楽器屋さんで売られてたのが印象に残っている。
appleとの最初の出会いは楽器としてだった、というわけだ。

今は音楽活動はやっていない。トウヤマさんをはじめ周りに素晴らしい音楽家がたくさんいるから。
でも自分で才能を制限してるというわけではない。
機が巡ればまた曲を作ってみたい。
絵で演奏して、音で描く。今なら、そういうふうに楽しめるような気がする。

この絵の出来上がりはこちらに 
風景のレシピ

4/24/2023

24.Avril

 


名古屋に行ってきた。

「そのライブ」はなんと2年も前から準備が進められていて、そういう準備の進め方だったから、その2年後という日が、準備をしているのに本当に来て?起こってしまうのか?などとまだ信じられない風だったのに、ついにその日になり、唐突に咲いたお花にびっくりするかのようにあっというまに過ぎてしまったのが今という感じがある。
ああ、でも楽しかったなあ(よいん)。
どうかどうかどうか行かれたかたに感想聞いてみてください。

キセルの二人、バブーシュカの杉ちゃんさん、マノマノの宮下さん、ON READINGの黒田さん、いたこちゃんさん、岡さん、そして、けして安くはないチケット代を応援のようにポーンと出して参加してくださったみなさん。最高でした。みんなでステージをつくりました。

というわけで、2年後の今日という感じで、時は進み、今、ゆるやかな4月の丘を越えかけていて、Hola! 向こうにいい眺めが見えてきたよ。

4/19/2023

19.Avril

 


「Qui Town」
バブーシュカの展示で飾ってもらっているとても小さな絵。
実は三原市久井町の絵。



キセルとのライブを準備中…

4/10/2023

10.Avril

 


東京荻窪のTitleにて。
これはりんごの店頭販売をしてくれた「いちりんご」の看板オブジェ。
Title2階のギャラリーでは、この3月に刊行された「トラタのりんご」の原画展。 
随所にライラック色を忍ばせた明るい原画を飾っていただいている。 
この本の担当編集者のSさんがなんと、この絵本制作の参考のためにりんご苗をご購入、
そして先日初めて花が咲いたそう。

4/05/2023

「Title」で「トラタのりんご」原画展

 



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東京荻窪の本屋さん 「Title」で「トラタのりんご」原画展がもうすぐ7日から25日まで。
絵本の原画に加え、「いちりんご」さんによる本当のりんごの行商が8日と9日。
この機会なので、油彩の「りんごの絵」を少しだけど展示販売。絵のサイズはEPレコード・ジャケットくらい。

わたしは9日と10日の営業時間中にTitle2階の展示室に在廊させていただく予定なので、お時間ある方は会いましょう。

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4/01/2023

1. Avril

 



わたしは、あまりマチエールに関心を持ってこなかった。
色と、かたちだけで意図を伝えたかったし、それ以外の要素に頼るのはなんだかズルをするようで好きではなかった。
しかし時代は変わって、こういうふうにデジタル画像が巷に溢れるようになると、気持ちが変わってきた。
最近は、わたしはほぼ全ての絵の下地に漆喰を塗っている。
この写真のように薄く塗ることもあればバターのようにたっぷり盛ることもある。パネル板を自作することも増えてきた。

ツルツルの液晶画面に対しての、モノ感。
そういう話をしたいのではない。
ギャラリーでたくさんの人が絵に対面するのを見てきた。
制作時のわたしも自前ではあるが、未知の絵に出会っている。
昨日までは存在しなかったもの。30分前にもなかった。それが今は存在している。
本来なら出会わなかったはずの絵に出会う。
わたしはこれから「出会い」の含む奥行きに注目する必要がある。。

マチエールがあると、単純にでこぼこする。
陰影が発生し、目の前の物体もわたしも今は同じ空間に存在しているという感覚が強まる。
制作時には、明らかにそれに影響される。
同じ空間で一緒に息を吸っているということは、出会っているということ。とてもいいことだ。

画面の中ではそうはいかない。そこでは何に出会っても出会っている感じがない。驚かない。
何というか…インターネットのあれらは何か、あらかじめもう全てに出会ってしまっているような感覚がある。
さまざまな驚き動画を見て「わ。神動画。ビックリだね」と言っても、実は誰も本当には驚いていなかったりするのではないだろうか。
AIが無限のヴァリエーションで絵を提示してくれる。素晴らしいものもある。
表層では驚いても、わたしの身体は突き動かされない。
でもこっちの世界では違う。
わたしはファンデーションのための刷毛の一振りでも動揺してしまう。

ひとは事物を眼のみではなく、全身で見ているのだという確信が深まっていく。

3/31/2023

3/22/2023

expo "remembrance"

 


名古屋の杉村佳奈さんのお店 babooshka (超うまいカレーやさん)で個展。
4月1日から17日まで。

DMデザインはON READINGの黒田さん。
絵の方は製作中。この絵が引っ張ってくれてる。
キセルが来てくれるの嬉しいなあ。

babooshka 〒464-0033 愛知県名古屋市千種区鹿子町2丁目3−3
案内状の裏面↓ 
この画像を携帯電話におとして、たどって辿って、ぜひお越しください。




3/20/2023

20.Mars


 
絵本「トラタのりんご」のように?
置く場所もないのに苗をまた買ってしまった。これはみかん。

他の冬越しした果樹は、もう少しで芽吹くのか、という状態であったが、そういうタイミングでパラパラっと数夜に分けて断続的に雨が降る。
その後は気温の高低のコントラストがある日々がしばらく続き、植物たち(虫や微生物たち)に刺激を与える。
ここから緑が爆発的に伸びていくのだ。
毎年不思議だねーと感心している。以前のブログでも書いたかも。

3/16/2023

絵本「トラタのりんご」




Photo: Ayako Miyamura

新しい絵本ができた。
これはどんな絵本かをひとことで説明するのはむずかしい。

ひとはだれでも子どものころに、なにかに夢中になって、それを追っているうちにどこかに、誰も知らないような場所に迷い込んだりするのではないか。
あるいは焦燥感に駆られて走ったり、家に帰っても図鑑を飽きずにめくったりする。
無限のように長く感じた、季節の一周りを経て何かに気づく。(季節って残酷だ。学び、注視しないひとを素通りする!)
そしてそれは、そういうことはおとなになった今にしてみればぜんぶ夢だったかもしれないけれど、手触りだけは残っているのだ。

そして気になることの数々が気になり眠れないのでその子は学ぶということをはじめるかもしれない。
学ぶということは興味のままにぐいぐい進んでいくことで、つまり学ぶということは超簡単に言うと、夢中になるということ。

時に追われるのではなく、自主的に。英語で自主的にはspontaneoslyって言う。音感が可愛くてあるとき覚えてしまった単語だ。「のびのび」っていう意味もある。「無意識的に」とか。なかなか深い。
この絵本には、劇的なクライマックスはないけれど、わたしが大事にしたいと思っていながら、でも表現するのは難しそうで、わざわざ描いて(書いて)来なかったことがたくさん入っている。それが絵本に残せたということが個人的にとても嬉しいことだった。

ここまで書いて忘れていたけど、「りんご」のこと。
弘前の車窓から見えたりんごの輝きの美しさに衝撃を受けたことがあり、思えばあの体験がずっと影響しているかもしれない。
果物の品種の多種多様について。これについても驚き、言いたいことがたくさんあって、ぜひ興味を持ってもらいたかった。


そもそもの、この絵本づくりのはじまりは京都大学の三成寿作先生からコンタクトをいただいたことがきっかけだった。
ゲノム編集の時代に、生命についてどういう問いかけができるかというような、自分の身の丈を遥かに超えたお題をいただいて、相当困った。
たくさんの先生が関わってビッグプロジェクトになった。でもそんなたくさんの先生がみんな面白がってくださった。そうして最適解を探す旅に辛抱強く付き合っていただいて、絵本の案ができたのだった。
出版社が決まってからは、素晴らしい編集者が二人もつき、丁寧にこうして絵本に仕上げることができた。本当に奇跡のようなことだ。

「トラタのりんご」
2023年3月16日
岩波書店: 刊 1870円
こちら→ 

3/14/2023

14. Mars

 







Gallery Kasparでの展示がスタート。19日まで。
わたしも早春の葉山の風に吹かれてきた。
iiaiさんとの会話も楽しかった。今は作品どうしが会話している。

3/09/2023

expo: nudge out of orbit









久しぶりの展示のお知らせ。
葉山のKasparさん。
本屋さんからギャラリーになった。

iiaiさんとのジョイント展示。
11日初日おります。いつも直前のお知らせで申し訳ないです。
わたしはterrainと題した作品の連作を中心に出品した。

2023.3.11(sat)-3.19(sun)
nakaban×iiai
会期中無休
〒240-0111 神奈川県三浦郡葉山町一色1462-5
gallery kaspar

こちら kasper.jp




2/28/2023

28. Février "夕闇の港町"



1.夕やみをゆっくりとかき混ぜながら
  暖かい空気に冷涼な風を加えていく。



2.強い波の繰り返しがタペストリーのように織られて
  風景を組み立てていることを意識する。





3.暗い湾の中に家々を浮かび上がらせ、灯りを点す。


4.湾の向こうの、遠くない場所に小山をつくり波の残響を深める。
  手前には波止場をのばし、灯りを連ねる。



風景のレシピ44番に沿って制作。
数年前のレシピを辿っていくと、すっかり忘れていた場所に再びたどり着くことができた。




続き、できあがり→

風景のレシピの全体ページ→ 

2/22/2023

ポスター

 

more info → babooshka

2/20/2023

20. Février



昨年はパンを焼き、熱く語る人が目の前に次々と現れた。
興味が出て自分でやってみようと思った。
それが意外にもはまった。これはアラスカの150年前の酵母を継いだサワードー。
なんか仕事で疲れても、真夜中に睡眠時間を削ってまで小麦粉を練ってしまっている。
オーブンの前にいると陶芸作品を焼いているときのような胸の高まりがちょっとある。
ここまで夢中になる自分が不思議だったが、そういう時は後から理由がついてくることが多い。
もしかしたら、ひとつはコオロギ問題に対処するためなのかもしれない。
これから、ありとあらゆる粉ものにコオロギ粉を混ぜてくるという話があるのだ。
由々しきことに、EU圏ではもう本格的に始まっており、製品に混ぜ込まれてあっても成分表示もされないという話もある。
これ、環境によいというのは嘘で、虫の飼育に大量の熱エネルギーが必要になり、しかも人体の栄養には向かない毒性物質。
タンパク質の不足問題を解消するため、などと言われているが、一方で北海道では良質のタンパク源である牛乳が排水口に捨てられている。どうして?
みんなが虫を食べている世界を想像すると、やっぱりあんまりいい感じじゃない。
ヒエロニムス・ボッシュの絵のような、悪魔的な乱世のイメージ。
近年、こおろぎを食べても良いとわざわざ聖書の翻訳が書き換えられた。聖書の翻訳を変えるなんて、相当な根回しがあったようだ。タイムマシンが発明されたのかもしれない。
今、コオロギを推している企業は補助金に目がくらんでいるか、環境にいいことをしている、と正義感に酔っているかのどちらかで、彼らがそれをすごくいいものみたいに言っても信用できない。ワクチンの時と一緒。後から健康に弊害が発生して、誰も責任取らない。
というわけで、わたしは虫さんを食べるのは遠慮させていただく。
それ関係の仕事、絵本や挿絵もできません。
しかし、パンの材料を粉で買い求めるといっても、混ぜ込み非表示になれば、そのなけなしの努力が追いつかなくなるかもしれなくて、そうなったら小麦食をやめるか、小麦を育てるかの二択。
そして、反コオロギ(?)の農家やパン屋、うどん屋お好み焼き屋個人と仲間になり、連携しなければ(お願いして、連携してもらわなければ)ならない。
この人嫌いのわたしでもそう思ってしまうくらいの事態だ。


2/18/2023

18. Février

 




屋久島のどら焼き「やくどら」
島の柑橘「たんかん」が効いた白餡のどら焼き。ごちそうさまでした。

2/01/2023

1. Février

 

広島の新しい建築事務所-ure(ユール)のロゴを制作させていただいた。

デザインは矢吹菜美さん。
http://architect-ure.jp/

-ureの岩竹さん、素敵な建物をたくさん建ててください。

1/29/2023

29. Janvier

 

”風景のレシピ”

生きている限り新しい風景に出会い、そこから去り続ける。
その眺めを自分のものにしたいと願いながらも、そんなことは無理だということもわかっているわけだ。
二重写しのような気持ちが濃くなればなるほど、手回しのレンズが一瞬だけ像を結ぶように、忘れられない瞬間に立ち会えるのかも知れない。
その瞬間のことをポント・ノーダルと言う。

こつこつ続けて40回に届いた。こちら 

1/28/2023

28. Janvier

 


今、一冊の絵本の制作が進行中。りんごの絵本。
完成までもうすぐで、品川の印刷所(半七写真印刷工業株式会社)で最後の入念なチェックがあった。
原画と印刷物を比べながらの真剣タイム。
原画では萌芽の状態に留まっていた細部が薫り立ち、みごとな印刷。
職人の凄さを思い知った一日だった。
みんなでつくる絵本だね、と言って別れた。

1/22/2023

22. Janvier

 





こども図書館の企画で石を描く教室。
子どもたちは面白くなかっただろう。
灰色だからなあ。でも灰色という色はほんとうは無くて、言葉でじょうずに説明できない中間色をとりあえず灰色と呼んでいるだけ。
とても長い年月をかけて作られた石は、名付けられない色に覆われている。
そういえば子どものころ、机の引き出しが集めた石で埋まっていた。ふと思い出した。
あの石はいったいどこに行ったのだろう。