9/27/2022

お知らせ  ISETAN ARTS & CRAFTS


お知らせが遅くなってもう本日からになってしまった。
東京新宿の伊勢丹の催事 SETAN ARTS & CRAFTS・工芸青花のコーナーにロマネスク(L'art roman/Romanesque)を題材とした連作(2019年制作)が出品されることに。

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私たちのテーマは「ロマネスク」。nakabanさんの絵(同時期に青花の展示室でも新作展を開催します)、毛涯達哉さん(神ひとケモノ)の西洋骨董(イコンほか)、金沢百枝さんがえらんだアンティークなど出品します。(工芸青花)


■ ISETAN ARTS & CRAFTS□9月27日−10月2日|10-20時(最終日18時)|伊勢丹新宿店本館6階
□出品|行方ひさこ/工芸青花/Roundabout&OUTBOUND/新宿0丁目商店街/Luca Scandinavia/PRIME GARDEN

info>


また神楽坂、一水寮(工芸青花のギャラリー)での「ロマネスク石に触れる日々」ももうすぐ。
今回は多くの油彩を描いた。
金沢先生とのトークもあり。info>


会期|2022年9月30日(金)-10月4日(火)
   *9月30日は青花会員と御同伴者1名のみ
時間|13-20時
会場|工芸青花
   東京都新宿区横寺町31-13 一水寮(神楽坂)
出品|nakaban

この二箇所の展覧会、会期が短めで、興味持ってくださる方はご注意を。

9/17/2022

『SAUNTER magazine vol.5』刊行記念 nakaban 装画展 at OWL1F

 





『SAUNTER magazine vol.5』刊行記念
nakaban 装画展 at OWL1F
2022.9.15 (木) - 10.3 (月)

『SAUNTER Magazine vol.5』の刊行を記念して、装画を手掛けられた画家・nakabanさんの装画展を開催します。会期中は nakabanさんの装画作品、装画本の展示を行います。もちろん関連書籍、作品の販売も。

「移動生活」という特集が掲げられた『SAUNTER Magazine』最新号を味わうと同時に、nakabanという名の、日本の出版史を語る上でも避けては通れない画家との邂逅を。その世界観への没入を。 ぜひお誘い合わせの上ご来場ください。



 nakabanさんとは、僕が暮らす屋久島で出会った。トウヤマタケオさんとのユニット「ランテルナムジカ」としてライブをしに来た時だ(nakabanさんはVJ担当)。もともと山尾三省さんの書籍の装画や、島にあるお店の看板を描いたりしていたりして、屋久島とは縁がある人だけど、僕との初対面は挨拶と雑談程度で終わった。
 キルティブックスとして3冊の本を出すことになった2022年。特に力を入れて3年がかりで取材している屋久島古謡まつばんだノンフィクション『南洋のソングライン』の表紙をnakabanさんに頼むのはどうか、と考えて著者の大石始さんに聞いてみた。大石さんも賛成し、僕からメールを送ったのが昨年の11月。nakabanさん自身も思い入れのある屋久島の仕事ということで即決してくれた。やり取りするうちに僕の頭の中はnakabanさんの絵でいっぱいになり、気づけば同時進行で作っていたサウンターマガジン第5号もお願いすることに。3冊しかないうちの2冊の表紙をnakabanさんに託すということは心中するに等しいので、ちゃんと会って話そうと、4月にnakabanさんがアトリエを構える広島を訪れた。一緒に書店に行ったり、カレーを食べたりしたけど、なぜか仕事の話はほとんどしなかった気がする。
 nakabanさんのアトリエには椅子がなく、立って絵を描いていた。なるほど、濃い色の絵でも軽やかに感じるのはそのせいかも知れない。

サウンターマガジン編集長 国本真治


SAUNTER Magazine

 


SAUNTER Magazineの最新号(5th)

絵を描かせていただいた。
屋久島の愛子橋に佇む高城剛さんの周囲に線画を。効果的な特殊印刷。
SAUNTERとは逍遥という意味のようだ。

そして…この原画は今、鹿児島のOWLに展示されている。
その他、企画展としてわたしの過去の本の仕事が大量に展示されているはず。
OWL 〒892-0842 鹿児島県鹿児島市東千石町14−16 1-2F
会期は 2022.9.15 (木) - 10.3 (月)

9/13/2022

13. Septembre.

 

描きかけの、夏の終わり、海辺の町。
生まれた土地にへばりついて暮らすもよし、旅の空にからだを削り飛ばすのもよし。

9/09/2022

「暗闇に手をひらく」金沢へ



ライブのお知らせ。

阿部海太郎さん、大崎清香さんとの公演「暗闇に手をひらく」が金沢に巡回。(10/9)
会場はshirasagi/白鷺美術
素敵なところです。
公演の内容ともぴったりの会場。

詳しくは Umitaro ABEサイトをご覧いただけたら 

9/07/2022

7. Septembre. ロマネスク:石にふれる日々


工芸青花のPodcast

青花茶話|17|金沢百枝|nakabanさんの絵とロマネスク

ラジオ感覚でおききください。
(尊敬する金沢先生と青花編集長の菅野さん。わたしはやっぱり緊張しながら聴いてしまった)

謎に満ちたロマネスク〜zodiaque叢書 たどって製作中。
わたしの形の好みのルーツはロマネスクと李朝民画のハイブリッドだと思っている。
お守りのようにzodiaque叢書も持っているが、、、これが宝の持ち腐れで、、、久しぶりに、こんなに良かったっけ?とひとりごと言いながら本をめくって絵を描いている。(叢書はRoma Latium以外全部持ってる。)

フランス語はもっと勉強したい。
フランス語のまさにconsacrer(捧げる)という単語がこの本88冊を作ったアンジェリコ神父のお仕事ぶりをあらわしている。
常人には及びもつかない。

■展覧会|ロマネスク:石にふれる日々


□2022年9月30日-10月4日|13-20時|工芸青花(神楽坂)


*9月30日は青花会員と御同伴者1名のみ


□出品|nakaban


https://www.kogei-seika.jp/gallery/20220801.html


■講座|工芸と私62|nakaban+金沢百枝|ロマネスクと私たち:ゾディアック叢書のこと


□2022年10月1日(土)15時‐17時|一水寮悠庵(神楽坂)


https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=926

8/29/2022

風景のレシピ



「風景のレシピ」が早くも10作に到達した。
少しづつサムネールが増えてくるの、面白い。
これはニヤニヤと切手のコレクション帖を眺めていたときのことを思い出す。

絵をレシピにするなら、画材という物質が材料ということになるけど、それ以外はやはり精神性なのか。
でも精神性と片づけてしまうと何か肝心なものが抜け落ちているような気がする。

現時点の答えはコンテキスト、かなあと思っている。
そこにストーリーと書くと少し人情味に溢れて過ぎるというか。
わたしを知ってもらいたいと思って始めた表現が、いつの間にかべつの何かに変化していたということだろうね。
もっと澄んだ流れをつかまえたいというねがいに変わっていく。

8/20/2022

20 Août


手間がかかるぞー。こんなに大変だとは。

食べ物でも石でも虫でもよくて、毎日何かに意識的に触れるのがわたしの夏休みの宿題。
手は毎日生傷が絶えないくらいが良いと思いますハイ。

Figs: Lampeira Preta, Albo, Sultane (clockwise from the top)
Bread: Sourdough Bread #2

8/19/2022

8/16/2022

16. Août



AIが描いた絵が話題になっている。みなさまはもうご覧になっただろうか。
これは本当に驚いた。文句を書くつもりはなくて、本当に素晴らしい。
生身人間のイラストレーターの仕事は無くなってしまうだろう。泣。
フォトグラファーさんの仕事も半分くらい無くなるかも。

これは世界中の画像を集めて生成しているのかな?
そうなのだろう。みんなが上げたinstagramの画像とか、googleのストリートカーが撮った写真、果ての隅っこにはわたしの絵のWEBに漏れた画像ももちろんAI絵画の材料に含まれてるだろう。モネ風やジブリ風の絵をみたが、名画を描く巨匠は亡くなってもその作風の遺伝子が残るということでもある。
AIが参照しているものが、ビットマップの画像だけではなく、3Dモデリングなんかを盛んに行うようになり、そしてAIが自主的に筆を取るようになれば、仮想現実世界が爆発的な勢いで生成されていくのではないか。
さらに、さらに、AIが無限に増え続ける絵を自ら鑑賞、評価、創作するようになれば、完全にAIだけによる完結した世界(sphereとでもいうべきか)になっていくだろう。それが無数の葡萄のふさの様に出来てしまう。
その(sphere)に人間が訪れるようなイメージ。面白いだろうが一生かかっても見きれない。
まあコンセントに繋がった仮想世界での話だけど。子どもたちは仮想世界が大好きだしメタバースのこともあるし、どうなってしまうのだろう。

画家はいま、別の価値観に舵を切るときだね。
匂いとか手触りとかはまだAIはできない。でもそこにしがみつくのもかっこ悪い。

わたしはどうするだろう。もうここ何年かは画像的な意味での魅力づくりの努力には重きを置いていなくて、むしろ一見つまらない絵を描きたい、と発言したりしている。
作るもの自体ではなく、その周辺に何か気配のようなものが欲しいな、とそればかりを思って描いている。
できあがる前の絵、未来の絵が、わたしをけしかけて、絵を描かせている?なんて思うことも…

その気持ちの動きがおもしろくて、それこそ誰かに響くと信じていて、その痕跡を残しておきたい。
君、AIができないところに逃げようとしているな、と言われたら、まあそうです、なんだけど。笑
ただ、AI絵画の進化がこんなことになってるのを知りもせず、自分の傾向がこの何年かでどんどんこのように変わっていったのはやっぱりこういう意味もあったのだなあと。
このところ、音楽家さんや詩人さんたちとのライブで時間足らずの、それも失敗だらけの絵をたくさん描くようになったのも、多分関係があるのだろう。

誰もいなくても、絵を描くときはすべてライブであるのだけど、そのライブというのがコンピューターにとっては無駄で、ひとにとっては反対に大事にするべきところなのかも。