figs of many
それがわたしには難しい。
果物を描くならお皿にのせる。
どういうふうに並べたらいいのか。
ずっと以前に広島の本通りで100円で買った白いお皿が気に入っていて、だいたいこれ。
輸出用の美濃焼のアウトレットだったのだと思う。
これらの静物画をセレクトして、額装して10月に展示する予定。
果物もあるけど書物の絵が多い。
会場は東京の本屋・Title。また近くお知らせします。
豊橋日帰りで三原で降りてトウヤマ邸へ。
車を降りてうわっと驚く。ますます大地のエネルギーがUPしていて圧倒された。
ニホンミツバチの採蜜をお手伝いに来たのだ。
トウヤマさんは畑仕事用のオニヤンマのバッジをつけてミツバチに接したせいか、少し蜂の群に警戒されているようだ。笑
そしてわたしはいつもこの家の犬に吠えられる。バウワウ。
翌朝、夫妻は全身完全防備の養蜂家の服。わたしも持っているけど暑くてそれは一回着ただけでしまってある。
なのでもう普段着で。手袋もしない。わたしは採蜜の時も素手が好きなのだ。むしろ刺されたいくらいだ。でも刺されない。
巣箱を切るとすごく綺麗な断面でAI画像かと思った。いいものを見た。
蜂蜜は場所によって当然味が変わるけど、トウヤマハチミツは食べてみると森の蜂蜜として売られてあるものに近いと思った。
トウヤマなおみさんの丁寧な記録 オフグリッドブログをどうぞ→⚫︎
パン。もう一年くらい焼いているので習慣化しているような。
おいしくもないけどまずくもない。なんでもない。
ただわたしはこれは特別な食べ物だと自分で思いこんている。旅の大切な携行食のようなイメージ。
もそもそとそれを食べられれば十分で、そんなパンと何かの付け合わせが、たまに美味いものができてしまうとむしろ何だか気まずい。
パン焼きのいいところは絵が進むことである。発酵の時間、余熱の時間、焼いて冷ます時間。
その間に少しでも制作を進められたら。という気になる。
その話で言えば、この時代なのに、CDをプレーヤーで聴きながら絵を描くのもそれ。
例えばモノ・フォンタナの「クリバス」(懐かしの)。
その演奏時間の間に、停滞していた絵が印象が変わるくらいに描きすすめられたら。
この年齢なのにぬいぐるみを買った。とてもかわいらしいカラスのぬいぐるみだ。
ちゃんと視線があって、わたしが仕事しているか見張ってくれたらいい。
でも、このようにどういうふうにあがいても、わたしは生産性のひとではない。
むしろ、挿し絵の仕事が山積すると関係ない絵を描いてしまう。昔からそうだ。
頼まれていない絵を描くことで、気まぐれな創作の喜びをキープしたい。
社会にいただいた仕事の締め切りは迫るけど、こうして回り道で、面白がりの気持ちを保ちながら、結局は全てを上手に進めて行ける、という根拠のない自信がある。
八月。絵本「ぼくのうみ」(小学館)が発売間近。
今回、作と絵を両方担当させていただいた。とても嬉しい。
しかもデザインは川名潤さん。とてもきれいなデザインなのだ。本から海風が吹いて来るような。
わたしはこの絵本でラストでもいいと思っているくらい気に入っている。
この絵本がどんな絵本なのか、今はまだ説明できない(海の絵本なのは間違いない。ほぼ海しか出てこない)。
絵本を成立させるための物語の起伏はあるのだけど(←それも過去一番に練りに練った)それも大切にしながら、この絵本は、海のそばの部屋に短期間にでも読者が滞在しているつもりになっていただいて、その海の時間の素敵なことを感じ取っていただけるような内容したつもり。
自分は声を大にして言いたいのだけれど、自分の感情と目の前の世界の景色がいかに共鳴しているか、わかると思う。そしていかに風景がすり減った自分を癒して元気にしてくれているのか。
こんなに自分で解説しちゃって大丈夫か、と自分でも思ってしまいそうなものだけど、大丈夫。
そのような作者の思いなど、絵本のレイヤーのごく一部にすぎないのだから。
自分でもわからない、心の表層には浮かんでいないのだけれど、今この頃の気配や手触りだけは確かに感じていて、それはまたどこかに行ってしまう(抽象的でスミマセン)。
その何かって何なのか。それを消えてしまわないうちに表現したい、ページに定着させたい。そう思って絵本をつくっている。
そんなことは可能なのか、と言えばもちろん自信はとてもない。
文章は完全にフィーリングで書いていくので、思いはあるのに全体の整合性がなかなか危うくて、いつも編集者を困らせてしまう。この絵本を企画し、出来上がりまで丁寧に担当してくださった小学館の正谷さん、本当にありがとうございました。デザインの川名さんにも感謝を。多分何度も読み込みのチェックをしてくださった小学館の児童書編集部の方々にも。
そして制作の最終局面、もう締め切りの間際に(本人にとっては)奇跡のようなことが起こり、絵本ができあがる。
そんなこんなで、絵本作家としては危ういわたしなのだけど、多分そのおかげで絵本の作り方は独特なのかもしれない。
そんな作者もとても気に入っている「ぼくのうみ」をぜひお手に取っていただけたら嬉しいです。

春に植えた花々の苗はすっかり土着の植物たちに呑み込まれてしまった。
大量の漆喰塗りや文章仕事が多くて絵をしばらく描いていなかった。漆喰は塗る満足感かあったので、それもある。でも、絵を描いていないと、どこか落ち着かない。
ブランクが開いてしまうと絵に向かうのがこわくなる。急に絵というものがどこか遠い高尚なものに感じられ、どうせうまく描けないのでは?という気持ちがになってしまうのだ。よくない傾向である。
そういうときは、絵の具のチューブを無目的にしぼり、強制的に何か描き始めるのがよい。
その「何か」がわからないんだ、と自分のカケラが問うが、その「何か」はすでに近づいて来ていて、わたしの身体の周辺、空中に浮遊している。それが筆を持ち、手を動かすことで画面に定着される。
実際、絵は楽しくて「あーこれだ」という嬉しさがすぐにやってくる。しかしどれだけ長く絵を続けていても、この楽しさの感覚が身につかない。好きなことほど、ためらいが起こるようにわたしの心はプログラムされているのかもしれない。
モチベーションは座して待っていても生まれなくて、何かを始めると湧き上がってくるのだ。それは焚き火の火と同じで、最初のマッチのひと擦りが、すごく小さなことなのだけど、その瞬間の前と後では全てが変わってしまう。どのように発火させるか。
それだけを考えるとよい。

ガラス瓦を使ってトップライトを開けた。
瓦は数種の規格があり、元々の瓦の形状各部のサイズを測定してフィットするものを探す。
この家屋が古すぎて、防水シートは既に劣化し穴だらけとなっている。
しかしその割に雨漏りが発生してないので、そのガラス瓦の下部部分の防水シートを思い切って切り取ってしまった。
雨漏りしたらそのときまた対策しよう。。。
そして、これでさらに冬が寒くて夏は暑いという、過酷な環境になりそうだが「採光」を優先した。
とても明るくなって満足度が高い。