
大きなサイズの作品を描かれる画家さんと最近会って、お話をお聞きしているうちに
このようなサイズの絵を描くときはパネルから制作することが多い。もちろん映画の「マルメロの陽光」の画家さんを思い浮かべながら。
最近の西日本は雨も降らず灼熱状態で、蚊も暑すぎて滅ということで却って野外での木工も捗るというもの。

春に植えた花々の苗はすっかり土着の植物たちに呑み込まれてしまった。
大量の漆喰塗りや文章仕事が多くて絵をしばらく描いていなかった。漆喰は塗る満足感かあったので、それもある。でも、絵を描いていないと、どこか落ち着かない。
ブランクが開いてしまうと絵に向かうのがこわくなる。急に絵というものがどこか遠い高尚なものに感じられ、どうせうまく描けないのでは?という気持ちがになってしまうのだ。よくない傾向である。
そういうときは、絵の具のチューブを無目的にしぼり、強制的に何か描き始めるのがよい。
その「何か」がわからないんだ、と自分のカケラが問うが、その「何か」はすでに近づいて来ていて、わたしの身体の周辺、空中に浮遊している。それが筆を持ち、手を動かすことで画面に定着される。
実際、絵は楽しくて「あーこれだ」という嬉しさがすぐにやってくる。しかしどれだけ長く絵を続けていても、この楽しさの感覚が身につかない。好きなことほど、ためらいが起こるようにわたしの心はプログラムされているのかもしれない。
モチベーションは座して待っていても生まれなくて、何かを始めると湧き上がってくるのだ。それは焚き火の火と同じで、最初のマッチのひと擦りが、すごく小さなことなのだけど、その瞬間の前と後では全てが変わってしまう。どのように発火させるか。
それだけを考えるとよい。

ガラス瓦を使ってトップライトを開けた。
瓦は数種の規格があり、元々の瓦の形状各部のサイズを測定してフィットするものを探す。
この家屋が古すぎて、防水シートは既に劣化し穴だらけとなっている。
しかしその割に雨漏りが発生してないので、そのガラス瓦の下部部分の防水シートを思い切って切り取ってしまった。
雨漏りしたらそのときまた対策しよう。。。
そして、これでさらに冬が寒くて夏は暑いという、過酷な環境になりそうだが「採光」を優先した。
とても明るくなって満足度が高い。
夏至通信
⚫︎オリーブの木を運んだ
以前、引っ越してきた場所に元々あった前の住人のものであろうオリーブのミッションの鉢植え。
いじめていたわけではないが、つい水やりを忘れてしまっても、けなげにベランダで生きてきた。自らのカリカリの落ち葉を栄養源にして。それをついに仕事場に運ぶ。土を足してやろうと思う。
この木は旅をしている。
我が植え過ぎ庭園のオリーブの木はこれで「サンタカタリーナ」と「バロウニ」そしてこの方「ミッション」のトリオとなった。
⚫︎メダカの名はサタン
サタンという黒くておっとりしたメダカが産直市に売られていた。
これを買って庭のトロ船池に放流。少しは蚊が減ってくれるだろうか。あちこちにいるかえるはこのメダカを食べてしまうだろうか。
メダカといえばピンピン泳ぐ魚だったような気がするが、このサタンめだかはおとなしそうな種である。
サタンといえばミルトンの失楽園に出てくる憎めない存在の悪魔をまず思いだす。サタンというトマトもあるし土星もサタンである。悪魔であるサタンというその名前にだまされてはいけない。堕ちてしまった存在で元天使である。自分の内の悪魔から目を背けてはならない。
⚫︎二階堂和美のコンサート
何度目かわからないニカさんのコンサートに行く。
言葉なきスキャットがいいな、と今回思った。
生まれて育てられつつある歌だけでなく、うまれる前の歌、忘れ去られた歌もニカさんは大切にしているのではないだろうか。
ニカさんのコンサートは感動の嵐なので、今回は感動に引っ張られないようにように聴いてみようと。お客さんが歌う場面がたくさんあったがわたしは歌わなかった。小学生みたいだ。
でも、美空ひばりの「一本の鉛筆」を歌ったのにはやられてしまった。1974年に生まれた曲。
雑誌「山と渓谷」の連載だった「山小屋からの手紙」が単行本に。
仙台空港でOnReading黒田さんたちと合流、電車とバスを乗り継いで「曲線」へ。
表通りから一歩入ると、野生的だけど不思議な秩序を感じる庭があり、その向こうに久しぶりの扉が。
菅原さんと再会を喜び合い、展示の設営をはじめる。壁の色が淡いアイスグリーンで塗装されてあり、In Modest Blueの絵たちにとても合う。
あちこちのを素敵な本を見たい気持ちを抑え、釘を打って絵を飾った。と偉そうに書いているけど、黒田さんたちが結構やってくれた。
とてもいい展示になっているので、ぜひどうぞお出かけください。
