12/04/2021

expo:「nakabanの画板」


熊本の「さかむら」で展示をさせていただく機がまたまた巡ってきた。
久しぶりに自分でDMのデザインしたけど、やっぱりミスが。
サイトのアドレスが.com.jpってなんでだ。誤植です。申し訳ない。
坂村さんには内緒にしておこう。

今回はまた新たな気持ちで風景をたくさん描いている。
ダーラナのように風景と会話しながら歩いているような感じだ。

「nakabanの画板」
2021.12.20 (月) 〜 2022.1.22 (土)  
11:30〜21:00 日曜休
〒860-0842 熊本市中央区南千反畑町5-15 
電話  090-9397-6501 




11/25/2021

「バスにのるひ」

 


「バスにのるひ」
はせがわさとみ:作 nakaban:絵
編集:トムズボックス
book design: 坂川朱音(朱猫堂)
絵本塾出版より11月末発売



11/22/2021

22.Novembre


恵比寿、ギャラリー山小屋、まだ設営中。いよいよ明日から。自転がはじまる。途中の劇場 

11/19/2021

19.Novembre

あたらしい絵本「ダーラナのひ」が無事にできあがった。

編集は偕成社の丸本智也さん、デザインはtentoの漆原悠一さん。
素晴らしいチームだった。頼りまくり。ありがとうございました。

果たして本屋さんに置いてもらえてるのか現実感はないけど、お見かけたとき手にとってめくっていただけたら嬉しい。

kaisei web「わたしの新刊」

初期のラフスケッチのテキストが載ってる。

火のあるところがいるところ
翳って光れ 狼の目玉
廻れ 転がれ 石のつぶて

11/13/2021

自転がはじまる。途中の劇場

 






















突然だけど、人形劇をやってみたい。
思い立ったらはじめてみようと。

nakaban×山口洋佑×川内有緒というこのチーム。面白そうでしょう?

はじめてみたら人形劇が最終到達点になるのか、それすらもわからないこのわくわく感w
このプロジェクトは続きもので、まずは楽しいopen studio的展示を。
どなたさまもお楽しみください。

「自転がはじまる。途中の劇場 and then, the rotation begins at the theater of on-going」

東京都渋谷区恵比寿1-7-6陸中ビル1F
11.23 tue - 29 mon  2021 
14:00-19:00
企画運営:MOVE Art Manegement
宣伝美術:高野美緒子


11/10/2021

グランマ・ゲイトウッドのロングトレイル



カバーの絵を担当させていただいた。
原著は"Grandma Gatewood's Walk"
ハイカーにとってバイブル的な書。
67歳になってアパラチアン・トレイル(2050マイル)を歩いてみようと思い立ち、
ありえない軽装備で踏破してしまった伝説のおば様の本である。


「グランマ・ゲイトウッドのロングトレイル」
ベン・モンゴメリ著 浜本 マヤ訳
尾崎行欧デザイン事務所:装丁

山と渓谷社 刊
2021.11.17発売 2,640円

11/08/2021

8.Novembre





絵本をとじると、ダーラナとおなじように、
きみもわたしも、こころを澄まして風景と話すことをはじめる。
ほら、この暗闇の中にいても、だんだんとこわいものが、なくなっていく。
その、こわいものがなくなってしまったあとの、ぽっかり空いた明るい点を見つめてごらん。
いまというときに無関心ではいられなくなり、あたらしい旅をはじめたくなるから。

11/01/2021

1. Novembre


トークイベントの機会は滅多にないけれど、この11月は高松と広島の2カ所でお話をさせていただくことに。

11/7(日) 「画家nakabanはときどき絵本作家?」
高松市図書館主催 サンクリスタル高松 3階 視聴覚ホール 13:30~15:00
与えられたお題は絵本。壮大な絵本の世界について語る資格はないので、自分の絵本制作活動を振り返ってみようかと。
ご案内のフライヤー


11/20(土) 「そして誰も語らなくなった?」
詩人アーサー・ビナードと画家 nakabanにヒロシマのこれからをきく
F・C・L ひろしま主催  広島市留学生会館 13:30~16:30
申し込み先 090-2866-5422(佐々木) ←会期後はお電話番号削除予定。
アーサー・ビナードさんと対談。
このテーマついて話すことも滅多にないのでこの機会に

10/26/2021

26.Octobre



燕が南に飛んでいくのを眺めていた。
空中に描く孤が多層の波になって、こちらにも旅立ち前の高揚感が伝わってくる。
わたしの代わりに南に飛んでいく燕(うらやましー)。
でも燕たちが去り、わたしの視野から消えてしまうと、その眺めているわたしと燕たちとの繋がりの糸は絶たれてしまう。

鳥は世界の方々に星や風のことづてを伝え、だんご虫は黙って地面を作り続けている 。
じゃあ、「ひと」である自分の担当はなにか?
浅く眠りながら考えていたが、ふと、「きちんとさせること」という言葉が思い浮かんだ。

ほう、きちんとさせる〜。
あんた暮らし系ですか?
いえいえ…

むろん、鳥やだんご虫の特性すらをひとは持っている。
自分の意識は目に映る風景にひとしいからで、だれもがなんでも出来るからだ。
あるいはこうも考えられる…いま、身動きのできないわたしの代わりに、大きな領域や小さな領域をかけ廻り、遊んでくれているのが鳥や虫たちであるのかもしれない、と。 (そう思うことによって視野を拡げようとするわたしの無駄な努力w)

しかし、きちんとさせるというのはなかなかどうして「ひと」だけにおおきく付与された特性ではないか。
(実際は猫が毛繕いに時間を割くように、他の生き物もけっこうきちんとさせている)
きちんとさせるということは深くて、それは、誰もみていないところでそれをするということに関係していて、高貴な遊びなのである。

きちんとさせるときには注意したいことがある、整えるなどと言いつつ他の存在を傷つけたり憎む気持ちを持っていてはいけない。(つまり、ゴミ掃除の時にそのゴミを憎むなど)
行為の透明度が鈍るからである。
だから高貴という言葉を使った。 

絵を描くときは一種の画面という箱庭の中でそれをしているような気がする。 
とくに油彩には失敗を更新しながら整えるという一面があるが、そのときに失敗を憎まないことが同じように大事で、失敗したときにチッと舌打ちをするような状態だったら、わたしは描くのをやめるようにしている。
その箱庭の中ですることは箱庭の外部に影響が及びそうな気がして、ひそかにこわいのである。 もしかしたら長い間飾っていただくかもしれない絵だと思うと尚更である。

描くことに何かの目的とか望みがあるとするならば、品よくありたいというものがいつも第一で、そういうことって、結局自分が気取った態度を取りたいだけなのかなあ、と考えていたが、寝ぼけながら思い浮かんだ「きちんと説」をかんがみるに、ここにはもっと深い何かがあるのではないかと思うようになった。 まあはっきりとしたことは見えないんだけど。

ある友人はガラが悪くて品がいいというのが一番良き態度であると言っている。
その友人の店で年末に展示します。

10/09/2021

9.Octobre



金沢。
本日は« Tentopathie »