荷は無事に瀬戸内海を渡ったようだ。
タブロー制作はしばらく時が開いたので(別のお仕事をしていた)
ちょっと制作気分も変わったのか、絵の雰囲気まで変わったような気がする。
絵の話以外のことだが、額の木の部分、今回自分で製材した。
板を薄く加工するのはとっても大変なのだが、このたび設備が整った。
わっぱの弁当箱とかギターとか、薄くした板をさらに曲げてあってすごい技術だと思う。
春になってツバメが戻ってくるころ、ミツバチの巣箱が騒がしくなったら分蜂の兆候。
巣箱の表面がミツバチだらけの真っ黒になる。
ミツバチを見慣れていない人が見たらびっくりしそうだ。
この時、ミツバチは巣分かれの見送り集団と出発集団に分かれるようだ。
出発集団は巣箱の近くの木や軒下に塊を作り、しばらくそこでモゾモゾして、そこから新天地へと飛んでいく。
これを見送るのもいいが、養蜂をする人たちはその塊を丸ごと捕まえて、巣箱を増やしていくわけである。
梯子をセットして、群れたミツバチの近くで待機する。
枝にとまった蜂の集団がスイカのように丸くなって、枝から垂れ下がってくる。
そして機を見て虫取り網でその塊を掬い取る。
この塊の状態は、一見恐ろしいのだが、実際はミツバチたちはおとなしい状態なのだ。
だが、その塊を網に掬い取ればミツバチはさすがに驚いて、大騒ぎになる。
すかさず網の口をダンボールでおさえ、雑に蓋をする。
ぽろぽろと隙間から蜂が逃げていくが、そのまま網を新しい巣箱の場所に運び、
巣箱の脚の部分、(説明が難しいが、木や鉄でできた天板のないテーブルにようなもの)に網を載せる。そのときまだダンボールは被せたままだ。
ミツバチでいっぱいの網の上に巣箱の最上段を被せる。
日本ミツバチの巣箱はただの空洞の枠を重ねているものなのだが、この巣箱のトップだけにはスノコ構造の空間が開いた蓋があり、そこが新しい蜂の巣の起点になる。
蓋をしていたダンボールをゆっくりスライドさせて抜き取る。
すると、ミツバチたちは網の部分から被せた巣箱へと昇っていく。
ミツバチは暗いところに集まる習性があるのだ。
この集団の中に女王蜂がいないと失敗だ。(実はわたしは先日失敗している)
しばらく待って空っぽになった網をそっと取り外し、代わりに巣箱の出入り口部分のパーツを台に乗せ、その上に蜂でいっぱいの巣箱のトップを載せる。
さっそく出入り口付近にミツバチが出てくる。
そのミツバチが、出入り口で羽根をバタバタさせている。
女王蜂のフェロモンを周辺に撒き散らして、外を飛んでいる後発の仲間を呼んでいるのである。
すなわち、女王蜂がこの巣箱に収まっているということを表わす。
ミツバチは新しい巣の周りを惑星のように周回して位置情報をチェックする。
そのとき、そばで観察しているわたしもチェックされる。
もちろん刺されるということはない。
一日経っても蜂が逃去していないのでこれで分蜂は完了。
というわけでミツバチ が二群になった。
追記>
その後逃げられ、また捕まえ、また逃げられ、また捕まえた。
北極の冷たい空気が天体の回転の遠心力であふれて、ときおり日本の上にかかる。
それで冬がさらに冷えているようだ。
キッチンのオリーブオイルもすっかり固まってしまった。
他人事のようだが、この時期、制作する絵も灰色のものが多い。
自分には珍しくある仕事で映像を制作している。
梅はまだ咲かない。去年より1ヶ月以上遅れている。
ミツバチが何匹か寒さに脱落して死んでいる。
それでも巣箱の中で丸く塊を作って暖めあっている。けなげだ。
この丸い塊全体が本当に一つの生命体のようである。
年が明けてから果樹をたくさん植えた。
洋梨、プルーン、ネクタリン、アーモンドなど。
果樹は超密植になってしまった。
ほぼバラ科なので、虫にやられたり病気になってしまうかもしれない。
南国系果樹のチェリモヤやロンガン、アセロラは面白そうだから植えてみたが寒さで枯れてしまう。レモンも先端部がきびしい。
香りコニファーのブルーアイスを数本植えた。ブルーアイスは何本あってもいい。
この庭、去年は棘のある野苺を取り除いていたが、今年は
つる日日草を抜いている。つる植物はぐるぐる巻きにすると枯れる。
逆に巻かないと陽に晒しても青いままでずうっと枯れない。これが不思議だ。
マチエールは漆喰。以前より下地に何かを使うことが増えた。
2月8日、東京の青山ブックセンターでトークイベントが行われる。
この「まど・みちおの絵本」シリーズでわたしが担当したのは「水はうたいます」という作品。****