3/28/2021

28. Mars


"torres novas"

3/22/2021

Eテレ怖い絵本


3/26(金)午後9:30〜10:00  Eテレ怖い絵本
「悪い本」「はこ」「ことりぞ」

再放送
4/2(金)0:00〜0:30<木曜深夜> Eテレ


小野不由美さんの「はこ」が番組に取り上げられる。
「はこ」は怖い話だからなあ。

自分の身に起こることとしては、こういうのが一番怖いから、起こってほしくない、と子どもの頃からイメージしていたことがある。
(それはさいわいにしてまだ起こっていない。)

1)自分の生活圏のすぐ近くなのに、絶対に戻ってこれないエアポケットに落ちる。
2)他の人がすぐ近くにいるのが自分には見えるのに向こうからはわたしは見えない。助けを求める声も届かない。
3)その特殊な空間で死ぬこともできず、歳を取れないで、ずっと永遠に白い空間に閉じ込められている。

そういう感じ。

それとは少し違うかもしれないけれど、それと近い怖さが小野不由美さんの原作にはあって驚いたのだった。だからわたしには30年分以上の予行演習があったので、絵本の絵を描くとき、頭に浮かぶ映像をなぞるだけだった。


3/18/2021

18.Mars アサノタカオ随筆集『読むことの風』刊行記念展 @スロウな本屋




お久しぶりの更新。

明日から岡山の「スロウな本屋」でアサノタカオさんの「読むことの風」原画展。
原画は非売だけど、オリジナルの絵を3点販売。

Titleは
「greek glass in blue」
「morning light」
「english daisy」

コップの絵は写真撮るの忘れた…

佳きたたずまいの本「読むことの風」をぜひ手におとりください。

アサノタカオ随筆集『読むことの風』刊行記念 nakaban 装画・本文イラスト原画展
日 時:3月19日(金)- 4月11日(日)11:00–19:00 火曜、第2月曜定休(最終日は17時閉店)
場 所:スロウな本屋 / 岡山市北区南方2-9-7


3/06/2021

6.Mars

 


描きかけ。
光線の条件が重なり、カップの影が緑色に見えたとき、少し驚いた。
このvietri社のcucina frescaマグカップは気に入っていて、実は一箇所割れているのだけど膠で接着して使っている。
そしてうっかりそこにお湯をかけてしまうと、膠が溶けてそのパーツが取れてしまうのだ。






3/03/2021

3.Mars

パスツールの言いはじめた細菌理論は、ほんとうは根拠の弱い理論なのに、この150年栄えている。

その理屈を元手に、製薬会社の利益に誘導されるように、ずーっとずーっと、医学というものはわたしたちを騙し続けているのではないか、という疑いが拭えない。

わたしも、お母さんから、学校の先生から、手を洗いなさい、、と毎日言われ続けて育ったので、それを疑うこと自体に躊躇させられる。海外ではマスクをしていない人は警棒で殴られ、投獄される。

けれど、学校の先生も、親も、そして医者も病気になりやすくなるから、加工度の高い食品をたべないように、とは言わない。薬ののみすぎに気をつけなさいとは、言わない。そっちの方がよほど病気(状態)に近づく原因なのに。

実は、わたしはパンや菓子などの練る系の食べ物を食べる場合、作る人が調理前に石鹸で手を洗っていたらその石鹸の味がわかる。実家に行くと家中に漂う洗剤の匂いで気分が悪くなる(ランドリールームだけでなく家中の範囲で、である)。消毒のせいなのか、新幹線やブックオフも体調を崩す。こんなに敏感なのも考えものだが、要はあらゆるものが化学薬品に汚染されているということなのだ。

加工食品を作るメーカーが大事にしているのは、残念だけど、消費者の健康ではなくて、製品の品質維持で、要は出資者である株主の機嫌である。

そのような当たり前の指摘を、すぐに陰謀論だ、と貶める人が多い風潮であるが、そういう人は株式会社という仕組みのない夢の世界に生きているのかもしれない。

医者は、せっかく勉強して築き上げたキャリアが崩れてしまうので、自分で自分に暗示をかけている。この理論に間違いはない、と。

その証拠に、診察室で、医者の意見に異を唱えると、彼らはものすごく怒るらしい。バラバラの数人の実体験として聞いた話である。しかしこの細菌理論を脅かす生物学の発見というのが一方にあるのであって、それを医者はどのような気持ちで眺めているのだろうか?

繰り返すけど、医者が本当に人助けをしたいのであれば、食品添加物や農薬とか、電磁波とか、歯磨き粉のフッ素とか、さまざまな毒をもっと本気になって指摘するはずである。であるが、それをしない。業界から咎められ、学会から追放されるのが怖いからである。だから医学は本当は人助けだったはずなのに歪められている。

たまに、怪我をしたら消毒をするな、とか、常在菌を守ろう、というようなタイトルの新書が書店で売れることもあっても、文庫の野口晴哉の本が売れていても、いざ、今のような戦時下で自分が恐怖に囚われてしまうと、そういうひとたちの意見というのは結局なかったように忘れられてしまう。だからほんとうの読書というのはじつは難しく、あれは読書ではなくてただの気晴らしだったのか、ということになる。

細菌理論で現状を照らしてみるならば、私たちは「穢れて」いて、すれ違うあの人も穢れているので、敵対しあっている。レストランでは家族同士なのに透明なアクリル板で仕切られたりしている。どこかに連行される捕虜のように見えて仕方がないマスクの必須化。今、社会は何もかもが個人の生きることへの自信喪失につながる暗示に満ちている。

このようなルールにがんじがらめの、社会の末期状態を抜け出す方法のひとつは、あの細菌理論を疑うことではないだろうか?

この毒だらけの社会の中で、毒を摂取しながら生きている現実を見ないで、ただ細菌やウィルス(そもそも本当にあるのか?)だけを犯人扱いするなんて。その「治療」と称してさらなる毒を身体に入れるなんて。

当の医者が細菌理論を疑ったりすると、薬を卸してもらえなくなったり、研究資金を途絶えさせられたり、海外だと物騒にも殺されたりするようだ。

だからむしろ一般の人たちが自分なりに調べて考えることがだいじである。もちろんわたしのように細菌理論を疑うのでなく、信じる方向で検証するのでもいいだろうし。

とにかく、コロナのことでも、テレビやネット上の専門家(多くは製薬会社からの献金によってその発言にはバイアスがかけられている。参照)の言ってることを丸呑みしているだけだったら、ただ、騙され続けたままで、そのひとの人生はむなしく終わってしまう。