仙台のまちに降り注ぐ雨はちょっと嵐みたいだったけど、大きく育ったふかみどりの街路樹がきれいだった。
これから冬になっていくんだなあ。
できればゆっくり滞在しながらその様子を眺めていたい。
火星の庭から曲線へとはしごした。と書くと現代詩みたいだけどこの二つは本屋さんの名前だ。
ジャンアルプの詩集と小野和子「あいたくてききたくて旅にでる」と二冊の本を入手。
移動のバスの中ではコクコクと眠ってしまい、着いた石巻では雨はあがっていた。
駅前で南陀楼さんと勝さんに会って町を案内していただいた。
町の中心として栄えた古い百貨店だった建物の美しいタイルに目が釘付けになった。
日和山公園から観た外洋への憧れ。石巻のほの明るき路地裏の優しさ。
まだ新しい巨大な堤防に昇る。(宮城の友人からもらった大きな丸い石を衝動的に持って行ったので故郷の海を見せた)
帰りの飛行機から眺めた薄明のひかりもきれいだった。この旅でまた記憶の宝物がふえた。
いしのまき本の教室では、装丁家ではない立場なのに本の装丁のことを話すことになってしまい、どきどきしたが、自分はこの仕事に対してどう思っていたのかがわかった。
本のカバーの仕事の場合、大抵のケースではまず装丁デザイナーからの指示があるのであり、わたしはそれを楽しんでいるという気楽な立場なのだ。まず正直にそのことをお伝えした。それで、問題は指示などが何もない場合である。じわじわと本に絵をつけるなんて恐れおおいことこの上ないということが浮き彫りになってくる、その自信の無さゆえに出版社から「自由にやって」と言われてしまえば、わたしの場合、未来の本のページからやって来る言葉を待つというのが基本姿勢のようだ。
言葉を待つ。それをどうするかをプロセス化して教室で共有しようとした。
(0)その本、作家への思い入れを一旦断つ。
(1)本をアトランダムに開き「目に飛び込んできた言葉」を書き出す(複数回)
(2)冒頭のページから「目に飛び込んできた言葉」を書き出す(ひとつ)
(3)本の題名を書き記す
(4)そのペーパーを片手にエスキースを行う。(ワークショップでは時間がたりなかったが本当はここで(1)に戻ったりしながら数日くらいかけると良い)
でも、そういったメソッドはたぶん一回限りなのだ。
仕事によってその方法は即興的に毎回違う。
アイデアの呼び水を必死になってひくのだという考えが伝われば良いと思った。
呼び水の引きかたは畑や田んぼの立地によって異なるのであり、ちょうどそれと同じようにアイデア出しにおいても毎回違う。知的作業と実体作業はお互いを含む。
素晴らしい石巻の町に呼んでくださった「いしのまき 本の教室」の勝さん、阿部さん、こまきさんご夫妻、はじめスタッフのみなさん。
そして南陀楼綾繁さん。
本当に本当にありがとうございました。
しかし、教えるという才能はないなあ。今まで何回言ったか知らないけれどワークショップなんていう恐れ多すぎるお仕事はこれでおしまいにします。