寒いし、あれほど好きだった雪が憎くなる。(しばらく仕事場に行けていない)
でも立ち止まってみると、やっぱり雪や背景にひろがるブルーグレーは趣があって、寒さの手のかじかみなども案外悪くない。
目的やコストだけを見て生きることは幸せな生ではない。
そのことは思い出すには空白の時間を趣と捉え、かつ楽しむ余裕が必要だ。
しかし、そのためには多くの鍛錬や条件が要求される。
今いるこの世界のルールは、人々が趣を楽しむということをできないようにデザインされていると断言できる。システム側から見ればひとは単なる導電装置の中の粒子であり、ロボットや部品ですらない。
表現者としての自分を観察すると、政治情勢に無関心なふりをしながら、そのシステムでいいのか、とか、こういう心の扱いは良くないのではないか、とその作品に精一杯の余白を流し込み、遠回しな形で「過程」にある趣の大切さを世間に伝えているように見える。この状態で足踏みしていることが悔しくて、でもその先は見えてこない。
でも、まずはこの状態がわかっているかどうかが大切で、そうでもなければ、飼い慣らされているまま、そのまま終わってしまう感が半端ない。