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photo: Yoshihiro Narita
photo: Yoshihiro Narita
NyaboSseboと年内最後のライブをしてきた。
人体の常在菌の存在のことを考えると、この世の中は消毒のしすぎで、健康とは逆のことが行われている。
ただ、これは最近の傾向だけを言っているのではなくて、「手を洗いなさい」「消毒しなさい」とは、おばあちゃんの時代からのある種の洗脳とも呼べるものがあるように思う。
それはパスツール以来の西洋医学の歴史と重なる。やっぱり洗脳があったのかな…?
人が過剰な消毒行為で病気になりがちになった方が、病院が儲かるわけだから。まあ150年前は衛生面でも悪かったが栄養面も悪かった。現在は違う。
だいたい、100兆の細菌の集合体である人がマスクをしてせっせと自身を消毒しているのはあまりに滑稽すぎる現象だ。
とはいえ、かくいう不潔なわたしでも清潔感というものは大切だと思っている。わたしがこう言っても説得力ないけど。
清潔とはなにか。最近、ある掃除用品企業の会報の取材を受けた時に考えた。
身の回りをきれいにして風を通すことと、消毒的な行為は、確かに重なる部分もあるだろうが、ベクトルが大きく違うのだ。わたしは消毒がとにかくきらいなので、風を通す方に目を向けてみようかと思っている。
窓をあけて作業空間に風を通すことは好きだ。
とはいっても風がいつも吹いてくれているわけではなく、大きめのサーキュレーターを導入して毎朝仕事場の窓から埃を飛ばしている。
本の上などにも積年の埃が溜まっていて、そういうのもきらきらと飛んでいく。
それを眺めるのはとても気持ちがいい。ただ、予期せぬ暴風によって何かのメモが一枚飛んでいってしまった笑。
風が室内に良い感じに通るように物を片付けたり処分するようにもなった。
当たり前のことなんだけど、室内の物体をほんの少し動かしたり片付けるだけで空気の流れが激変する。埃の吹き溜まりのできる場所も毎日違う。そこは拭き取るしかないが、自然と拭き掃除もするようになった。
この作業が毎朝コーヒーの湯を沸かすくらいの時間でできるようになるのが目標だ。
創元社noteでの「風景のレシピ」はNo, 22まで増えた。●
ブオナッシージ氏の「パスタ法典」など、1000を超えるレシピ集はたくさんあるので、まだまだ続くかも(?)。
今回upの鳩小屋について。
鳩小屋(colombier, pigeonnier)とは地中海沿岸(エジプトなどアフリカ側起源か?)からヨーロッパ一帯に現在も残る建物。
食肉用、糞を利用した堆肥用、そして伝書鳩用、という風に利用された、とても愛らしい鳩のための建物。八角形、円形、木造のやぐら、ギリシャの紋様の入った四角い塔、など国ごとにさまざまでとても面白い。写真集があったら欲しいくらいだ。驚いたのが、先日のロマネスク展のために描いたイタリアの円筒形の教会建築にかなり似ている鳩小屋があったこと。
この鳩小屋、現在そこに居住できるようにしたり宿に改装した物件もあるらしい。
金沢で行ったTentopathieは、音楽家と画家が大量のツールを現場に投入して、建築家が大きなテントを建ててくれて、それでいてたった一人の客の為のパフォーマンス、というとんでもない企画だ。
ひとの体験、記憶とは何か。偶然とは、残響とはどういうことか、というようなことを考えていて、ひとりのために、という場を作ることに行き着いた。
-pathie である。切るのでも飲ませるのでも揉むのでもなく少しだけ心を自由にするという芸術療法。芸術家がついに怪しげで危なげな領域に手を出したのだろうか。
いや、そうではなくて、自由にするということが、ひとつの治癒と考えるならば、芸術はやっぱり治癒に関係する。
ひとは自由になったとき、世界と向き合い始め、対象と双方向となる。するとそのひとから恐怖と往々にして呼ばれる感情が少しづつ目減りして、だんだんと元気になる。
双方向になるということは、逆説的なことだが、自分も相手も消えてしまうということではないのかと考えている。ただ残るものは、四散した声のようなものだけ。
それで虚しくなるのではなく、むしろ面白がるのが素敵だと思う。その声を何者かが聞いている、という根拠のない予感を感じつづけたい。
そして明日は白鷺美術で「暗闇に手をひらく」。
雨はぱらつくけど良い秋の気配がそこかしこに。来る前に、金沢は寒いから気をつけてと連絡をもらった。わたしたちは気温の、寒い寒くないで判断しがちだけど、そのほかにも空気の肌触りとか、土地の違いで変わるように思える。
■展覧会|ロマネスク:石にふれる日々
□2022年9月30日-10月4日|13-20時|工芸青花(神楽坂)
*9月30日は青花会員と御同伴者1名のみ
□出品|nakaban
https://www.kogei-seika.jp/gallery/20220801.html
■講座|工芸と私62|nakaban+金沢百枝|ロマネスクと私たち:ゾディアック叢書のこと
□2022年10月1日(土)15時‐17時|一水寮悠庵(神楽坂)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=926
手間がかかるぞー。こんなに大変だとは。
ポルトガルのどこかの路上で拾ったなまくらナイフ。
何年も引き出しの中に放り込んであったが、今ごろになって出番が到来するとは。
本日、舞台ではわたしが拾ったモノだけで構成するパートがある。