12/29/2022

Live Photo* NyaboSsebo & nakaban at SALO


photo: Yoshihiro Narita


先日の大磯SALOのNyaboSsebo & nakabanライブの様子をNRTの成田さんが撮影してくださっていて、開いたらかなり素敵な写真でびっくりなのでご覧ください。

今年は何と言ってもNyaboSseboとの活動が大きくて、作品「Ponto Nodal」もリリース。NRTというブラジル音楽(特にミナスの音)好きなら知らない人はいない、憧れのレーベルからリリースできたことはもはや事件で、わたしのホクホクしてる心の音が聞こえて来そうでしょう。来年もコラボレーションが続くかもしれない。


12/27/2022

25. Décembre

 



NyaboSseboと年内最後のライブをしてきた。
神奈川県大磯SALO〜東京本郷ECHISOU BLDG。 
あわあわあわてたクリスマスライブの二日間。
NyaboSseboの田中さんが作った大磯のSALOのための曲、すごくよくて今でも頭の中にメロディが流れてる。

12/21/2022

21. Décembre(ライブのお知らせ)


もうすぐだけど、NyaboSseboとライブのお知らせ。

24日、神奈川県大磯のSALO、続く25日、東京の本郷エチソウビル3F。
詳しくはNyaboSseboのページをご覧いただけたら。→

機材が凍ってしまってはいけないから点検中。
ouzo(←ギリシャのお酒)は飲んでません。

12/14/2022

12/03/2022

11/25/2022

25. Novembre






真夜中に眠るかと思いきやパンを練習している。一体いつ寝ているのか。小麦粉500gのサワーブレッド。手が攣りそうになりながらipadで撮影。





11/21/2022

11/17/2022

「南洋のソングライン」

 

文筆家 大石始さんによる屋久島古謡まつばんだ取材記「南洋のソングライン」。

絵はポラロイド写真のようにフランス装のカバーに貼り付けてある。美しい本。
版元はサウンターマガジンのkilty books。11月20日発売。

まるで自分も島にいて著者の調査に同行しているような取材記風の構成で、臨場感たっぷりの素晴らしい内容。ぜひお手元にどうぞ。

11/14/2022

14. Novembre

 


風景をただ漠然と絵に描いて終わりとするのではなく、言葉として絵を記すこと。
こと。って書いてなんとなくやり過ごしてしまおうとしているわたし。自分でもそれがどういうことなのかわからない。言葉としてこういうふうに記して、いいのかそれとも悪いのか。
このレシピを書くということは自分のしていることの中でもかなり不思議な部類の作業だ。
意味がスパイスのように心の中でぱちぱち弾ける。それは絵にも影響している。まだ続く。

今回の更新は「スノードーム」と「漂着海岸」と「Mill House」。

11/13/2022

LISTEN OISO! #1


NyaboSsebo & nakaban ライブ情報。

12月4日(sun) 神奈川県の大磯にできる新しい場所「SALO」にてライブ。

こちらのSALOのオープニングを飾らせていただくことに!
ロゴマークとメインビジュアルは山口洋佑さん!

旅とテキスタイルも気になる…すごくすごく面白そうなところだ。

info   FB

11/12/2022

12. Novembre

 





なるほどなるほど。これがああなってあれがこうなって最後にボカーンというわけか。

11/09/2022

9. Novembre

人体の常在菌の存在のことを考えると、この世の中は消毒のしすぎで、健康とは逆のことが行われている。

ただ、これは最近の傾向だけを言っているのではなくて、「手を洗いなさい」「消毒しなさい」とは、おばあちゃんの時代からのある種の洗脳とも呼べるものがあるように思う。
それはパスツール以来の西洋医学の歴史と重なる。やっぱり洗脳があったのかな…?

人が過剰な消毒行為で病気になりがちになった方が、病院が儲かるわけだから。まあ150年前は衛生面でも悪かったが栄養面も悪かった。現在は違う。
だいたい、100兆の細菌の集合体である人がマスクをしてせっせと自身を消毒しているのはあまりに滑稽すぎる現象だ。

とはいえ、かくいう不潔なわたしでも清潔感というものは大切だと思っている。わたしがこう言っても説得力ないけど。
清潔とはなにか。最近、ある掃除用品企業の会報の取材を受けた時に考えた。

身の回りをきれいにして風を通すことと、消毒的な行為は、確かに重なる部分もあるだろうが、ベクトルが大きく違うのだ。わたしは消毒がとにかくきらいなので、風を通す方に目を向けてみようかと思っている。

窓をあけて作業空間に風を通すことは好きだ。
とはいっても風がいつも吹いてくれているわけではなく、大きめのサーキュレーターを導入して毎朝仕事場の窓から埃を飛ばしている。
本の上などにも積年の埃が溜まっていて、そういうのもきらきらと飛んでいく。
それを眺めるのはとても気持ちがいい。ただ、予期せぬ暴風によって何かのメモが一枚飛んでいってしまった笑。

風が室内に良い感じに通るように物を片付けたり処分するようにもなった。
当たり前のことなんだけど、室内の物体をほんの少し動かしたり片付けるだけで空気の流れが激変する。埃の吹き溜まりのできる場所も毎日違う。そこは拭き取るしかないが、自然と拭き掃除もするようになった。

この作業が毎朝コーヒーの湯を沸かすくらいの時間でできるようになるのが目標だ。

11/04/2022

11/02/2022

10/29/2022

「風景のレシピ」

 


創元社noteでの「風景のレシピ」はNo, 22まで増えた。
ブオナッシージ氏の「パスタ法典」など、1000を超えるレシピ集はたくさんあるので、まだまだ続くかも(?)。

今回upの鳩小屋について。

鳩小屋(colombier, pigeonnier)とは地中海沿岸(エジプトなどアフリカ側起源か?)からヨーロッパ一帯に現在も残る建物。
食肉用、糞を利用した堆肥用、そして伝書鳩用、という風に利用された、とても愛らしい鳩のための建物。八角形、円形、木造のやぐら、ギリシャの紋様の入った四角い塔、など国ごとにさまざまでとても面白い。写真集があったら欲しいくらいだ。驚いたのが、先日のロマネスク展のために描いたイタリアの円筒形の教会建築にかなり似ている鳩小屋があったこと。

この鳩小屋、現在そこに居住できるようにしたり宿に改装した物件もあるらしい。

10/22/2022

10/18/2022

18.Octobre



予防効果があるかどうかの製品テストをせずにリリースされた、ということで、コロナお注射の件が欧州でようやく社会的な問題となっている。

では、製薬会社は他に何をテストしなかったのか。


Dr. Paul Alexanderのサブスタックから引用

***

ファイザー社と、モデルナ社も同様に

-他の一般的に使用されている医薬品やワクチンとの重大な薬物相互作用があるかどうかを検証していない。

-宿主に遺伝子変異があるかどうかのテストはしていない。

-「ワクチン」が全身に広がるのか、それとも注射部位に限定されたままなのかを検証していない。

-「ブースター」が実際に有益であるかどうかをテストしていない(彼らはそれを裏付けるデータもなく、単に2回投与の初期プロトコルとしてそう述べている)。

-非活性成分が問題を起こすかどうかをテストしていない(これらは通常の賦形剤ではなく、プラセボ群のデータのいくつかは、これらも問題を起こしていたことを示唆している) 

-「非活性」成分が問題を起こすかどうかをテストしていない。

-「ワクチン」が接種者から伝達されるかどうかをテストしていない。

-宿主からのワクチンの代謝的除去、すなわち宿主内でどれくらいの期間活性が保たれるかについてテストしていない。

-本質的にほとんど何でも合格させるような製品仕様を提案した。

-母集団に既に存在する顕著な自然免疫を考慮しなかった。

-臨床試験で疑惑のあることが知られていることについては米国外の国々で研究の大半を行った(特にブラジルで)。

-安定性に関するデータがほとんどない。


***

わたしが眺めているところだと、この「ない」の行方の多くが悪い作用で顕現しているような気がするのだが。

さて、こんなものを、何も知らない子どもたちに打たせるのか?(書類にサインができる大人は自己責任だが、大人が子の接種についてサインするのか、という問題)

立ち止まって考える時期に差し掛かっていると思う。

10/15/2022

15.Octobre



NyaboSseboと神田智子さんと倉敷郊外の小学校二か所でコンサートだった。
春から続いていたこの小学校公演のシリーズもひとまず終了。
正味たった一時間の出会いであり、子どもたちもすぐに忘れてしまうかも。
でも大人になったらふと思い出してくれるような気がする。
とても気分良く旅が終わって、やってよかった。




 

10/13/2022

13, Octobre

金沢で行ったTentopathieは、音楽家と画家が大量のツールを現場に投入して、建築家が大きなテントを建ててくれて、それでいてたった一人の客の為のパフォーマンス、というとんでもない企画だ。

ひとの体験、記憶とは何か。偶然とは、残響とはどういうことか、というようなことを考えていて、ひとりのために、という場を作ることに行き着いた。

-pathie である。切るのでも飲ませるのでも揉むのでもなく少しだけ心を自由にするという芸術療法。芸術家がついに怪しげで危なげな領域に手を出したのだろうか。

いや、そうではなくて、自由にするということが、ひとつの治癒と考えるならば、芸術はやっぱり治癒に関係する。

ひとは自由になったとき、世界と向き合い始め、対象と双方向となる。するとそのひとから恐怖と往々にして呼ばれる感情が少しづつ目減りして、だんだんと元気になる。

双方向になるということは、逆説的なことだが、自分も相手も消えてしまうということではないのかと考えている。ただ残るものは、四散した声のようなものだけ。

それで虚しくなるのではなく、むしろ面白がるのが素敵だと思う。その声を何者かが聞いている、という根拠のない予感を感じつづけたい。


10/08/2022

8.Octobre



金沢に来ている。今日は市役所で「Tentopathie」。

そして明日は白鷺美術で「暗闇に手をひらく」。

雨はぱらつくけど良い秋の気配がそこかしこに。来る前に、金沢は寒いから気をつけてと連絡をもらった。わたしたちは気温の、寒い寒くないで判断しがちだけど、そのほかにも空気の肌触りとか、土地の違いで変わるように思える。

10/05/2022

5.Octobre

 




先日は NyaboSsebo & nakaban の学校でのライブだった。
場所は三浦半島の先端の小学校。
しとしとと秋雨の降る、まぐろの看板でいっぱいの港町。

10/02/2022

石に触れる日々

 

一水寮の展示風景はこんな感じ。
金沢百枝先生の蔵書の「ゾディアック叢書」とコラボレーション。

展示は4日まで。

西洋やキリスト教という祈りの世界への憧れは、そこに暮らしていないというコンプレックスによる「構え」になってしまい、絵を描くわたしの心はぎこちなくなる。過去作であんなに西洋風の街並みをたくさん描いておいて、それでもなのかと言われそうだけど本当だ。
表現者として西洋のある種のちゃんとしていて素敵なものの虎の威を借るひとになっていないか?と自己批判してしまうのだ。祈りの心を単なる演出に堕してしまうような怖さのこととか。

でも不思議なことにこの数年、ロマネスクのアートに触れることを通してそういう構えは消えてきた。何が大切なのかが少しづつ見えてきて、ほんとうに心が軽やかになったので、やっぱり西洋というものを権威づけしたり誤解を自分で勝手に作り出していたのだろうと思う。

この展示の制作期間中は、それでは権威の有害性とはなになのか、といっちょうまえに考えたりもして、やはりいろいろと思ったことはあって、ここには書かないけれど、そんな時に権威の世界の偉い人が続けてお亡くなりになったりもして、なんだかますます意味ありげで考えさせられた。

わたしは「ロマネスク」を権威への卑屈さや我欲という、生きるためには不必要な感情のはびこらなかった時代の、でもなんでもありではなくて、ちゃんと建物や彫刻や壁画、タペストリーなどをつくった個人の哲学が伝統や宗教的感情と融合していて、やっぱり奇跡的な時代だったのだと思う。そのようなアートが 天蓋の下で共鳴していた時代。まあこれ希望的妄想も入っているのだけど…そう思ってわたしはそれを眺めているし惹き込まれている。「ロマネスク」をまだまだ知りたい、学んでいきたいと思う。


9/27/2022

お知らせ  ISETAN ARTS & CRAFTS


お知らせが遅くなってもう本日からになってしまった。
東京新宿の伊勢丹の催事 SETAN ARTS & CRAFTS・工芸青花のコーナーにロマネスク(L'art roman/Romanesque)を題材とした連作(2019年制作)が出品されることに。

***

私たちのテーマは「ロマネスク」。nakabanさんの絵(同時期に青花の展示室でも新作展を開催します)、毛涯達哉さん(神ひとケモノ)の西洋骨董(イコンほか)、金沢百枝さんがえらんだアンティークなど出品します。(工芸青花)


■ ISETAN ARTS & CRAFTS□9月27日−10月2日|10-20時(最終日18時)|伊勢丹新宿店本館6階
□出品|行方ひさこ/工芸青花/Roundabout&OUTBOUND/新宿0丁目商店街/Luca Scandinavia/PRIME GARDEN

info>


また神楽坂、一水寮(工芸青花のギャラリー)での「ロマネスク石に触れる日々」ももうすぐ。
今回は多くの油彩を描いた。
金沢先生とのトークもあり。info>


会期|2022年9月30日(金)-10月4日(火)
   *9月30日は青花会員と御同伴者1名のみ
時間|13-20時
会場|工芸青花
   東京都新宿区横寺町31-13 一水寮(神楽坂)
出品|nakaban

この二箇所の展覧会、会期が短めで、興味持ってくださる方はご注意を。

9/17/2022

『SAUNTER magazine vol.5』刊行記念 nakaban 装画展 at OWL1F

 





『SAUNTER magazine vol.5』刊行記念
nakaban 装画展 at OWL1F
2022.9.15 (木) - 10.3 (月)

『SAUNTER Magazine vol.5』の刊行を記念して、装画を手掛けられた画家・nakabanさんの装画展を開催します。会期中は nakabanさんの装画作品、装画本の展示を行います。もちろん関連書籍、作品の販売も。

「移動生活」という特集が掲げられた『SAUNTER Magazine』最新号を味わうと同時に、nakabanという名の、日本の出版史を語る上でも避けては通れない画家との邂逅を。その世界観への没入を。 ぜひお誘い合わせの上ご来場ください。



 nakabanさんとは、僕が暮らす屋久島で出会った。トウヤマタケオさんとのユニット「ランテルナムジカ」としてライブをしに来た時だ(nakabanさんはVJ担当)。もともと山尾三省さんの書籍の装画や、島にあるお店の看板を描いたりしていたりして、屋久島とは縁がある人だけど、僕との初対面は挨拶と雑談程度で終わった。
 キルティブックスとして3冊の本を出すことになった2022年。特に力を入れて3年がかりで取材している屋久島古謡まつばんだノンフィクション『南洋のソングライン』の表紙をnakabanさんに頼むのはどうか、と考えて著者の大石始さんに聞いてみた。大石さんも賛成し、僕からメールを送ったのが昨年の11月。nakabanさん自身も思い入れのある屋久島の仕事ということで即決してくれた。やり取りするうちに僕の頭の中はnakabanさんの絵でいっぱいになり、気づけば同時進行で作っていたサウンターマガジン第5号もお願いすることに。3冊しかないうちの2冊の表紙をnakabanさんに託すということは心中するに等しいので、ちゃんと会って話そうと、4月にnakabanさんがアトリエを構える広島を訪れた。一緒に書店に行ったり、カレーを食べたりしたけど、なぜか仕事の話はほとんどしなかった気がする。
 nakabanさんのアトリエには椅子がなく、立って絵を描いていた。なるほど、濃い色の絵でも軽やかに感じるのはそのせいかも知れない。

サウンターマガジン編集長 国本真治


SAUNTER Magazine

 


SAUNTER Magazineの最新号(5th)

絵を描かせていただいた。
屋久島の愛子橋に佇む高城剛さんの周囲に線画を。効果的な特殊印刷。
SAUNTERとは逍遥という意味のようだ。

そして…この原画は今、鹿児島のOWLに展示されている。
その他、企画展としてわたしの過去の本の仕事が大量に展示されているはず。
OWL 〒892-0842 鹿児島県鹿児島市東千石町14−16 1-2F
会期は 2022.9.15 (木) - 10.3 (月)

9/13/2022

13. Septembre.

 

描きかけの、夏の終わり、海辺の町。
生まれた土地にへばりついて暮らすもよし、旅の空にからだを削り飛ばすのもよし。

9/09/2022

「暗闇に手をひらく」金沢へ



ライブのお知らせ。

阿部海太郎さん、大崎清香さんとの公演「暗闇に手をひらく」が金沢に巡回。(10/9)
会場はshirasagi/白鷺美術
素敵なところです。
公演の内容ともぴったりの会場。

詳しくは Umitaro ABEサイトをご覧いただけたら 

9/07/2022

7. Septembre. ロマネスク:石にふれる日々


工芸青花のPodcast

青花茶話|17|金沢百枝|nakabanさんの絵とロマネスク

ラジオ感覚でおききください。
(尊敬する金沢先生と青花編集長の菅野さん。わたしはやっぱり緊張しながら聴いてしまった)

謎に満ちたロマネスク〜zodiaque叢書 たどって製作中。
わたしの形の好みのルーツはロマネスクと李朝民画のハイブリッドだと思っている。
お守りのようにzodiaque叢書も持っているが、、、これが宝の持ち腐れで、、、久しぶりに、こんなに良かったっけ?とひとりごと言いながら本をめくって絵を描いている。(叢書はRoma Latium以外全部持ってる。)

フランス語はもっと勉強したい。
フランス語のまさにconsacrer(捧げる)という単語がこの本88冊を作ったアンジェリコ神父のお仕事ぶりをあらわしている。
常人には及びもつかない。

■展覧会|ロマネスク:石にふれる日々


□2022年9月30日-10月4日|13-20時|工芸青花(神楽坂)


*9月30日は青花会員と御同伴者1名のみ


□出品|nakaban


https://www.kogei-seika.jp/gallery/20220801.html


■講座|工芸と私62|nakaban+金沢百枝|ロマネスクと私たち:ゾディアック叢書のこと


□2022年10月1日(土)15時‐17時|一水寮悠庵(神楽坂)


https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=926

8/29/2022

風景のレシピ



「風景のレシピ」が早くも10作に到達した。
少しづつサムネールが増えてくるの、面白い。
これはニヤニヤと切手のコレクション帖を眺めていたときのことを思い出す。

絵をレシピにするなら、画材という物質が材料ということになるけど、それ以外はやはり精神性なのか。
でも精神性と片づけてしまうと何か肝心なものが抜け落ちているような気がする。

現時点の答えはコンテキスト、かなあと思っている。
そこにストーリーと書くと少し人情味に溢れて過ぎるというか。
わたしを知ってもらいたいと思って始めた表現が、いつの間にかべつの何かに変化していたということだろうね。
もっと澄んだ流れをつかまえたいというねがいに変わっていく。

8/20/2022

20 Août


手間がかかるぞー。こんなに大変だとは。

食べ物でも石でも虫でもよくて、毎日何かに意識的に触れるのがわたしの夏休みの宿題。
手は毎日生傷が絶えないくらいが良いと思いますハイ。

Figs: Lampeira Preta, Albo, Sultane (clockwise from the top)
Bread: Sourdough Bread #2

8/19/2022

8/16/2022

16. Août



AIが描いた絵が話題になっている。みなさまはもうご覧になっただろうか。
これは本当に驚いた。文句を書くつもりはなくて、本当に素晴らしい。
生身人間のイラストレーターの仕事は無くなってしまうだろう。泣。
フォトグラファーさんの仕事も半分くらい無くなるかも。

これは世界中の画像を集めて生成しているのかな?
そうなのだろう。みんなが上げたinstagramの画像とか、googleのストリートカーが撮った写真、果ての隅っこにはわたしの絵のWEBに漏れた画像ももちろんAI絵画の材料に含まれてるだろう。モネ風やジブリ風の絵をみたが、名画を描く巨匠は亡くなってもその作風の遺伝子が残るということでもある。
AIが参照しているものが、ビットマップの画像だけではなく、3Dモデリングなんかを盛んに行うようになり、そしてAIが自主的に筆を取るようになれば、仮想現実世界が爆発的な勢いで生成されていくのではないか。
さらに、さらに、AIが無限に増え続ける絵を自ら鑑賞、評価、創作するようになれば、完全にAIだけによる完結した世界(sphereとでもいうべきか)になっていくだろう。それが無数の葡萄のふさの様に出来てしまう。
その(sphere)に人間が訪れるようなイメージ。面白いだろうが一生かかっても見きれない。
まあコンセントに繋がった仮想世界での話だけど。子どもたちは仮想世界が大好きだしメタバースのこともあるし、どうなってしまうのだろう。

画家はいま、別の価値観に舵を切るときだね。
匂いとか手触りとかはまだAIはできない。でもそこにしがみつくのもかっこ悪い。

わたしはどうするだろう。もうここ何年かは画像的な意味での魅力づくりの努力には重きを置いていなくて、むしろ一見つまらない絵を描きたい、と発言したりしている。
作るもの自体ではなく、その周辺に何か気配のようなものが欲しいな、とそればかりを思って描いている。
できあがる前の絵、未来の絵が、わたしをけしかけて、絵を描かせている?なんて思うことも…

その気持ちの動きがおもしろくて、それこそ誰かに響くと信じていて、その痕跡を残しておきたい。
君、AIができないところに逃げようとしているな、と言われたら、まあそうです、なんだけど。笑
ただ、AI絵画の進化がこんなことになってるのを知りもせず、自分の傾向がこの何年かでどんどんこのように変わっていったのはやっぱりこういう意味もあったのだなあと。
このところ、音楽家さんや詩人さんたちとのライブで時間足らずの、それも失敗だらけの絵をたくさん描くようになったのも、多分関係があるのだろう。

誰もいなくても、絵を描くときはすべてライブであるのだけど、そのライブというのがコンピューターにとっては無駄で、ひとにとっては反対に大事にするべきところなのかも。

8/14/2022

13. Août



三原市の本郷小泉、岡田和樹さんの三十三枚棚田にて。
日没後、焚き火のあかりで「ダーラナのひ」を朗読することができた。
熾火のはぜる音、遠くの灯り。真夜中には満月が登ってきたりして、絵本が現実になったような感覚を味わっていた。次の日は里芋畑の草抜きと畝寄せを体験させてもらった。こんなに大変だとは思わなかった。

楽しい話ばかりではなく…本郷産廃処分場という計画があって、他県の産廃ゴミがその近くの水源に埋められる施設ができようとしている、法の抜け穴を潜って、山林が買われていき、岡田さんや詩人のアーサー・ビナードさんをはじめ土地の人たちの反対の訴訟を打ち破って着々と進められている。一度できたらもう止められない。認可されたら目の届かない山の中でどのようなゴミがどう埋められるのか外からチェックされない。分水嶺の山のゴミ捨て場。確実に土地と水の汚染源になるので、みんなでもっと関心を。三原市も広島県も何もやってくれない。他県といったがもちろんわたしたちの捨てるゴミである。買うもの、使うもの、捨てるものにも関心を。産廃業者も世間が出したゴミを処分してくれる人たちであるが明らかにやり方が違う。わたしの住んでいる広島の西側も少し寂しいところに行けば産廃の捨て場だらけ。


8/11/2022

11. Août


友人からサワードウのパンの魅力を聞かされて、それではとスターターを分けてもらって、小麦粉を混ぜては捨てを繰り返し育てている。仕事のタイミングもあって数回チャンスを逃したが、今日ようやく焼けた。パンは初めて焼いた。なかなか思うように膨らまず、でも美味しいパンになっていた。


8/04/2022

Subsequence vol.5


Subsequence5号はラベンダーを思わせるカラーの表紙。
わたしはTangible&Visible という漫画を連載中。

8/01/2022

1. Août




阿部海太郎さんと大崎清夏さんとのコンサート終了。
同時に福岡の望雲のニジュー映しの夜も終わった。
ということで、個人的にがらっと変わりすぎな八月の朔日。
しばらくは作業場にこもることになるんだろうなー。
このところ続いていた旅の中で、さまざまなひとびとの美しい立ち姿を見ることができた。
本当によかった。




7/31/2022

30.Juillet

 

ポルトガルのどこかの路上で拾ったなまくらナイフ。
サビがこの柄の部分くらい膨らんでいたのを削ぎ落として、研磨した。
つまり最初は、コレがナイフであるとすらわからない、棒のようなオブジェだった。

何年も引き出しの中に放り込んであったが、今ごろになって出番が到来するとは。

本日、舞台ではわたしが拾ったモノだけで構成するパートがある。

7/29/2022

29.Juillet


風景のレシピ 

楽しく進行中のプロジェクト。

「夕景・手・オブジェ」は最新の絵。
透明や半透明の物体を光にかざすという行為の本当の目的は何だろう。
わかりそうでわからないことをやってしまっている。

そういうチョット気になることも全て含めてレシピ化する。

7/18/2022

18. Juillet

 





kounosu-yama


patagonia-no-minami

7/17/2022

17. Juillet

 

「ニジュー映しの夜」展にて

7/15/2022

"Ponto Nodal"


NyaboSseboと作ったアルバム"Ponto Nodal"が本日発売。

Bandcampへどうぞ。


7/14/2022

連載「風景のレシピ」




「風景のレシピ」

in 創元社note
毎月2回のペースで更新の予定。



絵の最小構成要素は詩なので、制作の道なりを言葉にして記すこともできると思っている。

試みに、制作しながらの印象の推移を「レシピ」として書きとめていくうちに、独特な面白さを味わいはじめている自分に気づいた。

レシピ化することで、あたまと手が固まるのではなく、かえって誤解や逸脱することの面白さも実感したりする。
料理のレシピや音楽の楽譜の「読み」においても、再現性を見据えつつも、そういうことがあるだろう。

この「風景のレシピ」は、ちょっと不思議な、あまり為されなかった試みかと思うので、少しづつ公開してみたい。

発表の場所は創元社のnoteのページをお借りできることになった。(こういうことが大好きな編集者がいらっしゃるのだ)

連載の第一回は「序文」が載っているので、読んでみてもらえたら。

7/13/2022

13. Juillet

 






15日から。「ニジュー映しの夜」と題した個展。
真っ黒なDM刷ってしまってしまったけど、色々な色調の絵が並ぶ予定。
福岡の望雲で。
*ごめんなさい。16日からだった。