4/29/2023

24.Avril


ショウウィンドーの中にいろいろな品が飾ってある絵を時々描きたくなる。
旅先でもこういう場面に出くわすと絶対写真に収めるのだ。

ガラス越しの届きそうで届かないもの。

旅先の、滞在している町で気になるものを店のショウウィンドー越しに見つける。
でもたいがい、その店はいつもしまっているものだ。
結局、後ろ髪を引かれながらその街をあとにしなければならない。

今でも未練たらたらに思い出す。
あのナイフや古書をこの手に取ってみたかった。
その郷土の装いのあるお菓子やパンをほおばってみたかった。
でも、そうやって思い出すってことは、こういうふうに憧れのままの記憶でいるほうが心の宝物になって幸せなのかもしれない。わたしとその物体、お互いにとって。

自分が触ってきた楽器を並べてみた。
appleのコンピューターだけ架空のお品。
昔、高円寺の中古楽器屋さんで売られてたのが印象に残っている。
appleとの最初の出会いは楽器としてだった、というわけだ。

今は音楽活動はやっていない。トウヤマさんをはじめ周りに素晴らしい音楽家がたくさんいるから。
でも自分で才能を制限してるというわけではない。
機が巡ればまた曲を作ってみたい。
絵で演奏して、音で描く。今なら、そういうふうに楽しめるような気がする。

この絵の出来上がりはこちらに 
風景のレシピ

4/24/2023

24.Avril

 


名古屋に行ってきた。

「そのライブ」はなんと2年も前から準備が進められていて、そういう準備の進め方だったから、その2年後という日が、準備をしているのに本当に来て?起こってしまうのか?などとまだ信じられない風だったのに、ついにその日になり、唐突に咲いたお花にびっくりするかのようにあっというまに過ぎてしまったのが今という感じがある。
ああ、でも楽しかったなあ(よいん)。
どうかどうかどうか行かれたかたに感想聞いてみてください。

キセルの二人、バブーシュカの杉ちゃんさん、マノマノの宮下さん、ON READINGの黒田さん、いたこちゃんさん、岡さん、そして、けして安くはないチケット代を応援のようにポーンと出して参加してくださったみなさん。最高でした。みんなでステージをつくりました。

というわけで、2年後の今日という感じで、時は進み、今、ゆるやかな4月の丘を越えかけていて、Hola! 向こうにいい眺めが見えてきたよ。

4/19/2023

19.Avril

 


「Qui Town」
バブーシュカの展示で飾ってもらっているとても小さな絵。
実は三原市久井町の絵。



キセルとのライブを準備中…

4/10/2023

10.Avril

 


東京荻窪のTitleにて。
これはりんごの店頭販売をしてくれた「いちりんご」の看板オブジェ。
Title2階のギャラリーでは、この3月に刊行された「トラタのりんご」の原画展。 
随所にライラック色を忍ばせた明るい原画を飾っていただいている。 
この本の担当編集者のSさんがなんと、この絵本制作の参考のためにりんご苗をご購入、
そして先日初めて花が咲いたそう。

4/05/2023

「Title」で「トラタのりんご」原画展

 



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東京荻窪の本屋さん 「Title」で「トラタのりんご」原画展がもうすぐ7日から25日まで。
絵本の原画に加え、「いちりんご」さんによる本当のりんごの行商が8日と9日。
この機会なので、油彩の「りんごの絵」を少しだけど展示販売。絵のサイズはEPレコード・ジャケットくらい。

わたしは9日と10日の営業時間中にTitle2階の展示室に在廊させていただく予定なので、お時間ある方は会いましょう。

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4/01/2023

1. Avril

 



わたしは、あまりマチエールに関心を持ってこなかった。
色と、かたちだけで意図を伝えたかったし、それ以外の要素に頼るのはなんだかズルをするようで好きではなかった。
しかし時代は変わって、こういうふうにデジタル画像が巷に溢れるようになると、気持ちが変わってきた。
最近は、わたしはほぼ全ての絵の下地に漆喰を塗っている。
この写真のように薄く塗ることもあればバターのようにたっぷり盛ることもある。パネル板を自作することも増えてきた。

ツルツルの液晶画面に対しての、モノ感。
そういう話をしたいのではない。
ギャラリーでたくさんの人が絵に対面するのを見てきた。
制作時のわたしも自前ではあるが、未知の絵に出会っている。
昨日までは存在しなかったもの。30分前にもなかった。それが今は存在している。
本来なら出会わなかったはずの絵に出会う。
わたしはこれから「出会い」の含む奥行きに注目する必要がある。。

マチエールがあると、単純にでこぼこする。
陰影が発生し、目の前の物体もわたしも今は同じ空間に存在しているという感覚が強まる。
制作時には、明らかにそれに影響される。
同じ空間で一緒に息を吸っているということは、出会っているということ。とてもいいことだ。

画面の中ではそうはいかない。そこでは何に出会っても出会っている感じがない。驚かない。
何というか…インターネットのあれらは何か、あらかじめもう全てに出会ってしまっているような感覚がある。
さまざまな驚き動画を見て「わ。神動画。ビックリだね」と言っても、実は誰も本当には驚いていなかったりするのではないだろうか。
AIが無限のヴァリエーションで絵を提示してくれる。素晴らしいものもある。
表層では驚いても、わたしの身体は突き動かされない。
でもこっちの世界では違う。
わたしはファンデーションのための刷毛の一振りでも動揺してしまう。

ひとは事物を眼のみではなく、全身で見ているのだという確信が深まっていく。