ショウウィンドーの中にいろいろな品が飾ってある絵を時々描きたくなる。
旅先でもこういう場面に出くわすと絶対写真に収めるのだ。
ガラス越しの届きそうで届かないもの。
旅先の、滞在している町で気になるものを店のショウウィンドー越しに見つける。
でもたいがい、その店はいつもしまっているものだ。
結局、後ろ髪を引かれながらその街をあとにしなければならない。
今でも未練たらたらに思い出す。
あのナイフや古書をこの手に取ってみたかった。
その郷土の装いのあるお菓子やパンをほおばってみたかった。
結局、後ろ髪を引かれながらその街をあとにしなければならない。
今でも未練たらたらに思い出す。
あのナイフや古書をこの手に取ってみたかった。
その郷土の装いのあるお菓子やパンをほおばってみたかった。
でも、そうやって思い出すってことは、こういうふうに憧れのままの記憶でいるほうが心の宝物になって幸せなのかもしれない。わたしとその物体、お互いにとって。
自分が触ってきた楽器を並べてみた。
appleのコンピューターだけ架空のお品。
昔、高円寺の中古楽器屋さんで売られてたのが印象に残っている。
自分が触ってきた楽器を並べてみた。
appleのコンピューターだけ架空のお品。
昔、高円寺の中古楽器屋さんで売られてたのが印象に残っている。
appleとの最初の出会いは楽器としてだった、というわけだ。
今は音楽活動はやっていない。トウヤマさんをはじめ周りに素晴らしい音楽家がたくさんいるから。
今は音楽活動はやっていない。トウヤマさんをはじめ周りに素晴らしい音楽家がたくさんいるから。
でも自分で才能を制限してるというわけではない。
機が巡ればまた曲を作ってみたい。
絵で演奏して、音で描く。今なら、そういうふうに楽しめるような気がする。
機が巡ればまた曲を作ってみたい。
絵で演奏して、音で描く。今なら、そういうふうに楽しめるような気がする。
この絵の出来上がりはこちらに
→風景のレシピ
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