殊に冬季は油絵具の乾燥が遅く、気分任せに絵を触っているうちに3色くらいの絵具が混じり合って似たような色になる。
要素の形だけが描かれ、モノトーンの写真に近い状態の、ここまでの作業結果が画面的にも発想的にも絵の土台のようなものなので、そこからいったん離れる。
だから仕事場には乾燥を待つ途中の絵がたくさんある。
このような小休止を経由するというのが油彩の良いところではないだろうか。
その時間にこのまま思っていた方法で進めて良いのかどうかを考える。
そして、時間が経てば重ね塗りができる状態になるのだが、そのときはもう下地を作っていた頃の気分ではない。
よってその絵を進めるとすれば、別のコンテキストの形や色が割り込んでくる。
そのことによって絵の中に違和感が生まれるということは嬉しいことだ。もちろん新たなる不安でもある。
ウインドアイという小説に描かれていた別次元への窓のようなものが絵に開くわけである。
しばらくの間その違和感を眺めると、より高みにある調和を目指すことになる。
一つずつ階段を登っていくような作業。
登るだけでなく降りることもある。
油彩は塗り重ねるものなのでundoができる。(しかし浅はかなストロークをふるった記憶を表す埋没したマチエールまではundoできないのだが)
絵の完成は何処なのかを探るが、真剣に考えているわけではなく身体任せなところがある。
完成とは階段の頂上まで昇ることではなく、途中の踊り場でやめるという状態のことが多い。
良い眺めとは必ずしも「頂上にて」とは限らないからである。
年から年中それをやっている。今年もきっと。