7/07/2020

7. Juillet


Le musée (ébauche)
Le musée (ébauche)

6/28/2020

風景の絵は果てしなく続く連作かも



caloでの展覧会の絵のエピソードを少しづつ店主の石川さんに送っている。
描きながら思ったことと、自分でその絵をあとから眺めて思ったこと、などいろいろと。


風景の絵って長い長い連作なので、ひとつの絵に描かれた場所は他のすべての絵の場所に繋がっている。
それは私が生きて描いている限り拡張されていく。
建物は陽に灼けて、木は育っていく。
一枚の絵を持っている人はずっと楽しめるかも。
行ったり来たりできるのだ。



6/17/2020

アダンソニアの包装紙





photo: Adansonia

福岡の糸島にある海辺のレストラン「アダンソニアAdansonia」のための包装紙。
la notte と il giornoの2種。

ところどころに2種共通の登場人物がちょこちょこ隠れていて、探したり楽しんでいただけたら。
これは店主の前田さんのアイデアなのである。

写真はイベントに出品されたランチボックスのようだが、お菓子の包みなどに今後使用されるのだと思う。
と書いていたら追加の写真が届いた。


Wow... おいしそ。
これはお菓子セットだね。
福岡の人は美味しいものを食べ過ぎだと思う。笑


6/14/2020

online exhibition





at the website of calo bookshop.
Days until Saturday 4. July 2020.

Passion for painting.

大阪で行われているcaloでの展覧会をonlineで。
会期と同時に終了。(~7/4)



6/10/2020

10.Juin




Caloでの展覧会がスタート。http://www.calobookshop.com

このころはお客さまも少ないと思われるので静かな時間を楽しんでいただけたら。
本展示はもともと予定されていたとはいえ、パンデミック第二波の到来する前のオアシスのような貴重な時期にあたり、こうして開催できた。幸運としか言いようがない。

今は華のあるイベントはできないが、もともとわたしは展覧会ではただ絵を見て欲しいと考えている。
おいしいフードのあるイベントもいらないし、音楽のライブもいらない。
ワークショップも行わない方が良いなと思っている。
いろいろ考えてくださるギャラリーには申し訳ないとは思うがやっぱりこう思ってしまう。

静かな感じでとつい言ってしまうのは何もお高く気取っている雰囲気を要求しているわけではなく、絵を制作している現場の時間感覚を少しでも会場に持ち込もうと考えているためである。(ここは場を持っておられるギャラリーとわたしの価値観のぶつかりどころだろう。笑)

「マルメロの陽光」という映画があって、おそろしく退屈な映画なのだが、その絵画の時間とも呼べるべきものをビクトル・エリセ監督は意識的にとらえていた。この速い時代になってもわたしはやっぱりこの時間の流れ方がいい。もしかしたらコロナの件で立ち止まる時間ができて、こっちの方が好きだということに気づいた人もいらっしゃるかもしれない。

絵を描いてしまうと愉しいもので一種の孤独中毒になってしまう。
友人は画材とオブジェと光線だけ。
でも逆説的であるが、絵を通して人々とむしろありありと出会うために描いているのかもしれない。

6/06/2020

「仮額」






今度の展覧会もいつものようにぎりぎりの宅急便に間に合った。
と、いいつつ大きなの二つがまだ未完成だ。
これらは手持ちでcaloに運ぶ。

展示制作の終盤にもなると画家というより額縁屋さんになる。
写真の絵のこの額装方法のことをわたしは「仮額」と呼んでいる。
画家が自分のアトリエにかけておく、制作途中に眺めるための仮額装。
いや、「額装」とはいえないほどのシンプルさであり、要は細切れの板を側面に貼ってあるだけのものだ。

「仮額」は古今の作家のアトリエの写真集にも見られる。
なかなか素敵なので、こういうのってどこで売っているのだ?と調べたけれど、そんなの売っているはずはない。板を買えばいいだけだ。
わたしは粗末ながらも自由な感じのこの仕立て方が好きで、2月の「さかむら」での展示でも使った。

周囲の板は釘に少しの接着剤をつけて刺して留めてあるだけにしてある。
なので描き直したいなと思ってもすぐに外せる。
絵を買った人でも外して額に入れたいなと考える人もいるかもしれないし。

そういえば阿部海太さんもこの額で展示していた。やっぱりこれだよね、と盛り上がった。
そしてこの額装方法は思わぬ利点もあった。この板の出っ張りのおかげで油彩の絵具が乾いていない状態でも運びやすいのだ。なので例えば野外で絵を描くときにも良いだろう。まあ、ただし板を打ち付けてしまうと隅っこのところは塗りにくいけれど。

さて、今回のcaloの展示はすべてこの方法で。
古材のものと、新材の2種を試している。
新材の方は少し浮いているけれど年月と共に木も馴染んでゆくだろう、と希望的解釈。

明日は二枚の絵といっしょに新幹線に乗る。


6/02/2020

Invitation!



nakaban Solo exhibition 2020

大阪のcalo bookshop and cafeでの個展。6/9-7/4
550-0002大阪市西区江戸堀1-8-24 若狭ビル5階 12:00~19:00(土曜は~18:00) 毎週日・月曜休

油彩の近作をCaloのあの明るい部屋に飾らせていただく。

気軽にどうぞ。
大阪の地下鉄の肥後橋駅から徒歩数分、淀屋橋の駅からも近い。
展覧会の看板を確認し、エレベータを登り、ちょっと重たい鉄製のドアをぐぐっと開ける。
素晴らしい書店。

5/31/2020

31.Mai





L'ancienne serre est restée intacte.

町外れのこの一角の、小さな階段を降りた中庭に、旧い市の共同温室があった
苔に覆われた木々に見守られ、安心しきったかのようにその温室は眠り続けていた
(通行人は誰もその温室には興味を示さないで、チラッと見ただけでそこを通り過ぎる…)

その旧さにもかかわらず、温室の硝子はひとつも割れていなかった
つまりそこだけは雹にも降られることはなかったし そこに石を投じようとする者もいなかった

擬似的な熱帯の夜気のひそかな蓄積 それと外部の空気とのあきらかな断絶が
その温室にどこか触れ難い特別な印象を与えていた


5/29/2020

29.Mai


マスクを着けるとわたしは注意散漫になるようで、十字路で二度ほど車にはねられそうになってしまった。
それにマスクをしたまま料理や工作をしていて刃物で手を切りそうになったこともまた一度や二度ではない。

マスク着用という口鼻塞ぎが五感の他の部分に制限的な影響を与えるのは興味深い。
しかしわたしにとってはそういう微細なことであれど感覚の制限は一大事なのである。
浮かぶアイデアも捕まえられなくなるのである。

なので、マスクをつけない暮らし。
その方向で生きていく可能性という選択肢を採ることを視野に据えることもやぶさかではないのではないかと考えている。
まあシンプルに言えば、自分の吐く二酸化炭素をあまり吸いたくないだけかもしれない。だけど、それによって感覚の疎外が起こるのはやはり大いに予想できることである。社会は個人に生命にとっての呼吸という権利の重大問題をコンプライアンスとして押し付けてしまって良いのだろうか。そのような疑問が街を行き交う人びとを見ながらふつふつと浮かんでくる。
繰り返すがマスクは五感に制限を与えると思う。さらに言えばそれは直感、霊感にも影響を与える。宇宙の神秘、聖なる呼吸の流れをマスクというものが堰き止めるからだ。知らんけど。

わたしは才能の枯渇をマスクのせいにしたくない。アイデアというのは散歩したり買い物したり部屋の外を歩いているときに降りてくるものなんである。

とはいえ、このご時世でこのような態度でいるのはひとさまの視線が痛いものである。
このままでは都市で生きにくくなりそうだ。
それも時代の変化で良い機会かもしれず、仕事場を少し都市部から離れたところに引っ越してみようかしら…と夢想している。

5/27/2020

5/23/2020

5/20/2020

「そにろき」さん



昨日は呉の丘の「そにろき」に絵を届けに。
ここしばらくの霖雨もあがり眩い陽光で海も木々もきらきら。
見よ、これほどに自由が具現化されたものを私は知らない。
絵も気に入ってもらえ、ほっと一安心。
しばしお話をしながらもテントに揺れる花や木陰の織りなす影絵劇がどうにも気にかかる。笑
そして忘れられないおいしい珈琲の味。

タンジェのカフェハファ、クレのソニロキ。
檸檬がたわわに実りますように。


ココは焙煎のお店でありカフェでは無いのでどうぞご注意を。
でも優しいお二人は試飲の珈琲を出してくれることでしょう。


5/17/2020

17.Mai



Sim, sou um dos sonhadores.

5/14/2020

Salle de peinture













実作業のものばかりの作業場。
ちょっと息苦しくなって、片付けた。
そして狭い画室の真ん中に無理やりドーンとモノを飾るテーブルを置いた。
モノは毎日動かすルールだ。
ここはお店でもないのに誰も呼ばないのに「飾る」
ということは神に捧げるということだろうか。
あるいは傲慢な自己満足?
まあ、清と俗は紙一重だろうから。
いや、なんのことはない。正解を言えば制作になんらかの影響が出ることを期待しているだけだ。
しかし結局のところ眺めて好きなのは自分で使い古した道具のような気がする。

絵を飾る人がいる。
その人はきっと物事の一面を見て不要不急と切り捨てない人だ(とほめておかなければ)。
絵は一つの窓のような装置だとよく言われる。
その人の部屋に時間をかけてゆっくり馴染んでいく架空の窓。
絵はいろいろなモノや日々の音響、光線、居る人の思考と干渉をして変化していく。
そのものの経年変化もある。
「見え」は変わっていく。

5/08/2020

8.Mai




Vue panoramique sur la baie

5/04/2020

4.Mai



La Gare


5/01/2020

1.Mai


Le temps calme

4/29/2020

29.Avril


L’estuaire



4/28/2020

28.Avril



研究者たちの発見。プレボテラ属の菌のこと。 ウイルスは直接殺すわけではない。腸内細菌を通じて感染する。結果として「病原性を帯びたこの感染した細菌は、肺を崩壊させて患者を殺す免疫の過剰反応を引き起こすようです」。この長いメッセージによると、とりわけ証明するのは、ラウール教授の達見であり、それは「この大きな発見を黙らせようとさせる」メディアでの論争を巻き起こすこととなる。
(少しわかりにくいけれど、自動翻訳を修正)

語学学習的にフランスのニュースを斜め読むことがあるのだが、偶然このような記事に出会った

あの例のウィルス単体が危険なのではなく、感染した体内の菌との組み合わせで危険なものになるという話。
日本ではまだあまり報道されていないような。

その記事の題には結論を急ぐべきではない、と書かれているのだが、それでもわたしはこれにとても納得ができた。
感染とその悪化について、ばくせんとイメージするしかなかったところ、具体的な映像として人体の日和見菌が乗っ取られ、オセロゲームのように「敵」に寝返るような様を思い浮かべることができたからである。

フランスのディディエ・ラウール教授の指摘するプレボテラ属の菌はコメを食べるアジア人の腸内細菌叢に多いのだけど、コメを最も食べてきて、プレボテラ菌を多く体内に保有する東南アジアでの死者がむしろ少ないことはどう説明できるのだろうか。

これはもちろん素人考えなのであるが、菌というものがどうやらこのコロナ悲劇の主要役者であるようであるし、体内の細菌叢の健全度でこのウィルスに負けるかどうかのかなりの部分が決まって来るのではないだろうか。

ウィルスによって体内の菌(例えばそのプレボテラ菌とか)が感染し悪い振る舞いをしないように、暮らしの中でもう少しこの腸内の細菌叢のことに気を使うべきなのかもしれない。

そこで取りうることのできる対策として、やはり菌活的な暮らしがより大切になって来るのではないだろうか。
例えば発酵食品、野菜などをたくさん食べる。自分はそういう食べ物が好きなのだが今より意識してみようと思っている。

そして腸内細菌叢に悪影響の多い保存料の多く入った加工食品を買わない。
もしかしたら発酵食にこだわるよりもこちらの方が重要かもしれない。
というのも、見ていて加工食品を多く消費するいわゆる西側先進国に重症になる患者さんが多いような気がするからだ。アメリカとか。

ヨーロッパも死者が多いが保存料のとてもキツいハム類といった加工肉や出来合いの惣菜が現地でことのほか大量消費されているのを現地で見た(日本の食事もこれについてはひどいが)。
いまその関連が気になっている。そして全世界的に若い世代の感染率が高いこと…これも加工度の高い食事(ファーストフードやコンビニ食)との関連で説明できないだろうか。
自分は研究者ではないのでこれ以上は調べられないけれど。

感染者数の割に死者がゼロのマダガスカル。こんな記事が目に留まった。
マダガスカルの「抗ウイルス発酵食品」、飛ぶような売れ行き
やはりここでも発酵食品。

ラオスやヴェトナムなど東南アジアの国も感染者が出ても死者が少ないが、どこも発酵食品をよく食べる国だ。
日本人や韓国の食生活も発酵食品に囲まれているが、そのおかげで重症化しにくいのかもしれない。

また、菌といえば、自分が気を付けているのは殺菌消毒に関わることだ。
皮膚を覆う常在菌も病原菌を避ける上でとても大切なものであると本で読んだことがある。(なのでこの数年、レストランで出されるお手拭きもなるべく自分は使わないようにしている。持ち帰って掃除に使わせてもらっている)
そして今、世論は殺菌に傾いているが、わたしはアルコールで手の皮膚を消毒しなくても良いように使い捨ての手袋を持ち町を歩くようにしている。
そして密かに防護服の人たちが殺菌剤で町全体をシューッとやるような事態に進展しないようにと祈っている。

家に居ることが大切とされる時期ではあるが、やはり陽に当たったほうが良いという記事も最近のネットニュースに出ていた。
それは正しくてビタミンDは体内の細菌叢を健全化することで知られている。
また植物を育てたり土を触ることもとても大切だと思う。

…ここまで長々と読んで頂いたら伝わってしまうかもしれないけれど、わたしは自分の身体が細菌の集まりなのだという最近の微生物学の考え方がとても好きだ。

自分は日々違う組み合わせの組成を変化させながら生きている、ということが実感できるからだ。
そして個の「死」とは自分をかたち作る細菌のバンドの解散のようなものだと思っている。
細菌の集まりから集合意思のように心が生まれるのかもしれない。
その辺は永遠の謎ということで良いかと思う。

隔離、消毒。他人を恐れる、そんな風に人を萎縮させるようなルールにあっという間に世間は変わってしまった。
それは確かに科学的に優れた発想に基づく処置なのかもしれないが、その暮らし方はどこか不自然に作り物めいていて端的にいえばそこには心がない。
同じ対策をするなら、もうちょっと現象を観察した上で地に足がついた愉快な方法がないものかと自分は思っている。

食とか健康に関わる考えはなかなか政治的なことなので、他人に押し付けるべきではないし、滅多に書くべきではないと思って躊躇した。
でも誰かの新たな発想の一助になるのでは、と思っていたことを書いてみた。


4/25/2020

24.Avril





(Ébauche)

4/23/2020

23.Avril




L'ermitage

4/22/2020

22.Avril




雲を運ぶひと

石のまなざしを4つの羽の上に運ぶ「きみ」
石のため息を4つの葉へと運ぶ「あなた」
他人ぎょうぎに それとも親しげに
コーヒーカップの山の上で 
キスのうわべを冷ます
酒に浸したシンメトリーの心たちは
右頬の内側の左手へと落ちていき
鍋つかみも無しで かりかりとかじられてしまう
他人ぎょうぎに それとも親しげに
コーヒーカップの山の上で 
その1日に夜を贈る
4つのピンを引き抜いて 
豪華な耳と雪靴と いっしょに吹き飛ばす
そして ひとの声に似た星の端に座る

JEAN ARP "Jours effeuillés"(Gallimard) p125. Porte-nuage  




昨年、彫刻家のジャン・アルプの詩の本を入手した。
Jours effeuillés = 落葉の日々。
このタイトルから感じられるのは、
詩を書き記すことで心のページを増やすのでなく、失わせていく感覚。
かっこいい…。

4/21/2020

21.Avril





vue devant la gare

4/18/2020

18.Avril



Aux Voyageurs

4/17/2020

17.Avril



(Ébauche)











4/15/2020

「晴れたら空に骨まいて」


本日刊行の川内有緒さんの「晴れたら空に骨まいて」(講談社文庫版)
表紙絵を描かせていただいた。装丁は矢萩多聞さん。



カジュアルな親しみやすい文章に引き込まれ、読み進めるうちにいつの間にか圧倒的な読書体験をしてしまった。
読み終ってしばらく経った今でも目が眩み続けるような思い。

死ぬこと生きることの内外(うちそと)にある言葉で説明できないもの、それをこうして誠実に言葉で記した著者のパッションに圧倒される。この本の中に描かれた人たちの生き様の眩しさ、感情の多彩さに心が突き動かされた。

川内有緒さんはこの本に描かれなかった人すらをも描いているのではないだろうか。
なぜなら読み終わって以来、わたしは会う人、知る人、思いだす人が少し眩しい。
今まで以上に心の旅人どうしとしてそのひとに出会うようになってしまったということだ。

そうさせてしまうことがこの本のすごいところだと思う。


4/14/2020

14.Avril



La Gare

4/12/2020

12.Avril


Musée Archéologique



4/11/2020

11.Avril




Livre d’art Picasso et trois pinceaux

4/09/2020

9.Avril


Nature Morte (Avocat)

4/07/2020

7.Avril



Vue de la place

4/06/2020

6.Avril


Le chemin sauvage vers la falaise

4/04/2020

4.Avril


Café com leite

4/02/2020

2.Avril




L'ensoleillée

3/31/2020

31.Mars



Les eaux étroites (ébauche)

3/29/2020

29.Mars




Ler devagar...






3/28/2020

28.Mars

Entrée du Parc (ébauche)