“それ”を描いてはいけない。
“それ以外”との関係性を。
“それ”を描こうとして息が詰まったとき、
“それ以外”と“それ”との間の空気を吸うつもりで深呼吸する。
すると絵を描きたいという意思がまた戻ってくるだろう。
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12/18/2015
12/23/2014
12/03/2014
9/18/2014
宣言!
突然ですが熟考の末、今後は下の三つの仕事を基本的にお受けしないことにしました。
A) 多くの人数でのグループ展示。
B) 展覧会DMなど案内状のデザイン作業。(わたしの企画除く)
C) 展示のおまけ企画としてのワークショップ。
*
なぜそう思ったかというと、ひとつひとつはちいさくても重なると本来の仕事ができなくなる為です。
この半年、わたくしほんとうに不休で仕事しているのですが、どうもおかしい。
どうしてなかなか大切な仕事(絵を描くことや本を企画すること)に手がまわらないのか?
と考えると原因はこれらのことの集合による忙しさでした。
詳しく書きますと下のような理由があります。
A) ありがたいことにたくさん依頼を戴きます。とくに震災以降。企画自体は楽しい、あるいは意義があるかもしれないけれど、安易な考えのものも多いです。
ひとつひとつは小さな企画でも増えると時間を取られ、作家から長期的な構想の時間を奪います。ただ、どいかやさんがされているような「ペットショップに行く前に展」のような個人の問題意識、強い意思のもとに企画されたものは尊重する気持ちがあります。
B) 画廊の人材不足、費用不足の時代ですが、これらの作業がぜんぶ作家にまわって来ると大変です。わたしのようにデザインができる画家は頼られることになって、時間がどんどんなくなります。なかなか他人には理解されないことですが絵を描いていながら器用にデザインもこなしてしまう自分に気持ちが落ち込むこともあります。
ただ私が企画に密接に関わって役割分担として必要となればデザインする事になります。ニュアンスが他人に伝えられない時とか絵とデザイン要素が密接にからまった印刷物が必要なこともあります。
C)これはなかなか大きな声では言えることではありませんが、ごめんなさい。WSは展示にとってまったく関係のないことだと考えています。
ワークショップは企画者が作家の交通費を捻出してくださるように親切心で発案してくださることが多いです。でもわたしは交通費はポケットマネーでいいです。
ワークショップの準備に気をとられるなら、その時間でもっと直前まで絵に手を入れてクオリティを上げたいと思います。ワークショップやイベントに気を取られず絵を観て欲しいな、といつも思います。絵を見ることはエンターテイメントではありません、じつは大変な、ぐったり疲れてしまうようなことです。いろいろあるなかで絵をみても心にはなにも残らないと思います。
それとこれは特に私の価値観ですが作家はもうすこし引っ込んでいて謎めいていた方がいいのでは?と思います。近年の造形作家の芸能人化に疑問を感じています。
それとこれは特に私の価値観ですが作家はもうすこし引っ込んでいて謎めいていた方がいいのでは?と思います。近年の造形作家の芸能人化に疑問を感じています。
言いたいことはまだ山ほどあるのですが、こんなところでしょうか。
いろいろ私のキャパシティのリミットを越えて来ていて、ここらで宣言しておかないと…と思いまして。
(現在お受けしている仕事は作業させて頂きます。)
6/30/2014
6/30
世界の半分以上がバーチャルになったこの状況も板について来たこの頃、雑踏の中に突然あらわれた焼身自殺の生々しさに頭をひっぱたかれた。
おまえ、少しは目を覚ませというメッセージを感じた。
しかしショックはそれだけではなかった。
焼身する紳士すらもツイッター投稿のネタにしようとスマートフォン片手にむらがる群衆。
もういちど頭をひっぱたかれた。
このままでいいはずはない。
おまえ、少しは目を覚ませというメッセージを感じた。
しかしショックはそれだけではなかった。
焼身する紳士すらもツイッター投稿のネタにしようとスマートフォン片手にむらがる群衆。
もういちど頭をひっぱたかれた。
このままでいいはずはない。
6/26/2014
5/24/2014
5/24
5/16/2014
5/16 メモ
映画監督の相田和弘氏のHPで次の記事を読みました。
「鼻血問題についての広河氏の見解」
チェルノブイリの時の大事な現地取材のデータのある記事だと思ったのでここにメモしておきます。
私(な)自身は鼻血はなかったけど当時神奈川県住みで疲労感、止まらない咳、心臓のどきどき、不可解な半身のかぶれ等ありました。2011年の夏が体調悪化のどん底でした。今はおさまっています。
個人的なことですがわたしの母が広島原爆投下の翌日に家族の捜索で市内に入っているので、わたしはいわゆる被曝二世ということになります。
二世への被曝の遺伝的影響の有無はいまだ議論されています。わたし個人は普段は健康。でも被曝してしまうと他の人より体に影響出るのかもしれないなあ、とあれ以来疑っています。これは人類が長い歴史の中ではじめて経験している事態なのでわたしは自分や家族の体調の変化に気をつけるに越したことはないと思っています。
どこかの機関や大学の先生がこの原発事故と健康被害の問題について何か見解を出してもこのご時世いまひとつ信用する気になれません。
それに対して何年も現地で取材された広河さんの書かれたレポートははるかに重要だと思います。
政治や経済活動のために原発事故の影響を何でも問題なしとする風潮があります。
本当にやめて欲しいと思います。
「鼻血問題についての広河氏の見解」
チェルノブイリの時の大事な現地取材のデータのある記事だと思ったのでここにメモしておきます。
私(な)自身は鼻血はなかったけど当時神奈川県住みで疲労感、止まらない咳、心臓のどきどき、不可解な半身のかぶれ等ありました。2011年の夏が体調悪化のどん底でした。今はおさまっています。
個人的なことですがわたしの母が広島原爆投下の翌日に家族の捜索で市内に入っているので、わたしはいわゆる被曝二世ということになります。
二世への被曝の遺伝的影響の有無はいまだ議論されています。わたし個人は普段は健康。でも被曝してしまうと他の人より体に影響出るのかもしれないなあ、とあれ以来疑っています。これは人類が長い歴史の中ではじめて経験している事態なのでわたしは自分や家族の体調の変化に気をつけるに越したことはないと思っています。
どこかの機関や大学の先生がこの原発事故と健康被害の問題について何か見解を出してもこのご時世いまひとつ信用する気になれません。
それに対して何年も現地で取材された広河さんの書かれたレポートははるかに重要だと思います。
政治や経済活動のために原発事故の影響を何でも問題なしとする風潮があります。
本当にやめて欲しいと思います。
5/11/2014
5/11
描きかけの絵。
茫洋とした風景も人の心の中ではばっさりとレイヤー化されてしまう。
絵を描くときは、任意の点から前後にレイヤーを設定していく。
でも絵を描く人じしんがいつのまにか自分の仕組んだことに「だまされて」しまう。
思い入れや経験、あるいは絵具の物質としての力がそうさせる。
絵を描くときは、任意の点から前後にレイヤーを設定していく。
でも絵を描く人じしんがいつのまにか自分の仕組んだことに「だまされて」しまう。
思い入れや経験、あるいは絵具の物質としての力がそうさせる。
4/11/2014
遠くへ
トウヤマタケオさんの最近の作品に「遠い」という曲があります。
ゆっくりと「遠い」という言葉が繰り返し歌われ、ピアノの和音の深まりと共に、本のページをめくるように遠くの視界が刻々と開けてくるような曲です。
私の絵本「みずいろのぞう」も遠くに行くということをテーマにしたもので、あたらしい絵本の、内田麟太郎さんの詩による「うみべのいす」も海の向こう、遠くを想うおはなしです。考えてみたらアニメーションの「三つの箱」とか「der meteor」もどこか遠くに行くストーリーです。
ここ最近の日課でノートに描き連ねる空想旅行のドローイングもそれに連なるものといえます。
あー遠くに行きたい。
…
…
…日常が嫌になってと甘えた気持ちは脇に置いておいて、何をしていても心のどこかでうっすらと遠くを想うことにはもっと静かで透明な気持ちがあったりする。
ただただ地平線を見つめていたい。
道のかなた、自分が風景の中のちいさな豆粒のように、埃みたいに消えてしまってあの地平線と同化してしまいたい。
そこには見送る自分と旅立つ自分が同時に存在していて合図を送りあっているはずです。
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