9/30/2024
"Tangible&Visible"
Subsequence Vol.7
気鋭の工芸・カルチャー誌"Subsequence"にて漫画"Tangible&Visible"を担当させていただいた。
相変わらずハイクオリティな雑誌で、どうやったらこんな雑誌が作れるのかと驚くばかり。
大きな紙のページをめくっていると幸せな気分になれる。
Subsequence ●
9/29/2024
29. Septembre "木々のあいだの対空時間" 最終日
本日最終日。
会期中盛り上がってくださったとのことで感謝しかありません。
巣箱はあとわずかに残っているそう。
遠方の方はお店にお問合せください。
わたしの呼吸の中にもプロテスト・ソングのような旋律が流れている。
押し寄せる情報の波、個人情報への侵略、主権の制限。
一言で言うとこれらは全て唯物論至上の考えが原因なのだけど、わたしの頭の中では常にこういう傾向に進んでいくことへの悔しさが気持ちが渦巻いている。悔しすぎて歯軋りで歯が減ってるから。
自分でもあまり深く考えたことは普段ないが、絵でも立体でも絵本でも共通しているわたしのモチベーションはこの辺なのだろう。
福岡、望雲さんの"hermit/age"そして本・中川での"木々のあいだの対空時間"
これらのタイトルにもまたそのような意味を込めてある。
鳥籠ではなくて巣箱っていうのがいいんだよね。
心的空間に風穴を開けるような感じがある。
9/28/2024
27. Septembre
「カトラリーとピスタチオ」先日、広島市こども図書館にて。カトラリーのうちフォークはWolfgang Karnagelというデザイナーによる
"1986 WMF" for Lufthansa
ちょっと使いにくいがわたくしの絵から出てきたような形。
9/16/2024
16. Septembre
本・中川での個展「木々のあいだの対空時間」が好評のようで、数点の巣箱を追加した。
巣箱を買った人は、自宅にそれを持ち帰っても、なぜか自分の所有物ではないような気がするのではないだろうか?
わたしがこれらの巣箱の制作の参考にとアンティークの巣箱をアメリカから取り寄せた時に、なぜかそのように思ってしまったのだ。
これは「どこ」に属しているのか。はかり知れない謎がある。
安価な材料で組み立てられていて、さりとて貴重なものではないので、歴史的な骨董を手にした畏れおおさで、わたし如きが所有者なのではない、と思うのとは違う。
またそれは鳥や森の民に属するものだから、という納得の仕方をしようにも不思議な気持ちおさまらない。
本・中川の庭の木に巣箱をかけてもらった。ちょうどこの絵のような状況があった。
ほんの数メートルの先でも、そこに流れる時間は、現実から離れた遠い存在のように見える。
わたしはそのありように羨ましさのような感情を持った。
9/09/2024
9. Septembre
少しだけ秋になったのだろうか?まだまだすごく暑いけど、息を潜めるように盛夏のあいだ、成長を停めていた果樹たちが急に伸び始めた。柑橘、りんご、いちじく、梨、桃。どの木もひょろひょろで、わたしの糖の自給計画はまだまだ先が遠い。でもいくつかの木は初心者への情けのように果を実らせてくれた。
葡萄、葡萄がきれいだった。ベリーAという品種の葡萄の熟す手前の緑から紫に変化していく色、一粒毎にその色の変化の進行具合が違うので、房という集合体を眺めるとすごい。こんなにきれいなものなのかと。来年は絵に描かなくては。桃や梨は店で売られているものの4分の3ほどのサイズで実ってくれた。味もまあまあで、素人でもそれなりに実らせることはできるのだということがわかった。
ミツバチは個体数を増やして巣箱と外界を行ったり来たりしている。鏡を用いて巣箱をのぞいてみると大きなメロンパンみたいなまだまだ初期段階の巣の形が見えた。ミツバチは巣箱に衝突したり水飲み場で溺れたりする。完璧でない動きが心をつかんでくる。
絵本に出てくるようなオークの葉っぱの形が好きで、その木が入手できるかどうかを調べたが、日本には苗が無いようで、思い切って個人輸入した。ピレネーオークという木。検疫証明書と共に届いた木はほとんど枯れているような状態だったが、丁寧めに鉢に植えて日陰で養生管理していると葉っぱが出てきた。オリンピックで世の中が盛り上がっていた時、わたしは庭でガッツポーズしていた。
ハーブ類が伸びまくっているせいか、パトロール猫やたぬきが来なくなったのでさみしい。しかし何故か家の中に入っていることはあるようだ。夜中に天井の上からドタバタと音がして、どきりとさせられる。真っ暗な二階はリフォームの手をつけていないので、古い時代のままである。風通しのためにその二階の窓を開けっぱなしにしているからいろいろな動物が遊びに来ているのか。夜中に二階への階段を見上げると真っ暗で深淵に吸い込まれそうだ。築年不詳の建物なのである。もしあの音が心霊現象だったらどうかというと、霊でも妖怪でもこのわたしがとって食う。そんな図太い神経のひとになってしまった。
安浦の町内のある古い建物の薄暗い屋内(具体的には南薫造のアトリエ)のすりガラスに外の景色が映っていた。暗い部屋だったが雨戸に穴が開いていたので映像がすりガラスに映った。これがカメラオブスキュラかと思った。しばらくしてふとそのときのことを思い出して、自分で再現してみた。すると小さな箱のすりガラスに庭の風景が上下逆に映し出された。去っていく夏の記憶のような画像*。
その様子を見て、ある話を思い出した。人間は生まれてすぐの状態では、視界が上下逆に見えているらしい。しかし、しばらくすると上下をさらに逆に、つまり正しい(?)状態に脳が見たものを変換するようになるのだという。
その変換プログラムを実行する神経的、あるいは心的回路はどんどん太くなり、もはや自分の眼が本当は世界を上下反対に見ているなんて信じられない、という状態になってしまうというのである。本当の世界って本当はどうなんだろうと思わせる話である。
*写真の画像は上下を反転させてある。
9/06/2024
nakaban expo “木々のあいだの滞空時間”
2024.9/11 (水) - 2024.9/29 (日) 営業時間: 12:00~18:00 金・土~19:00
もうすぐです。お知らせが遅くなってしまった。
最近制作している鳥の巣箱と絵画など、など、の展示。
本・中川では過去に二つ絵本の原画展を開いていただいている。
2019年 nakaban × 植田真「とおいまちのこと・みなとまちから」
2023年 「トラタのりんご」
これら3冊はどれも最高の絵本であり、原画展も嬉しかったが、ずーっと苦楽を共にしてきた中川さんのとこなので、いつかは個展をさせてもらいたいと願い続けていて、ついに叶ってしまうというわけだ。
9月11日は本・中川にいますので、ぜひどうぞ。
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