4/29/2020

29.Avril


L’estuaire



4/28/2020

28.Avril



研究者たちの発見。プレボテラ属の菌のこと。 ウイルスは直接殺すわけではない。腸内細菌を通じて感染する。結果として「病原性を帯びたこの感染した細菌は、肺を崩壊させて患者を殺す免疫の過剰反応を引き起こすようです」。この長いメッセージによると、とりわけ証明するのは、ラウール教授の達見であり、それは「この大きな発見を黙らせようとさせる」メディアでの論争を巻き起こすこととなる。
(少しわかりにくいけれど、自動翻訳を修正)

語学学習的にフランスのニュースを斜め読むことがあるのだが、偶然このような記事に出会った

あの例のウィルス単体が危険なのではなく、感染した体内の菌との組み合わせで危険なものになるという話。
日本ではまだあまり報道されていないような。

その記事の題には結論を急ぐべきではない、と書かれているのだが、それでもわたしはこれにとても納得ができた。
感染とその悪化について、ばくせんとイメージするしかなかったところ、具体的な映像として人体の日和見菌が乗っ取られ、オセロゲームのように「敵」に寝返るような様を思い浮かべることができたからである。

フランスのディディエ・ラウール教授の指摘するプレボテラ属の菌はコメを食べるアジア人の腸内細菌叢に多いのだけど、コメを最も食べてきて、プレボテラ菌を多く体内に保有する東南アジアでの死者がむしろ少ないことはどう説明できるのだろうか。

これはもちろん素人考えなのであるが、菌というものがどうやらこのコロナ悲劇の主要役者であるようであるし、体内の細菌叢の健全度でこのウィルスに負けるかどうかのかなりの部分が決まって来るのではないだろうか。

ウィルスによって体内の菌(例えばそのプレボテラ菌とか)が感染し悪い振る舞いをしないように、暮らしの中でもう少しこの腸内の細菌叢のことに気を使うべきなのかもしれない。

そこで取りうることのできる対策として、やはり菌活的な暮らしがより大切になって来るのではないだろうか。
例えば発酵食品、野菜などをたくさん食べる。自分はそういう食べ物が好きなのだが今より意識してみようと思っている。

そして腸内細菌叢に悪影響の多い保存料の多く入った加工食品を買わない。
もしかしたら発酵食にこだわるよりもこちらの方が重要かもしれない。
というのも、見ていて加工食品を多く消費するいわゆる西側先進国に重症になる患者さんが多いような気がするからだ。アメリカとか。

ヨーロッパも死者が多いが保存料のとてもキツいハム類といった加工肉や出来合いの惣菜が現地でことのほか大量消費されているのを現地で見た(日本の食事もこれについてはひどいが)。
いまその関連が気になっている。そして全世界的に若い世代の感染率が高いこと…これも加工度の高い食事(ファーストフードやコンビニ食)との関連で説明できないだろうか。
自分は研究者ではないのでこれ以上は調べられないけれど。

感染者数の割に死者がゼロのマダガスカル。こんな記事が目に留まった。
マダガスカルの「抗ウイルス発酵食品」、飛ぶような売れ行き
やはりここでも発酵食品。

ラオスやヴェトナムなど東南アジアの国も感染者が出ても死者が少ないが、どこも発酵食品をよく食べる国だ。
日本人や韓国の食生活も発酵食品に囲まれているが、そのおかげで重症化しにくいのかもしれない。

また、菌といえば、自分が気を付けているのは殺菌消毒に関わることだ。
皮膚を覆う常在菌も病原菌を避ける上でとても大切なものであると本で読んだことがある。(なのでこの数年、レストランで出されるお手拭きもなるべく自分は使わないようにしている。持ち帰って掃除に使わせてもらっている)
そして今、世論は殺菌に傾いているが、わたしはアルコールで手の皮膚を消毒しなくても良いように使い捨ての手袋を持ち町を歩くようにしている。
そして密かに防護服の人たちが殺菌剤で町全体をシューッとやるような事態に進展しないようにと祈っている。

家に居ることが大切とされる時期ではあるが、やはり陽に当たったほうが良いという記事も最近のネットニュースに出ていた。
それは正しくてビタミンDは体内の細菌叢を健全化することで知られている。
また植物を育てたり土を触ることもとても大切だと思う。

…ここまで長々と読んで頂いたら伝わってしまうかもしれないけれど、わたしは自分の身体が細菌の集まりなのだという最近の微生物学の考え方がとても好きだ。

自分は日々違う組み合わせの組成を変化させながら生きている、ということが実感できるからだ。
そして個の「死」とは自分をかたち作る細菌のバンドの解散のようなものだと思っている。
細菌の集まりから集合意思のように心が生まれるのかもしれない。
その辺は永遠の謎ということで良いかと思う。

隔離、消毒。他人を恐れる、そんな風に人を萎縮させるようなルールにあっという間に世間は変わってしまった。
それは確かに科学的に優れた発想に基づく処置なのかもしれないが、その暮らし方はどこか不自然に作り物めいていて端的にいえばそこには心がない。
同じ対策をするなら、もうちょっと現象を観察した上で地に足がついた愉快な方法がないものかと自分は思っている。

食とか健康に関わる考えはなかなか政治的なことなので、他人に押し付けるべきではないし、滅多に書くべきではないと思って躊躇した。
でも誰かの新たな発想の一助になるのでは、と思っていたことを書いてみた。


4/25/2020

24.Avril





(Ébauche)

4/23/2020

23.Avril




L'ermitage

4/22/2020

22.Avril




雲を運ぶひと

石のまなざしを4つの羽の上に運ぶ「きみ」
石のため息を4つの葉へと運ぶ「あなた」
他人ぎょうぎに それとも親しげに
コーヒーカップの山の上で 
キスのうわべを冷ます
酒に浸したシンメトリーの心たちは
右頬の内側の左手へと落ちていき
鍋つかみも無しで かりかりとかじられてしまう
他人ぎょうぎに それとも親しげに
コーヒーカップの山の上で 
その1日に夜を贈る
4つのピンを引き抜いて 
豪華な耳と雪靴と いっしょに吹き飛ばす
そして ひとの声に似た星の端に座る

JEAN ARP "Jours effeuillés"(Gallimard) p125. Porte-nuage  




昨年、彫刻家のジャン・アルプの詩の本を入手した。
Jours effeuillés = 落葉の日々。
このタイトルから感じられるのは、
詩を書き記すことで心のページを増やすのでなく、失わせていく感覚。
かっこいい…。

4/21/2020

21.Avril





vue devant la gare

4/18/2020

18.Avril



Aux Voyageurs

4/17/2020

17.Avril



(Ébauche)











4/15/2020

「晴れたら空に骨まいて」


本日刊行の川内有緒さんの「晴れたら空に骨まいて」(講談社文庫版)
表紙絵を描かせていただいた。装丁は矢萩多聞さん。



カジュアルな親しみやすい文章に引き込まれ、読み進めるうちにいつの間にか圧倒的な読書体験をしてしまった。
読み終ってしばらく経った今でも目が眩み続けるような思い。

死ぬこと生きることの内外(うちそと)にある言葉で説明できないもの、それをこうして誠実に言葉で記した著者のパッションに圧倒される。この本の中に描かれた人たちの生き様の眩しさ、感情の多彩さに心が突き動かされた。

川内有緒さんはこの本に描かれなかった人すらをも描いているのではないだろうか。
なぜなら読み終わって以来、わたしは会う人、知る人、思いだす人が少し眩しい。
今まで以上に心の旅人どうしとしてそのひとに出会うようになってしまったということだ。

そうさせてしまうことがこの本のすごいところだと思う。


4/14/2020

14.Avril



La Gare

4/12/2020

12.Avril


Musée Archéologique



4/11/2020

11.Avril




Livre d’art Picasso et trois pinceaux

4/09/2020

9.Avril


Nature Morte (Avocat)

4/07/2020

7.Avril



Vue de la place

4/06/2020

6.Avril


Le chemin sauvage vers la falaise

4/04/2020

4.Avril


Café com leite

4/02/2020

2.Avril




L'ensoleillée