今年は僕にとって本の年だった。
本のかみさまが舞い降りてきて、ぼくを締め切りでぐるぐる巻きにした。
そのおかげで多くの本に関わることができた。
素晴らしい詩集やエッセイ本、食、児童文学など。
素晴らしい詩集やエッセイ本、食、児童文学など。
そして数々の街を彩る雑誌たち。本ではないけれどお酒のラベルも描いた。
仕事場の本は増え続けるけれど、見本誌ってポストに届くと嬉しい。見本酒はまだですか?
今年は忘れられない三つの本を出すことができた。
一つは「窓から見える世界の風」。
世界を旅するように、住むように。
窓から目には見えない風を眺める。
福島あずささんの解説で風の詳しくを識り、絵で空想旅行を。
こんな本を作ってしまっていいのだろうか?というくらい自由で、好きで、とても楽しみながら作ることができた本。
もう一つは「ぼくとたいようのふね」。
闇と光を前半と後半でおおきく対比させながら船で行く旅の絵本。
この本でもう絵本と決別してもいいかなあと思うくらいやり切った。
というのも、図らずもぼくの過去の絵本の要素が少しづつ集まったような総集編のような本になったからだ。
でもだからこそ、みたことがない新しい絵本を作りたいという思いが当のこの絵本からもあふれている。頑張った自分。
いま、次の絵本の絵を描いている。
そしてもう一つは、つい最近の「ことばの生まれる景色」。
この青い本は時代時代で読まれ方が変わっていくだろう本だと思うので、それをみてみたいと思う。この本を売って行きたい。でもぼくは何もできないので原画展をひらいてもらって話をしに行く。来年はあちこちに行きたい。
大晦日の今もその展示のためのマット切り中。
この3冊をほぼ同時期に出せたことが本当に感慨深い。
本屋さんがたくさん応援してくれた。今までなかったことだけど本屋さんからお手紙までいただいた。とても嬉しい。
そしてもちろん本を手に取ってくれる人たちがいる。
皆さんに深い感謝を。
こういうことを思うと熱量が上がっていく一方なので、来年は少し落ち着いて静かなパッションで絵を描きたいと思う。
本も作らせていただけそうなのでいいものにして発表できたら嬉しい。
今年はブラジルの国立博物館の所蔵品が火事で焼けてしまったという事件があった。
その記事を読んだ時に不意にとても落ち込んでしまったのを覚えている。
遠い自分とは無関係な、その瞬間まで知らなかったもののはずなのに、記憶の宿った大切なモノが永遠に失われるとわかった途端に悲しくて胸が痛くなるのだ。
これは一体どういうことなんだろう?
そのようなことを考えながら来年は絵を描いてみたいと思う。
今年は忘れられない三つの本を出すことができた。
一つは「窓から見える世界の風」。
世界を旅するように、住むように。
窓から目には見えない風を眺める。
福島あずささんの解説で風の詳しくを識り、絵で空想旅行を。
こんな本を作ってしまっていいのだろうか?というくらい自由で、好きで、とても楽しみながら作ることができた本。
もう一つは「ぼくとたいようのふね」。
闇と光を前半と後半でおおきく対比させながら船で行く旅の絵本。
この本でもう絵本と決別してもいいかなあと思うくらいやり切った。
というのも、図らずもぼくの過去の絵本の要素が少しづつ集まったような総集編のような本になったからだ。
でもだからこそ、みたことがない新しい絵本を作りたいという思いが当のこの絵本からもあふれている。頑張った自分。
いま、次の絵本の絵を描いている。
そしてもう一つは、つい最近の「ことばの生まれる景色」。
この青い本は時代時代で読まれ方が変わっていくだろう本だと思うので、それをみてみたいと思う。この本を売って行きたい。でもぼくは何もできないので原画展をひらいてもらって話をしに行く。来年はあちこちに行きたい。
大晦日の今もその展示のためのマット切り中。
この3冊をほぼ同時期に出せたことが本当に感慨深い。
本屋さんがたくさん応援してくれた。今までなかったことだけど本屋さんからお手紙までいただいた。とても嬉しい。
そしてもちろん本を手に取ってくれる人たちがいる。
皆さんに深い感謝を。
こういうことを思うと熱量が上がっていく一方なので、来年は少し落ち着いて静かなパッションで絵を描きたいと思う。
本も作らせていただけそうなのでいいものにして発表できたら嬉しい。
今年はブラジルの国立博物館の所蔵品が火事で焼けてしまったという事件があった。
その記事を読んだ時に不意にとても落ち込んでしまったのを覚えている。
遠い自分とは無関係な、その瞬間まで知らなかったもののはずなのに、記憶の宿った大切なモノが永遠に失われるとわかった途端に悲しくて胸が痛くなるのだ。
これは一体どういうことなんだろう?
そのようなことを考えながら来年は絵を描いてみたいと思う。