12/28/2021

28.Décembre

 

くどうれいんさんによる「それぞれの雪」

12/23/2021

vieux quartiers



パピエラボによる、活版4色印刷による年賀カード。→ PAPIER LABO. 

12/21/2021

21.Décembre





さかむらに行ったら、つい先日まで取り組んでいたあれらの絵が最初からそこにあったみたいに並んでいた。つまり、つい最近まで存在しなかったものが現れてしまったのであり、ゼロがイチになったのだ。ゼロは絶対の無ではなく無と有の間をおっとっととバランスをとりながら揺れ動くトワイライトの領域であるのであり絵を描くことはその辺りをブラインドタッチで交通整理するような感じ。君はまだ薄明のなかに眠っていなさい、君は起きて舞台に出てごらん。。。ともあれ間に合いました。それらがさかむらのアンティーク品たちとしれっと一緒にあると言うことの不思議さ。クラスに転校生が現れて少しざわっとするようなそのときめきと不穏さは、残念ながら工房では、いろいろありすぎて麻痺してしまい感じられないので、飾られている状態を見にいくことは大好きだ。絵を見る人を見るのも好き。


12/18/2021

18.Décembre

 



個展の絵から。描きかけの段階。
記録もとらず、絵は全て熊本に送った。
でも宅急便は雪で遅れるかも?と言われた。

12/17/2021

17.Décembre

 



"Paloma Negra"

鳩には興味をそそられる。
得体の知れない色合い、一筋縄で行かないフォルム。
鳥にしてはやけに重みを感じる。
そしてけっこう目が怖い。

12/16/2021

16. Décembre

 




ジャリ道をあるいてる足の裏はすてき方位磁石すっかり狂ってしまって片目の猫と目があった
夕焼け朝焼けどっちかわからないのでお豆腐をマケドニアの尾道まで買いにいきましょう連絡船にのって

12/15/2021

15, Décembre

 







さかむらさんには20日に参上予定。
てか絵の制作が間に合わない。過去最大のぴんちか。
ナイスな空間での新作の展示にこだわりたい。


12/13/2021

マスクは100%意味がない。



ここ広島の電車ではマスクを着用しましょう、というのは車掌さんのアナウンスではなく「録音」になった。他の町ではどうだろう。
つまりこれ、マスク着用は恒久化され、日本人の性格的にこれからずっとマスクをすることになるのだろう。
本当にそれでいいのだろうか?
脳細胞が壊れても。この社会で育つ子どもたちの表情が無くなってしまっても?

わたしは電車の中でもマスクをしないことがある。
というか、まあ申し訳ないけどほとんどしていない。こういうことには全く意味がないからだ。

先日知らないひとに話しかけられた。
「みんなの迷惑になるからマスクしてほしいなあ」
「でもマスクは全くこういったことには意味がないし、酸素不足で免疫が落ちるし脳細胞とかも壊れるんですよ」
へっ!と言われて会話は終わりだった。

あまりに課せられたものが釣り合いが取れないと思った場合、社会のルールを無視するということも必要ではないか。
そのみんなの迷惑というのは、いったいそもそも何だろうか。
何がそれを醸成させたのか?
感染の機序がなんとなくみんなの頭の中にイメージされているけど、もしそれが嘘だったら?テレビや新聞、ネット、専門家が言っていることをそのまま信じるべきなのか?
過去にはえらい人から言われたことをそのまま信じた結果、庶民が進んで戦争や不幸に加担してしまった、という歴史のパターンが山盛りあるではないか。

感染がそんなに怖いなら、この問題でパスツールとべシャンまで遡ることは基本であり、中世の黒死病や古代ギリシャのミアスマ(瘴気)という概念まで、感染症の恐怖を偽って、全ては民を分断させるための政治的なまやかしだった(要するに今と同じ)という事実を知らなければいけない。

ただ…それらのことはそうとう、オタクのように調べなければわからないようになっている。日本語の書籍は、ない。

150年前から医学は産業の支配力が濃くなっているので、むしろ身体に悪いことばかりしているではないか。
余程の良医でない限り、お医者さんは社会にばら撒かれた毒、つまり食品の添加物や日用品に使われる有害物質といった病気の原因に注意を促すことはない。

その一例がマスクで、何気なく口に密着させてるだけで、化繊のちりや消毒剤の毒を毎日吸っているということをどれだけの人が知っているのだろうか?
大人はいいけどそれを子どもたちにも強制させているなんて。
そろそろ、いい加減にいろいろとお調べください。


12/04/2021

expo:「nakabanの画板」


熊本の「さかむら」で展示をさせていただく機がまたまた巡ってきた。
久しぶりに自分でDMのデザインしたけど、やっぱりミスが。
サイトのアドレスが.com.jpってなんでだ。誤植です。申し訳ない。
坂村さんには内緒にしておこう。

今回はまた新たな気持ちで風景をたくさん描いている。
ダーラナのように風景と会話しながら歩いているような感じだ。

「nakabanの画板」
2021.12.20 (月) 〜 2022.1.22 (土)  
11:30〜21:00 日曜休
〒860-0842 熊本市中央区南千反畑町5-15 
電話  090-9397-6501 




11/25/2021

「バスにのるひ」

 


「バスにのるひ」
はせがわさとみ:作 nakaban:絵
編集:トムズボックス
book design: 坂川朱音(朱猫堂)
絵本塾出版より11月末発売



11/22/2021

22.Novembre


恵比寿、ギャラリー山小屋、まだ設営中。いよいよ明日から。自転がはじまる。途中の劇場 

11/19/2021

19.Novembre

あたらしい絵本「ダーラナのひ」が無事にできあがった。

編集は偕成社の丸本智也さん、デザインはtentoの漆原悠一さん。
素晴らしいチームだった。頼りまくり。ありがとうございました。

果たして本屋さんに置いてもらえてるのか現実感はないけど、お見かけたとき手にとってめくっていただけたら嬉しい。

kaisei web「わたしの新刊」

初期のラフスケッチのテキストが載ってる。

火のあるところがいるところ
翳って光れ 狼の目玉
廻れ 転がれ 石のつぶて

11/13/2021

自転がはじまる。途中の劇場

 






















突然だけど、人形劇をやってみたい。
思い立ったらはじめてみようと。

nakaban×山口洋佑×川内有緒というこのチーム。面白そうでしょう?

はじめてみたら人形劇が最終到達点になるのか、それすらもわからないこのわくわく感w
このプロジェクトは続きもので、まずは楽しいopen studio的展示を。
どなたさまもお楽しみください。

「自転がはじまる。途中の劇場 and then, the rotation begins at the theater of on-going」

東京都渋谷区恵比寿1-7-6陸中ビル1F
11.23 tue - 29 mon  2021 
14:00-19:00
企画運営:MOVE Art Manegement
宣伝美術:高野美緒子


11/10/2021

グランマ・ゲイトウッドのロングトレイル



カバーの絵を担当させていただいた。
原著は"Grandma Gatewood's Walk"
ハイカーにとってバイブル的な書。
67歳になってアパラチアン・トレイル(2050マイル)を歩いてみようと思い立ち、
ありえない軽装備で踏破してしまった伝説のおば様の本である。


「グランマ・ゲイトウッドのロングトレイル」
ベン・モンゴメリ著 浜本 マヤ訳
尾崎行欧デザイン事務所:装丁

山と渓谷社 刊
2021.11.17発売 2,640円

11/08/2021

8.Novembre





絵本をとじると、ダーラナとおなじように、
きみもわたしも、こころを澄まして風景と話すことをはじめる。
ほら、この暗闇の中にいても、だんだんとこわいものが、なくなっていく。
その、こわいものがなくなってしまったあとの、ぽっかり空いた明るい点を見つめてごらん。
いまというときに無関心ではいられなくなり、あたらしい旅をはじめたくなるから。

11/01/2021

1. Novembre


トークイベントの機会は滅多にないけれど、この11月は高松と広島の2カ所でお話をさせていただくことに。

11/7(日) 「画家nakabanはときどき絵本作家?」
高松市図書館主催 サンクリスタル高松 3階 視聴覚ホール 13:30~15:00
与えられたお題は絵本。壮大な絵本の世界について語る資格はないので、自分の絵本制作活動を振り返ってみようかと。
ご案内のフライヤー


11/20(土) 「そして誰も語らなくなった?」
詩人アーサー・ビナードと画家 nakabanにヒロシマのこれからをきく
F・C・L ひろしま主催  広島市留学生会館 13:30~16:30
申し込み先 090-2866-5422(佐々木) ←会期後はお電話番号削除予定。
アーサー・ビナードさんと対談。
このテーマついて話すことも滅多にないのでこの機会に

10/26/2021

26.Octobre



燕が南に飛んでいくのを眺めていた。
空中に描く孤が多層の波になって、こちらにも旅立ち前の高揚感が伝わってくる。
わたしの代わりに南に飛んでいく燕(うらやましー)。
でも燕たちが去り、わたしの視野から消えてしまうと、その眺めているわたしと燕たちとの繋がりの糸は絶たれてしまう。

鳥は世界の方々に星や風のことづてを伝え、だんご虫は黙って地面を作り続けている 。
じゃあ、「ひと」である自分の担当はなにか?
浅く眠りながら考えていたが、ふと、「きちんとさせること」という言葉が思い浮かんだ。

ほう、きちんとさせる〜。
あんた暮らし系ですか?
いえいえ…

むろん、鳥やだんご虫の特性すらをひとは持っている。
自分の意識は目に映る風景にひとしいからで、だれもがなんでも出来るからだ。
あるいはこうも考えられる…いま、身動きのできないわたしの代わりに、大きな領域や小さな領域をかけ廻り、遊んでくれているのが鳥や虫たちであるのかもしれない、と。 (そう思うことによって視野を拡げようとするわたしの無駄な努力w)

しかし、きちんとさせるというのはなかなかどうして「ひと」だけにおおきく付与された特性ではないか。
(実際は猫が毛繕いに時間を割くように、他の生き物もけっこうきちんとさせている)
きちんとさせるということは深くて、それは、誰もみていないところでそれをするということに関係していて、高貴な遊びなのである。

きちんとさせるときには注意したいことがある、整えるなどと言いつつ他の存在を傷つけたり憎む気持ちを持っていてはいけない。(つまり、ゴミ掃除の時にそのゴミを憎むなど)
行為の透明度が鈍るからである。
だから高貴という言葉を使った。 

絵を描くときは一種の画面という箱庭の中でそれをしているような気がする。 
とくに油彩には失敗を更新しながら整えるという一面があるが、そのときに失敗を憎まないことが同じように大事で、失敗したときにチッと舌打ちをするような状態だったら、わたしは描くのをやめるようにしている。
その箱庭の中ですることは箱庭の外部に影響が及びそうな気がして、ひそかにこわいのである。 もしかしたら長い間飾っていただくかもしれない絵だと思うと尚更である。

描くことに何かの目的とか望みがあるとするならば、品よくありたいというものがいつも第一で、そういうことって、結局自分が気取った態度を取りたいだけなのかなあ、と考えていたが、寝ぼけながら思い浮かんだ「きちんと説」をかんがみるに、ここにはもっと深い何かがあるのではないかと思うようになった。 まあはっきりとしたことは見えないんだけど。

ある友人はガラが悪くて品がいいというのが一番良き態度であると言っている。
その友人の店で年末に展示します。

10/09/2021

9.Octobre



金沢。
本日は« Tentopathie »

10/07/2021

niti-guのRoll On

 





屋久島の宮之浦フェリー港にあるお店 niti-gu (日具)のオリジナルのRoll Onである。
である、ってえらそうに言いながら、わたしはRoll Onというモノがなんなのか最近まで知らなかったのだけど。
というか実は今も理解していない。
素肌に転がし、素敵な香気を発生させる装置のようだ(合ってる?)。

ユーカリ系の野性味と洗練味の合わさった一品。最初は柑橘系かと思ったけれど。
このラベルに使われている図版はniti-guのリニューアルの際に制作させていただいた版画「川を遡(さかのぼ)る子」が元になっており、お店の看板にも使われている。

この子が川を遡ると原始の森が生えてくる



10/05/2021

4.Octobre


ひとが会話するときの唾は2メートル飛ぶようになっているらしい。

このことから、まずマスクというものが必須になり、それから他人との距離を2メートル取りなさいとか、
飲食店の切符売り場のようなアクリル板とか、黙食?とか自宅勤務とかをやるようになった。

そもそも、自分たちの身体が唾(情報)が2メートル飛ぶデザインで設定されているのはなぜなのか?
という大きな問いからなんだか人類全体が目を逸らし続けているような気が、わたしはする。

この奇妙なルールが流行する前は、ひとは他者の唾のみならず、さまざまな季節を知らせる自然界からの粒子、
摂取しすぎたら危険な毒物の破片、などなど、つまり環境からのさまざまな情報をシャワーのように浴びながら、
瞬間ごとに自分と環境との関係をアップデートしてきたのだ。

たしかに唾が飛ぶとかいうのは不潔なイメージがあるのかもしれないが、やはりそれは生き物として必要な仕組みの一部だったのだ。
動物の、例えば猫とかは子ども猫を舐めまくっているし、ひとの赤ちゃんも色々なものを舐めて学習するではないか。

しかし今はそういうのはとにかく怖いから触れたくないと。
感染症の怖さにパニックとなり自分の周囲を何もかもを嫌っているわけである。
そのようなことをやればやるほど、アップデートが滞ることによって、遷移し続ける世界の「今」から乗り遅れることになり、
自分の生き物としての力は衰えていく一方なのではないだろうか。

ところで、自分はどこまでが自分の領域なのかと考えたことはないだろうか?
わたしはいつもそんなことばかり考えている。

「それは自分の皮膚の内側に決まっている」

まず、この答えが返ってきそうだ。

では、自分の着る服はどうか?
「もしかしたらそれも自分のうちに含めてもいいかもしれない」

では、自分の周りの大切な本や道具のある空間はどうか?
自分の作る料理や撮る写真、絵はどうだろうか。
眺める景色とは、主観的に見えるものであるが、どうだろうか。いったいどこまでが自分だろうか。

などと進めていって、なんとなく、わたし個人は何も注意を環境に向けない状態であっても、
自分の周囲2メートル、合計4メートルの球の内側は常に自分の一部である、ような気がするのだ。
(欲張り?でも本当は見える風景が全部自分だと思いたい)

だから、旅をすると自分の周囲4メートルが新しいものに触れて置き換わっていって、
旅先で色々なものに出会って出発点に戻って来たときには、自分の一部がどこか生まれ変わってしまっているというような感覚をおぼえるのではないか。

つまり、ここで何が言いたいかというと、ウィルスの件で自分の周りが全て汚れているのではないかと恐れて、「嫌う」ということは、
無意識に自分自身をも呪い続けているような、気づかないうちに自らの魂を萎縮させている状態であるのではないかと思うのだ。
意識という視点から眺めると、それは大きな危機ではないかという心配を感じてしまうのである。

この世界の現状はルール過剰となる一方で、個人はより小さな型の中に部品のように押し込められようとしているのはもはや明白で、
でもこの状況だったら仕方がない、とみんな あきらめている?

そこから抜け出すにはどうしたらいいのだろう、とそろそろ考えるときだ。
このような話はすんなりわかってもらえないと思うけど、自分的にはここはかなりこだわりたいと思っているのだ。

9/27/2021

Umitaro ABE and nakaban presents « Tentopathie »





Umitaro ABE and nakaban presents « Tentopathie » 

金沢で開催されるイベント「市役所の第二本庁舎でゴミのことなど考えるマーケットしてみます」(http://otomekanazawa.jugem.jp/?eid=534)にお誘いいただき、かねてから画家・nakabanさんと企てていた秘密のパフォーマンスが実現します。その名は「Tentopathie=テントパシー」。会場に現れるテントの奥で、音楽家と画家が、あなたに合わせて音と画材を調合いたします。ええ、それは絶えて久しき藝術療法。たったひとりのための、そしてほんのひとときのパフォーマンスです。


・日程:2021年10月9日(土)
・会場:金沢市役所第二本庁舎(金沢市柿木畠1-1)
・料金:1人1,000円(ハーブティー付き)
・時間:前半 12:00~ /後半 14:00~(整理券配布時にご希望の時間をお選びいただきます/お一人あたり5分程度)
・協力:橋本建築造園設計、mogo

*当日10時より、会場の金沢市第二本庁舎にて整理券を配布いたします。
*先着順でご希望の時間をお選びいただき整理券をお渡しいたします。
*整理券は前半と後半それぞれ定員に達し次第、受付終了となります。
*お選びになった時間帯(前半=12:00~13:20頃/後半=14:00~15:20頃)の間、会場内で待機の上、順番をお待ちください。
*料金は整理券と引き換えにお支払いいただきます。


…..

金沢 10月9日。阿部海太郎さんと。
「テントパシー」という未知の職業を掘り起こしてしまった。
18~19世紀に、ある種の藝術療法のようなものが存在したと私は信じていて、実在の可否はさておき、それら歴史の間に消え去ってしまった何者かへのオマージュである。
今回、藝術の都「金沢」の、さまざまな魅惑の露店の中に紛れこませていただき、
天幕の中で、お一人だけのために、限られた時間ではあるが、特別なひとときを演出させていただく。
世界最小のあっという間のコンサート、ティーサロン、音楽室、アトリエ。

9/24/2021

24.Septembre



稲妻を見たら「稲妻は上空にだけあるのか」と言うことでしょう。
そうではありません。
夏のあいだじゅう、植物が受精するとき、草原、森の至るところに稲妻が光っています。
そして私たちのなかで、いつも稲妻が走っています。
稲妻が走るときに見られる現象が、内的に私たちを貫きます。
私たちの思考が、私たちの内なる稲妻なのです。

(ルドルフ・シュタイナー 「人体と宇宙のリズム」 西川隆範 訳)


R・シュタイナーは抜群に冴えていたと思う。

【concept】は「考え」だけど、【conception】になってくると「受胎」と言う意味になるのだ。
アイデアとは、目に見えない、内的な微小の稲妻を束ねたもの。
このアイデアは自分が生み出した、などと自慢したくなるが、やはりそれは世界からの贈り物にすぎないのだろう。

植物の根や葉脈、菌類、河川、動物の神経、毛細血管…
稲妻に相似しているものはやっぱり呼応していると言うことなのか。
子どものころから不思議だったよね。

みなさんは内的な「通電」を良くするために何かを心がけているだろうか。
(わたしは、特にない 笑)


一つ、余計なことを書くと、現代人がデジタルデバイスにがんじがらめになってしまうのは、やはり自分の内的な「稲妻活動」をサボりたくなり、それを身代わりでやってくれるように錯覚する存在があるものだから、そこについつい甘えてしまうせいなのかもしれない。


9/22/2021

22. Septembre



mRNAワクチンを打つと遺伝子組み替え人間になってしまうかも?

という一般人の心配は「センモンカ」に早々に冷笑的に否定されて、あのワクチンは世界中で打たれまくった。
しかし素人の予感が当たるかもしれないこともあるわけで、ここにきてRNAの逆転写が本当である可能性が出てきたようだ。

ヒトRNA逆転写酵素シータ 
https://youtu.be/mgJRvptJqSU

RNAの逆転写が起こると一時的な傭兵のはずだった、スパイク・プロテインその他公開されていない何かがずっと体に居座ってしまうかもしれない。

「そんなことあるわけない」
そう断定したその時点で、その人物は科学を捨てて政治と商売の下僕に成り下がっていると疑われても仕方がない。

聞いたところではフランスなんかではワクチン10回分のスタンプ帖があるらしい。
ワクチン接種を終えたひとも「まだ」1回2回なのでこれ以上は打たない方がいいんじゃないかな?


9/15/2021

「ダーラナのひ」

 


11月にできる絵本(偕成社:刊)で、いまは色校正をしているところ。
この「ダーラナのひ」は焚き火の絵本。

焚き火という主題に導かれ、心に去来する物語を書きとめながら、自分がほんとうに願っていたことがらに触れたと思った。その願いのコレクションは、もし誰かほかのひとなら、きっと笑ってしまうくらいに地味なものの集合体で、でもそれは確かに自分にとってなくてはならないものという手触りであったのだ。そういうものを可能な限り絵本に書(描)きたいと思った。

さて、ダーラナの焚き火のことを、絵を描きながら追体験しただけでも、涙目になるようなあの煙たい灰にさらされ、頬が火照ってくるような気がしたものだ。(取材で焚き火をしたのだが、その後数日、煙の匂いが頭髪から抜けなかった。あれは良かった)

火が勢いづいて炎となり、日常ではあまり聴くことのない、あの炭素のはじけるすてきなノイズの音楽が去っていくと、その後に静かな火との対話の満ち足りた時間が訪れる。
ここがどこであってもどうでも良くなってしまうような、そのなつかしさをわたしは他に知らない。自分が決して知らないはずの、祖先の辿ったであろう旅路に立っているような錯覚。

もしかしたら、あなたやわたしはずっと旅をしていて、いま現在のここもまたいっときの野営地に過ぎないのであり、旅の道は果てしなく遠くに続いているのではないだろうか。

なんて、心が遠くに行ってしまいそうなのでこのへんで。
まだできていない絵本なのに、あれこれ書いてしまった。
11月に本屋さんで見かけたとき手に取っていただけたら嬉しい。


8/31/2021

Subsequence 04

 


畏友、I 編集長のつくる雑誌 Subsequenceも4号が発売になった。
まんが [Tangible & Visible] が続いてる。


8/28/2021

28.Août


畑や鉢植えなどで植物を育てはじめた人が多い。
すごく多くいらっしゃるのだ。このことに何かあるなと思う。

土は癒される、気持ちを落ち着けてくれる。そして自分で育てた野菜はおいしい。

そういうふうに、ひとは言う。

土は混ぜたり捏ねたり、耕したりするときに、つい夢中になって、心がどこかに飛んでいくような、そういう感覚が心地よい。冷たいような暖かいようなあの手触り…。むかし、小さい頃は好きだったのに、いつの間にか汚いと思うようになっていた土と一体化するその感覚。

土って、長い時間をかけて降り積もった死骸のかたまり。
それなのにあまり怖くないのはなぜだろう。
あるいは手のひらにちょこっとの一グラムあたりに百億の微生物のいる魔境なのに、気持ち悪いと思わないのはなぜだろう。
自分もいつかは死骸や灰になって土になってしまう。今のうちから付き合ってみましょうか、というような時間旅行のような感じなのか。

そしてもちろん、日々育つ植物の見せてくれる驚き。伸びる枝。
朝起きると枝が昨日よりもぐんと伸びている。
夜の間、たくさんの枝の成長点は星の位置を指さしている。
でも星は動くから、星に憧れる植物もねじれるように成長する。実は人間の身体もそうなんだけどね。

そうやって植物を見ているけど、やっぱり土こそを見ている。概念的にも物理的にも、はるか高いところから見たらわたしたちも街もほとんど土と同一に見えるかもしれない。

気持ちわるい虫をみつけて、潰そうと思い、ふと自分がその虫であるかのような気がしてしまい、やっぱりやめておこうか、と思いとどまったり、「土目線」で遠くからやってくる少し強い風を感じたり、明日の天気を予想してみたりする。

明日のことまではわからないけど、せめて午後は晴れたらいいなと祈り、果たしてそういう祈りはまさか通じるのかしら?と密かに試すように雲の様子を眺めてみたりする。
いろいろと気にしなければいけないことが拡がって、それでも楽しい。自分の輪郭が確実に拡がっているなと感じる。

そんなふうに熱っぽく書くと、わたしは畑でも始めたのかと思われるかもしれない。わたしは果樹の鉢植えを育てている。気がついたら、あはは。100鉢くらいになってしまって。

初めはおいしいフルーツやきれいなお花を育てるという損得勘定ではじめたのに、いつのまにか、そうじゃなくなっているのだ。これは絵を描くことに似ている。つまりわたしにとってはとてつもない面白みがあるのだ。だから100鉢。あはは。

絵の具は土から出来ているし、土の親戚のようなもの。
混ぜたり捏ねたり、耕したり。どんなふうに絵が育つのかわからない。
浅薄な「意図」は自然への冒涜になるような気がして、それを慎んだ方がいいのか、それともやはりなんらかの手を講じた方がいいのか、そのさじ加減にまつわる判断も理屈ではなんとも説明できない。

それでもわたしは何か、確たる根拠があるかのように、突き動かされるように手や身体を動かしている。鉢植えで植物に触れるときも、絵を描くときも、絵のストロークのひとつでも、そうしなければどこかに進めないとでも言いたいかのように。
形而上の話である。別にどこかに行かなくてもいいはずなのに行こうとする。その原動力は「突き動かされ」。
それって何なのだろう。

7/14/2021

14.Juillet











挿絵の作業が続く…のでちょっと寄り道。
バターみたいに塗るだけでどうしてこんなに面白いのか。
明日が楽しみだ。

というわけで明日の自分に伝言で、

1)左の山の形がいまいち
2)地面に雲影を試すこと
3)空をさらに白くすること
4)絵には描かないが、海岸までの距離を明確にすること(吹いている風の質)

7/12/2021

12.Juillet

 


La façade ouest (west front)

7/11/2021

"At NIGHT" expo vol.2

 



7月13日(火)~7月31日(土)
Calo Bookshop and Cafe

※7/18(日)・23(金)~26(月)は休
※7/19(月)は19時まで臨時営業 最終日は17時まで。

13日から、この春に制作したアートブック"At NIGHT"の原画展が大阪のCaloに。
"At NIGHT"の原画とブックのページとを見比べていただく展示。
その原画としての絵は5月のmanomanoでの展示のときにありがたくも何点かが売れてしまったので、その連作として4点ほど新たな絵を描いてみた。(それを口実にまた"At NIGHT"の世界を歩きたかっただけかも)

しかし、今展の主役はなんといってもアートブック。
端正な手作業による美しい仕上がりの本"At NIGHT"を、ぜひ手に取っていただきたい。


なお本展と直接関係はないが、会期中の23 24日にCaloでわたしも過去にたいへんお世話になった製本家の都筑晶絵さんの製本WSが行われるようだ。
世界各地の現場で製本の仕事をされている都筑さんの教室だ。とても得難い時間になると思う。
こちらもぜひどうぞ。

協力:studio manomano

7/09/2021

雨花のけもの


演劇のフライヤーの絵を描かせていただいた。

少しだけ台本を読ませてもらったけれど、すごく引き込まれた。
8月の本番はどんな舞台になるのだろう?
「さいたまネクスト・シアター」の最終公演。

「雨花のけもの」

会場 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
作: 細川洋平  演出: 岩松 了
出演: さいたまネクスト・シアター


7/06/2021

6.Juillet

 

Williamsburgの絵の具は一度使ってしまうと最後、この絵の具でないと、というフェイバリットがいくつか出来てしまい、切らしてしまったら悲しい…と思いきや、机や引き出しには他にもあれこれ百花繚乱のメーカーのチューブが散らばってあるのであって、そんな些事も忘れて描き続けるのだけど、ふとした時にやっぱりあの色のチューブがあったらなあ、と絵を描いてる最中でなく電車の中や食事中に思うこともあったりで…。
色にこだわりのない自分にもほんの少しだけならあるのかと。
久しぶりにBlickArtで注文してみた。
色によってはすごい値段のもあるけどわたしが必要なのは安価なほうの色だ。
Williamsburgはアメリカの絵の具メーカー(golden社)で日本には入っておらず、どこかの画材店が置いてくれると嬉しいのだが。

6/22/2021

22.Juin




今が旬だ!
 

6/12/2021

12.juin


広島・本通りの「傘のフクマ」さんと一緒にオリジナルの傘を作っている。
先日試作品が届いたところ。
手に持ってみると予想外に軽い。しかしもちろんつくりはしっかり。
日傘としても使えるだろうが、撥水コーティングが施され、雨傘としてつくられている。

雨の日の外出に持ち歩くことのできるカラッとしたプライベート空間のような傘にしたくて、中庭をイメージした絵を描いた。
この傘に名前をつけてあげるとしたら、、

"Tiny Courtyard"

7月、8月には出来る?お店をのぞいてみてほしい。




6/07/2021

7.Juin



『見えないものを探す旅    旅と能と古典』

安田登:著
矢萩多聞:装丁
亜紀書房 刊 2021年6月2日


カバーの絵を描かせていただいた。
日常を表すモチーフを探すうち、草花はどうかと思いつき、摘んできた蓬を描いた。
絵を装丁家に送ると驚きのトリミングに。
気配に満ちた空間。これはかっこいい。



5/26/2021

26.Mai

いつもお世話になっている、広島の84(はちよん)での企画展 MAROBAYA展のお知らせ用にシャツの絵を描かせていただいた。こちら

あ、もう会期中だ…。ごめんなさい。

たのまれて、MAROBAYAのシャツの絵、いいねー、と言いながら描き始めたものも、なかなか感じが出なくて…そうだ、原寸で描かなければこのシャツの良さが出ないのだ、と気づき、大きなロール紙を取り出した。滅多に描かないとても大きな絵になった。84さんが会場で飾って下さっているかも?

服にそんなにこだわりのないわたしだが、MAROBAYAのシャツは、ほぼユニホーム並みの頻度で着ている。

一度着てみると気持ちがしゃんとするので、誰もがその良さを感じるだろう。


5/23/2021

23.Mai




というわけで、名古屋にて、新しい本に対面。

本になると、その本の内側だけの独特な時間が生まれる。
時間は感知することの集合体で、つまり空間だから、みえないけれど本当には何らかの場所であるかもしれない。
だからその「立ち止まり感」を自分で味わいたくて、小さな広場の絵や何でもない通りとか街角を描くのが好きで、この本にもそんな絵がぽつぽつと入ってる。

本になると全てのページが不思議な関連を持ち始めるので、その場所をイメージする力がより色濃くあらわれてくる。
でも、理屈でどうこう言っても、やっぱり完成するまで、誰にもわからない。
それがどんなところなのか。
旅と同じように、新しい本を開くときの、その時間=場所に迷い込む瞬間がたまらない。
この本はとてもいい。

装丁からプリントディレクションまで、大活躍の溝田尚子さんをはじめ、関わってくださった方々の経験と知識がこの一冊に入ってる。

5/20/2021

expo and new book "At NIGHT"




10周年を迎えた名古屋のstudio manomanoで個展 "At NIGHT"
2021.5/21 fri - 5/30 sun   12:00-19:00

会期中の休み5/27   
〒464-0850 名古屋市千種区今池1丁目18-20 伊藤ビル1F

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今回の主役はアートブック「At NIGHT」。
ブルーとブラックを基調にこんなに?というくらい暗めにした。
その本自体が夜のオブジェのようなものにしたいというのが最初に考えたことだった。

その暗い画集の中でも、かなりダークな真夜中ここに極まれりという数ページがあって、どうなってるかなあ。
先月印刷作業を見学させてもらった。目視と勘と、手作業の部分の多いリソグラフ印刷、大変そうだった。
でも色調と版のバランス(二色刷りなのである)がばっちりはまると、素晴らしい印刷物になって息をのんだ。
これが本になるってすごいことだ。

わたくし拙者、22日と23日の土日は在マノ予定。
リソグラフ・プリントの「At NIGHT」とその元になった一連の絵、表現の二つのあらわれを楽しんでいただけたら。







5/17/2021

17.Mai



厚生労働省のホームページ

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_18527.html

ここの上から6番目のリンクに、現時点での「お注射」の副作用がまとめられている。
「お注射」を心待ちにし、その順番になれば大歓迎するに違いない母や叔母にこのページを印刷して見せるつもりだ。

わたしが何を言っても見せても情報が怪しいから、と言われることも多いので、天下の厚生労働省の傘下にこのページがあるのはありがたい。

200ページあるので2000円のコピー代か。
それを紙の束にして2000円かかっちゃったぜー、と言いながら蛍光ペンとセットにして渡す。

mRNAワクチンの安全性は確立されていないこと、動物実験の失敗のこと、その動物たちの死因となったADEのこと、最近になってわかってきたスパイクタンパクの逆効果的な振る舞いの機序も伝える。

アメリカでは歴史上の過去20年のワ…お注射全ての死者の合計(4182人)をこの数ヶ月のコロナお注射による死者が上回ったことも伝える。

次に予想されることとして、「お注射をうたないと世間へのご迷惑になるから」という会話に、多分なってしまうのだけど、、

お注射をうったケースの方が何故か感染が広がっているという事実があるわけで、その方々にあるデータを集める。例えば、このYouさんという方のnoteがよくまとまっている。https://note.com/you3_jp/n/nf9f0d31e0edb

そして一番大切なこと、それでもお注射を打つワ、と言われたらどうするか。
うーん。こういった自己犠牲よりも、まず自分が健康に生きていくことが一番の世の中のためであるという基本を確認するしかない。

人はそれぞれの目的を持ち、生まれて死ぬまでの美しい旅路を歩いているのだから、その旅路に薬害のような不慮の中断はあってはならないと思っている。

もしその基本が外圧によって否定されるなら、今という時代は、結局戦争の時に学んだことをすっかり忘れて、退化してしまった社会状態である。そうみなされても仕方がない。


テレビや新聞の専門家とか、世間の社会正義派(?)の発言のみだと、この件に関してはなんとも一方的に感じてしまう。
感染症や同調圧力による恐怖が判断を狂わせていると思う。
母や叔母には色々とみてもらって、その上で、自分で判断していただこうと思っている。

5/04/2021

4.Mai

 


今日は萩市に来ている。
ランテルナムジカの久々の公演「カンパネーロ」。

4/28/2021

Live stream archive

 NyaboSsebo & nakaban - November and Cadencia

Nyabo Sseboの「11月とCadencia」
先日の東京・代々木上原 hako galleryでのLiveから。
この動画はほんのさわりであり、完全版は74分!

有料版だけど映像のプロフェッショナルによる特別な映像でライブを楽しめる。
わたしのドローイングを上から撮った映像も。
5/1までの限定公開。





4/27/2021

27. Avril

5月は名古屋 studio manomanoで個展「At NIGHT」。
アートブックと絵、二つの形となる特別な展覧会。
わたしが密かにコラボレーションを熱望していたデザイナー溝田尚子さん。
彼女の手により、みるみる形になっていくこのアートブックは、タイトルの通り「夜」をテーマにしたもの。ブルー、暗い、真夜中、が好きなわたしの本の中でもなかなかの深度の夜を閉じ込めた一冊となりそう。リソグラフという印刷機で限定部数で印刷される。
studio manomano10周年特別企画。

4/13/2021

Lanternamuzica カンパネーロ・鐘を打ち鳴らす人





ランテルナムジカ復活!

楽しみ楽しみ。
福岡のギャラリー望雲さんによる、萩でのイベント。
山口県萩市内にある200年前の町家、俥宿天十平での望雲・移動ギャラリー展覧会を中心にライブ、超うまいレストランMICOURIERの食事会、超かっこいいイチリヅカシューズの靴のオーダー会などのイベント盛りだくさん。
ライブ部門はランテルナムジカの他、baobabの出演の日 (5/2)も。

5/4(火) 19時開演(18時半開場) 前売¥3000/当日¥3500


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