12/15/2020

15. Décembre



objet


その響きそのものに合理的思考からの逃走をかきたてるようなアート原点のパンク感があるようで気になって仕方がない。寺村さんの本によればsujet(主観)の反対がobjet。そして「投げる」というラテン語。

このまえ海に向かって投げた石を思い出す。

objetは解釈とは交わらない地点にあるものであって、卑近な例で言えば商業主義や馴れ合いとは無縁の凛とした部分。何者をもよせつけないのだ。 超かっこいい。

わたしもまたモノが好きで好きであれこれ集めてしまうのだが、その理由はフェティシュなことなのか将来のための資料としてなのか、もはやわからない。けれども他ならぬ自分自身のモノとの付き合い方の軽薄化に問題を感じていて(つい自分が「所有」していると思ってしまい、見る目を曇らせてしまうのだ)モノとの付き合い方を考え直したいと悩んでいる。モノに対しては本来のそれと対峙する緊張感がほしい。でもどうすればよいのか、絡まる解釈の糸は簡単に断ち切れないほどに強いもので、答えはなかなか見つからない。

今、objetとはどういうことかを考えることは、モノとの関わりの行き詰まり感の突破口になるのではないだろうか。

12/14/2020

「オブジェの店」


寺村摩耶子さんの新刊「オブジェの店」。
光栄にも表紙の絵を担当させて頂いた。
刊:青土社 装丁:中島かほる

瀧口修造が構想し、M.デュシャンが命名、看板まで書いたという幻の「オブジェの店」。
著者の寺村さんはその幻の店の存在を常に心の片隅に置いて多くの文章の仕事をなされた。それがこうして一冊の書物に。

表紙絵、みなさまのご想像の通り(?)多いに楽しんで描けた。

装丁の中島かほるさんは澁澤龍彦の本などを手掛けられた装丁家。
先日仕事場にお電話をいただいた。
「この絵は…背景の花火から推察して19世紀のウィーンのプラッツ(広場)だと思うのですが、いかがですか」と。
さて、わたしはどう答えたのだったか思い出せない。
緊張してしまい頭真っ白だったので。
でも、ウィーンの花火!という言葉は贈り物のようだった。

本書によるとオブジェの概念は物だけでなくこうした言葉にも適応されるのだという、思わず嬉しくなる指摘だ。これは世界が広がる。みなさまもぜひどうぞ。

12/13/2020

「Dean & Deluca Magazine 2nd issue」



表紙の絵を担当させて頂いた。

Dean & Delucaの前身は"The cheese store"というニューヨークのSoHoにあったチーズ店(1973)である。
一枚の写真を手元に、当時の空気を想像しながら描いた。

新聞のようなページ、写真集のようなページ、D&Dクックブックからのオリジナルレシピ。
洒落た紙面なのでパラパラめくるだけでいい気分に。
内容のさわりと取扱書店情報はこちら→

編集長はもちろん松浦弥太郎さんで、アートディレクターは米山奈津子さん。



12/11/2020

「日曜日は青い蜥蜴」


恩田陸さんの新刊エッセイ集「日曜日は青い蜥蜴」(筑摩書房)。

表紙の絵を担当させて頂いた。
夢と現実の間。真夜中の小さな地図上の一角に青いとかげ。
いろいろ歪んで「カリガリ博士(わかる?)」みたいに。自分でも気に入っている絵。

オビにも描かれているけれど、恩田陸さんの前回のエッセイ「土曜日は灰色の馬」(晶文社・文庫版はちくま文庫)から10年。
同じ様式で関わらせていただけたことが嬉しい。
デザイナーは共に柳川貴代さん。

恩田陸さんの思考(と嗜好)の一端に触れることができる一冊。
わたしは特に読書日記を読むのが好き。

12/07/2020

Lost and Found


油彩を描く過程で避けては通れないのが「塗りつぶし」。

せっかく描いた建物やお花を塗りつぶす。ひとの顔を塗りつぶす。心の中で始めの動機を強く保とうと思っていても、それも次々と塗りつぶされていく。手が勝手に動くから。

そのうえに現れているのは不在性だ。当たり前だけど、塗りつぶしとは、不要では、なんか好きくない、と感じたものを次々と埋めて葬り去る行為なのだから。

ローマの遺跡のように埋もれ、失われた時間の層は消えてしまうのだろうか。

もちろんそれは見えなくなるけれど、消えてしまうわけでは無い。あるいは埋もれきれずに客土とわずかに混じり合う。間違いなく過去は地中から情報を発している。

絵を見る人は、それを無意識に感じとる。眠っていたダウジングロッドのような感覚を呼び覚まして。だから自分を含めて、見る人をなめてかかるのはよくないと言い聞かせる。というか見るひとの方が遥かに創造的で、すごいのだ。

描いていたものがそうして次々と埋もれていき、新しい印象が現れてくる。そこに不思議な移動感覚があり、これは、なんなのだろうという気持ちになる。失われた層の上に枯れ葉が降り積もる。古層は少しづつ遠ざかりながら、まさに「遠ざかり」の情報を伝えてくる。その遠ざかり感を受信し、変わらぬものなんて無いんだなあ、と思うときにポエジーと呼ばれるものがいつの間にかそこにあるのではないだろうか。

そのようなことを思って、Lost and Foundという題をつけた。

でも表向きは「遺失物管理所」という意味のようでw 

その「真面目か!」を茶化してくれるところも気に入ったのだ。


展覧会は終わった。

URESICAの展示に来て絵に出会ってくださったみなさま、ありがとうございました。

12/06/2020

6. Décembre



もうすぐ5周年なのだとか。
えー。
時間が経つのって早い。

というわけで、すっかり界隈に馴染んでいる“Title”。


 

12/01/2020

「だまされ屋さん」再び!(原画展のお知らせ)





いま、星野智幸さんの「だまされ屋さん」が檸檬色の単行本になって本屋さんに並んでいる。
読売新聞の連載だった作品で、感動の最終回から半年を経て、このたび単行本版でも光栄なことに絵を描かせていただいたのだ。中央公論新社刊。

本書の原画展がもうすぐ、東京の荻窪のTitleで。 (12月4日から - 12月24日まで)

原画はたったの1枚。
その代わり、新聞に掲載された絵を100枚くらい。

100が1になったことを感じて欲しい…

…とおかしな決め台詞でお知らせを終えよう、と思ったけど、実は版画を展示するということになって、新作を急遽いくつか作ったのだった。
折角なので、「だまされ屋さん」に出てくる団地のあるような郊外を意識して制作した。
郊外といえば、以前制作した小さな本、suburban portraits という本を思い出したし、フェデリコ・モンポウの郊外を主題にした静かなピアノ曲なども…(あるよなあと言いながらCDが無くなってしまい聴けていない)そしてわたしが住んでいる自宅も郊外。旅をしていて、ついバスを終点まで乗ってしまい困ってしまうのも郊外。
郊外のアンビエンスと版画はとても合う。

本屋Titleは今、油彩を展示していただいている西荻窪のURESICAとも近いので、もしかしたら両方を見ていただけるかも。

さて、ブログをアップしたら版画を額に入れたので今から東京に送ろう。
まだインクの香りがそこらに漂っている。






11/29/2020

29. Novembre


 


朝もはよから広島市こども図書館へ。

じゃあコップの水を描いてみよう、と簡単な導入で絵を描いてもらった。

驚くべきことに満席だった。会議室は蛍光灯だったので消して窓を開けた。

こどもたちのリアクションはマスクのせいか無反応のように見えたけど、出来上がった絵はどれもとてもよかった。

(こども図書館は超近所なので例外として、基本的に教室やワークショップはできないので、ご依頼などは全てお断りしてます ごめんなさい)

11/27/2020

26. Novembre

 

描きかけの絵


11/25/2020

Lost and Found





URESICAでの展覧会が明日から。
すべて新作で構成した。ぜひどうぞ。

自分が見たい風景を描くんだ、という気持ちがまず、ある。
けれども、実は、自分が見たい眺めとは何か、の確たる答えはなく、けっこう愕然とする。
旅の本の表紙をかざるような絶景を描いても結局満足できないのだろうし、いつも探し歩いているような感覚があり、ひとつの素敵な場所への留まりでなくて、結局は「移動」そのものにその好きなものは何かという秘密があるのではないかと思っている。移動はLostとFoundの繰り返しだから。旅もそうだし、絵を描くこともそう。「移動」は自分はこれが好き、嫌いと軽々しく決めつけさせない。このことは自分はこう描きたいと思っていても、絵がそうさせてくれないのと絶対に関係がある。絵が声を持ち、わたしにそこに留まるな、と警告しているかのように…