2/16/2025

16. Février

北極の冷たい空気が天体の回転の遠心力であふれて、ときおり日本の上にかかる。
それで冬がさらに冷えているようだ。
キッチンのオリーブオイルもすっかり固まってしまった。
他人事のようだが、この時期、制作する絵も灰色のものが多い。
自分には珍しくある仕事で映像を制作している。

梅はまだ咲かない。去年より1ヶ月以上遅れている。
ミツバチが何匹か寒さに脱落して死んでいる。
それでも巣箱の中で丸く塊を作って暖めあっている。けなげだ。
この丸い塊全体が本当に一つの生命体のようである。

年が明けてから果樹をたくさん植えた。
洋梨、プルーン、ネクタリン、アーモンドなど。
果樹は超密植になってしまった。
ほぼバラ科なので、虫にやられたり病気になってしまうかもしれない。
南国系果樹のチェリモヤやロンガン、アセロラは面白そうだから植えてみたが寒さで枯れてしまう。レモンも先端部がきびしい。
香りコニファーのブルーアイスを数本植えた。ブルーアイスは何本あってもいい。

この庭、去年は棘のある野苺を取り除いていたが、今年は
つる日日草を抜いている。つる植物はぐるぐる巻きにすると枯れる。
逆に巻かないと陽に晒しても青いままでずうっと枯れない。これが不思議だ。

2/08/2025

8. Février



ここ数日の雪で電車やバスが停まってしまう。
寒いし、あれほど好きだった雪が憎くなる。(しばらく仕事場に行けていない)
でも立ち止まってみると、やっぱり雪や背景にひろがるブルーグレーは趣があって、寒さの手のかじかみなども案外悪くない。

目的やコストだけを見て生きることは幸せな生ではない。
そのことは思い出すには空白の時間を趣と捉え、かつ楽しむ余裕が必要だ。
しかし、そのためには多くの鍛錬や条件が要求される。

今いるこの世界のルールは、人々が趣を楽しむということをできないようにデザインされていると断言できる。システム側から見ればひとは単なる導電装置の中の粒子であり、ロボットや部品ですらない。

表現者としての自分を観察すると、政治情勢に無関心なふりをしながら、そのシステムでいいのか、とか、こういう心の扱いは良くないのではないか、とその作品に精一杯の余白を流し込み、遠回しな形で「過程」にある趣の大切さを世間に伝えているように見える。この状態で足踏みしていることが悔しくて、でもその先は見えてこない。

でも、まずはこの状態がわかっているかどうかが大切で、そうでもなければ、飼い慣らされているまま、そのまま終わってしまう感が半端ない。

2/04/2025

3. Février

 

マチエールは漆喰。以前より下地に何かを使うことが増えた。
庭の土や灰も使うことがある。
ストーブから取り出した炭でドローイングをするのも面白い。
表面に凹凸があると何もない状態より描き始めやすい。

この冬の光源の中で捉えておきたい気配がある。
まだ春は来てほしくない。