少しだけ秋になったのだろうか?まだまだすごく暑いけど、息を潜めるように盛夏のあいだ、成長を停めていた果樹たちが急に伸び始めた。柑橘、りんご、いちじく、梨、桃。どの木もひょろひょろで、わたしの糖の自給計画はまだまだ先が遠い。でもいくつかの木は初心者への情けのように果を実らせてくれた。
葡萄、葡萄がきれいだった。ベリーAという品種の葡萄の熟す手前の緑から紫に変化していく色、一粒毎にその色の変化の進行具合が違うので、房という集合体を眺めるとすごい。こんなにきれいなものなのかと。来年は絵に描かなくては。桃や梨は店で売られているものの4分の3ほどのサイズで実ってくれた。味もまあまあで、素人でもそれなりに実らせることはできるのだということがわかった。
ミツバチは個体数を増やして巣箱と外界を行ったり来たりしている。鏡を用いて巣箱をのぞいてみると大きなメロンパンみたいなまだまだ初期段階の巣の形が見えた。ミツバチは巣箱に衝突したり水飲み場で溺れたりする。完璧でない動きが心をつかんでくる。
絵本に出てくるようなオークの葉っぱの形が好きで、その木が入手できるかどうかを調べたが、日本には苗が無いようで、思い切って個人輸入した。ピレネーオークという木。検疫証明書と共に届いた木はほとんど枯れているような状態だったが、丁寧めに鉢に植えて日陰で養生管理していると葉っぱが出てきた。オリンピックで世の中が盛り上がっていた時、わたしは庭でガッツポーズしていた。
ハーブ類が伸びまくっているせいか、パトロール猫やたぬきが来なくなったのでさみしい。しかし何故か家の中に入っていることはあるようだ。夜中に天井の上からドタバタと音がして、どきりとさせられる。真っ暗な二階はリフォームの手をつけていないので、古い時代のままである。風通しのためにその二階の窓を開けっぱなしにしているからいろいろな動物が遊びに来ているのか。夜中に二階への階段を見上げると真っ暗で深淵に吸い込まれそうだ。築年不詳の建物なのである。もしあの音が心霊現象だったらどうかというと、霊でも妖怪でもこのわたしがとって食う。そんな図太い神経のひとになってしまった。
安浦の町内のある古い建物の薄暗い屋内(具体的には南薫造のアトリエ)のすりガラスに外の景色が映っていた。暗い部屋だったが雨戸に穴が開いていたので映像がすりガラスに映った。これがカメラオブスキュラかと思った。しばらくしてふとそのときのことを思い出して、自分で再現してみた。すると小さな箱のすりガラスに庭の風景が上下逆に映し出された。去っていく夏の記憶のような画像*。
その様子を見て、ある話を思い出した。人間は生まれてすぐの状態では、視界が上下逆に見えているらしい。しかし、しばらくすると上下をさらに逆に、つまり正しい(?)状態に脳が見たものを変換するようになるのだという。
その変換プログラムを実行する神経的、あるいは心的回路はどんどん太くなり、もはや自分の眼が本当は世界を上下反対に見ているなんて信じられない、という状態になってしまうというのである。本当の世界って本当はどうなんだろうと思わせる話である。
*写真の画像は上下を反転させてある。