7/16/2020

16. Juillet



"O Sol"


久しぶりのおひさま。
こんなにありがたいとは思わなかった。

この絵は一年くらい決まらなかった絵で、塗り跡もでこぼこ。
今日、手前の明るい植物を描き足して一旦の完成ということに。

最近、たくさんの植物を育て始めたので日光をとても意識している。
陽に透かして見える葉っぱは美しい。

人にもこの光は必要だ。
外に出て100000 lxの光を浴びよう。



7/07/2020

7. Juillet


Le musée (ébauche)
Le musée (ébauche)

6/28/2020

風景の絵は果てしなく続く連作かも



caloでの展覧会の絵のエピソードを少しづつ店主の石川さんに送っている。
描きながら思ったことと、自分でその絵をあとから眺めて思ったこと、などいろいろと。


風景の絵って長い長い連作なので、ひとつの絵に描かれた場所は他のすべての絵の場所に繋がっている。
それは私が生きて描いている限り拡張されていく。
建物は陽に灼けて、木は育っていく。
一枚の絵を持っている人はずっと楽しめるかも。
行ったり来たりできるのだ。



6/17/2020

アダンソニアの包装紙





photo: Adansonia

福岡の糸島にある海辺のレストラン「アダンソニアAdansonia」のための包装紙。
la notte と il giornoの2種。

ところどころに2種共通の登場人物がちょこちょこ隠れていて、探したり楽しんでいただけたら。
これは店主の前田さんのアイデアなのである。

写真はイベントに出品されたランチボックスのようだが、お菓子の包みなどに今後使用されるのだと思う。
と書いていたら追加の写真が届いた。


Wow... おいしそ。
これはお菓子セットだね。
福岡の人は美味しいものを食べ過ぎだと思う。笑


6/14/2020

online exhibition





at the website of calo bookshop.
Days until Saturday 4. July 2020.

Passion for painting.

大阪で行われているcaloでの展覧会をonlineで。
会期と同時に終了。(~7/4)



6/10/2020

10.Juin




Caloでの展覧会がスタート。http://www.calobookshop.com

このころはお客さまも少ないと思われるので静かな時間を楽しんでいただけたら。
本展示はもともと予定されていたとはいえ、パンデミック第二波の到来する前のオアシスのような貴重な時期にあたり、こうして開催できた。幸運としか言いようがない。

今は華のあるイベントはできないが、もともとわたしは展覧会ではただ絵を見て欲しいと考えている。
おいしいフードのあるイベントもいらないし、音楽のライブもいらない。
ワークショップも行わない方が良いなと思っている。
いろいろ考えてくださるギャラリーには申し訳ないとは思うがやっぱりこう思ってしまう。

静かな感じでとつい言ってしまうのは何もお高く気取っている雰囲気を要求しているわけではなく、絵を制作している現場の時間感覚を少しでも会場に持ち込もうと考えているためである。(ここは場を持っておられるギャラリーとわたしの価値観のぶつかりどころだろう。笑)

「マルメロの陽光」という映画があって、おそろしく退屈な映画なのだが、その絵画の時間とも呼べるべきものをビクトル・エリセ監督は意識的にとらえていた。この速い時代になってもわたしはやっぱりこの時間の流れ方がいい。もしかしたらコロナの件で立ち止まる時間ができて、こっちの方が好きだということに気づいた人もいらっしゃるかもしれない。

絵を描いてしまうと愉しいもので一種の孤独中毒になってしまう。
友人は画材とオブジェと光線だけ。
でも逆説的であるが、絵を通して人々とむしろありありと出会うために描いているのかもしれない。

6/06/2020

「仮額」






今度の展覧会もいつものようにぎりぎりの宅急便に間に合った。
と、いいつつ大きなの二つがまだ未完成だ。
これらは手持ちでcaloに運ぶ。

展示制作の終盤にもなると画家というより額縁屋さんになる。
写真の絵のこの額装方法のことをわたしは「仮額」と呼んでいる。
画家が自分のアトリエにかけておく、制作途中に眺めるための仮額装。
いや、「額装」とはいえないほどのシンプルさであり、要は細切れの板を側面に貼ってあるだけのものだ。

「仮額」は古今の作家のアトリエの写真集にも見られる。
なかなか素敵なので、こういうのってどこで売っているのだ?と調べたけれど、そんなの売っているはずはない。板を買えばいいだけだ。
わたしは粗末ながらも自由な感じのこの仕立て方が好きで、2月の「さかむら」での展示でも使った。

周囲の板は釘に少しの接着剤をつけて刺して留めてあるだけにしてある。
なので描き直したいなと思ってもすぐに外せる。
絵を買った人でも外して額に入れたいなと考える人もいるかもしれないし。

そういえば阿部海太さんもこの額で展示していた。やっぱりこれだよね、と盛り上がった。
そしてこの額装方法は思わぬ利点もあった。この板の出っ張りのおかげで油彩の絵具が乾いていない状態でも運びやすいのだ。なので例えば野外で絵を描くときにも良いだろう。まあ、ただし板を打ち付けてしまうと隅っこのところは塗りにくいけれど。

さて、今回のcaloの展示はすべてこの方法で。
古材のものと、新材の2種を試している。
新材の方は少し浮いているけれど年月と共に木も馴染んでゆくだろう、と希望的解釈。

明日は二枚の絵といっしょに新幹線に乗る。


6/02/2020

Invitation!



nakaban Solo exhibition 2020

大阪のcalo bookshop and cafeでの個展。6/9-7/4
550-0002大阪市西区江戸堀1-8-24 若狭ビル5階 12:00~19:00(土曜は~18:00) 毎週日・月曜休

油彩の近作をCaloのあの明るい部屋に飾らせていただく。

気軽にどうぞ。
大阪の地下鉄の肥後橋駅から徒歩数分、淀屋橋の駅からも近い。
展覧会の看板を確認し、エレベータを登り、ちょっと重たい鉄製のドアをぐぐっと開ける。
素晴らしい書店。

5/31/2020

31.Mai





L'ancienne serre est restée intacte.

町外れのこの一角の、小さな階段を降りた中庭に、旧い市の共同温室があった
苔に覆われた木々に見守られ、安心しきったかのようにその温室は眠り続けていた
(通行人は誰もその温室には興味を示さないで、チラッと見ただけでそこを通り過ぎる…)

その旧さにもかかわらず、温室の硝子はひとつも割れていなかった
つまりそこだけは雹にも降られることはなかったし そこに石を投じようとする者もいなかった

擬似的な熱帯の夜気のひそかな蓄積 それと外部の空気とのあきらかな断絶が
その温室にどこか触れ難い特別な印象を与えていた


5/29/2020

29.Mai


マスクを着けるとわたしは注意散漫になるようで、十字路で二度ほど車にはねられそうになってしまった。
それにマスクをしたまま料理や工作をしていて刃物で手を切りそうになったこともまた一度や二度ではない。

マスク着用という口鼻塞ぎが五感の他の部分に制限的な影響を与えるのは興味深い。
しかしわたしにとってはそういう微細なことであれど感覚の制限は一大事なのである。
浮かぶアイデアも捕まえられなくなるのである。

なので、マスクをつけない暮らし。
その方向で生きていく可能性という選択肢を採ることを視野に据えることもやぶさかではないのではないかと考えている。
まあシンプルに言えば、自分の吐く二酸化炭素をあまり吸いたくないだけかもしれない。だけど、それによって感覚の疎外が起こるのはやはり大いに予想できることである。社会は個人に生命にとっての呼吸という権利の重大問題をコンプライアンスとして押し付けてしまって良いのだろうか。そのような疑問が街を行き交う人びとを見ながらふつふつと浮かんでくる。
繰り返すがマスクは五感に制限を与えると思う。さらに言えばそれは直感、霊感にも影響を与える。宇宙の神秘、聖なる呼吸の流れをマスクというものが堰き止めるからだ。知らんけど。

わたしは才能の枯渇をマスクのせいにしたくない。アイデアというのは散歩したり買い物したり部屋の外を歩いているときに降りてくるものなんである。

とはいえ、このご時世でこのような態度でいるのはひとさまの視線が痛いものである。
このままでは都市で生きにくくなりそうだ。
それも時代の変化で良い機会かもしれず、仕事場を少し都市部から離れたところに引っ越してみようかしら…と夢想している。