


福岡・望雲での展示も迫って来た。
先月、「ランテルナムジカ」で福岡を訪れた際、空き時間を縫って、わずか一時間、ギャラリー/ショップを先日見学させて頂いたのだが、とても感銘を受けた。
マンションの中、落ち着いた、でもアンティークではなく現代作家の作品が選ばれて並び、また西洋と言うよりは東洋の香り漂う実にいい感じの雰囲気だった。
私としてはずいぶん異色の展示となるなあと思う。
もちろんオーナーである鶴田さんは、無理にこの空間に合わせなくて良い、と言ってくださっている。
しかしこちらとしては、初めてのその場所に刺激され、こういうのは合うかな、どうかなと頭をひねるのが楽しい。
作品の方は、やはり少し古い語法に身を沈めてみるのがいいと思った。
今、古い語法のなかに未知の新しさを感じている。
その理由は私の気分の変化である。
古くて、美しく、遠いもの。
おもしろいのである。
古い物が心地よく感じる事には埋没したく無いという性格である。
それは古い物の蓄積した情報量の多さに眼球が喜んでいるだけである。
でもやっぱりおもしろいので負けてしまうのである。
今取りかかっている絵のヒントとなっているメキシコのレタブロ。
すこし記憶が遠くなってしまったのだが、昔なんども首をかしげながら(笑)観たパラジャーノフの映画。
そして特記すべきは最近、東京のいくつかの空間に展示され、本も出て、まさに2010年に突然蘇ったようなロベール=クートラスのカードたち。
ほかにもいろいろ無限にゴロゴロある。古くて、美しく、遠いもの。
でも今まで私はこういうものとどうつきあって来ただろう。
こんなものがあるのか、珍しい!と驚き、囲い込み、消費する。とそんな感じではなかったか。
でも、もはやそういう時代ではない。特に遠い世界の、知らないものに出会った時に、驚きときめき感動するだろうけど、それはいい事だけど、オリエンタリズム的な文化開拓(簒奪)者の視点であってはいけない、と肝に命じたい。
繰り返して、もはやそういう時代ではない。
大事な事は、それらは直ぐとなりにあるもの、として捉える事であり、なじみの人物の「顔」の美しさを新たに見つめ直すように、そのもののポエジーに共感する事なのだとおもう。それがほんとうの理解なのだと思う(思いたい)。
そんな心でものをみたいし絵を描きたい。
つまりこれ逆に言えば、新しく、美しくなく、近いもの、例えば100円ショップの商品からもポエジーをくみ取れる様になるべきいうことか。
うーむ自信ない。
なんか話がずれて来た。
追記 展示の情報を貼っておきます。
完璧なDMだけどまだ手直しがあるらしい。こだわり。
後日詳しく書きます。
