3/19/2024

「ネズネズのおえかき」

 


絵本「ネズネズのおえかき」が新装版で復刊。(ぶんけい=文溪堂刊)

とても可愛い一冊に仕立てていただいた。デザインは佐野裕哉さんの手によるもの。
この絵本を復刊してくださったのはトムズボックス土井さん、ぶんけいの妹尾さん。
心のこもったものづくりの過程だった。ほんとうにありがとうございます。

本書のオリジナルは学研から2007年に刊行されていたもの。
評判が良かった絵本で、大切に読んでくださっていた一冊がぼろぼろになったので欲しいと問い合わせをいただいたこともあった。
いま2024年の子どもたちにも読んでもらいたい。
子どもたちの絵心がさらににょきにょき育つかも。

というか、わたし、この絵本のページをしばしめくって、忘れていた初心を思い出した。
絵の中に入っておべんとうを食べなくては。

発売は26日のようで、来週から書店に並ぶのではと思う。

3/17/2024

17. Mars

 


twililightにて。
展覧会 "Recent Touches" は4月1日まで。
20点ほどの静物画のシリーズを飾っていただいている。
大崎清夏さんの新刊「私運転日記」もとてもいい一冊

画家の個展によく使われる Recent Worksと書く代わりにTouchesとした。
こちらの方がよりひろがりがあるのではないかと。
ただ触れた、日々に触れていたとした方が意図から自由になれる気がする。

もちろん絵に意図は必要だが、相手を画像で魅了したいという意図ではなく、あるはずがないと笑われてしまうかもしれないが、一種、響きや香りのようなものを感じて楽しんでもらえたら。

3/15/2024

15.Mars

 

4月のcaloでの個展に出す静物画。
描きかけ。とはいえ、あとは柑橘の部分を修正する程度。





3/11/2024

11. Mars



さて、twililightで展示が始まったので東京に行ってきた。
今回もまた嬉しかった思い出が走馬灯状態である。

twililight。
パソコンと本棚を静かに往復する熊谷さん。
あれもこれもすごく頑張っているレイコさん。
大崎清夏さんの「私運転日記」が出来上がった。

柴田元幸さんの帽子。
スチュアート・ダイベックの「ライツ」のポスター。(注: 最高)
ライブ中に柴田さんが語った「スロー・ホラー」について。
ニコラのいちごの料理。
手違いで宿を取れておらず、深夜の居酒屋からの、山手線3周。
海太郎さんが弾いた珠洲の民謡。
アコーディオンとグロッケン、クラリネット。
3月の雪。
旧友との再会。
大崎さんの机がtwililightにできた。
飾った絵がお店に馴染んでいた。

大崎さんの「私運転日記」の中で、彼女がある先人の詩人の墓に呼びかける場面があり、それを読みながら、わたしは驚いた。
これほどの覚悟で彼女は言葉の書いているのか。

わたしの今回の連作は、その読後感もさめやらぬうちに描いたものである。
だから、大崎さんのあのしごとへの誠実さが何かよいものとなり、おこぼれ的に拙作にも影響しているはずだ。

4月1日まで展示しているので、ぜひご覧いただけたら。

3/04/2024

個展「最近の手触り」at twililight








連作「最近の手触り」は描き終えてあり、クロネコが東京に運んでくれている。

このころ冬が戻ってきて身体がぎゅっと固くなっている。
木を描きながら、木目の線の発生ってそういうことなんだっけ、と思い出した。
絵に描いた他のものたち。それらにも一見、わからないが等しく木目のような年月の証があるはずだ。

さて、絵を飾っていただくtwililightは書店であり、出版も手がけている。
このたび、大崎清夏さんの本が刊行される。
おそれおおくも挿絵を担当させていただいた。

大崎清夏「私運転日記」

大崎さんの文章(日記)をいち早く拝読、絵をたくさん描いた。
最終的に選んだその絵は少し変わった絵で、多分、デザインの横山さんとtwililightに迷惑をかけてしまった。
でも素敵な装丁の本ができているようだ。
横山さんはすごい。手に取るのが楽しみ。

改めて展示とイベントの情報を書きます。ぜひ来てください。

nakaban expo “最近の手触り Recent Touches" 

会期:2024年3月7日(木)〜4月1日(月)
会場:twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
定休日:火曜、第3水曜 営業時間:12:00〜21:00


3月6日 『物語の手触り』
柴田元幸さんと久しぶりにライブをする。
朗読と絵だけの二人でのライブは2回目。
柴田さんが訳し、朗読する魅力的な短編が盛りだくさん。残席僅か。

『描く、奏でる、ハンドルを握る』
大崎清夏さんと阿部海太郎さんとのライブ。お二人もいろいろ考えてくれているようだけどまだまとまっていない。会場にはピアノもない。少しハラハラする。でもこの三人で作品を作り上げる。満員御礼。


2/26/2024

展覧会ふたつ


春はすぐそこ。
風が強い。刹那の雨ぱらぱら。きらきらと葉雫が輝く。
急に出現したてんとう虫。
あれもこれも、こんなに美しかっただろうか?と思う。

畑を始動させたいがどこを掘っても石である。
アッピア街道でも埋まってるのか。
地面を掘れば日に一つ、いい形の石が見つかる。

さてお知らせ。

東京、三茶のtwililight、そして大阪のCaloで楽しみにしていた個展で絵を飾らせていただく。
どちらの会場もこれまた楽しみなイベントを企画してくださっている。

制作で手いっぱいで、今は会場のホームページに告知にたよります。
またそれぞれ追ってお知らせする予定。

イベントをチェックしてみてほしいです。4649!

nakaban expo “最近の手触り Recent Touches"
2024年3月7日(木)〜4月1日(月)

Calo20周年記念 nakaban個展  "Facing the One"
2024年4月9日(火)~5月4日(土)

2/17/2024

17. Février



すっかりご無沙汰してしまった。

今、新しい展覧会の準備中。
年末年始にたくさんの展覧会を開催していただき、かなりいい目にあったので、こんなにすぐにいいんでしょうか??と躊躇してしまう。
というわけで、続報をそのうち。もうしばしお待ちを。

雑誌「MONKEY vol. 32」に挿絵を採用していただいた。
小山田浩子さんの書き下ろし作品。とても素晴らしいビビッドな短編だった。嬉しかった。


2/06/2024

Field Studies (5)

 


寒さに震えていると、もっと寒い土地からりんごの台木が届いた。
どこに電話しても、在庫は厳しかったが一箇所だけ譲ってくれる農園があった。
素人なので知らなかったが、本当は昨年の秋のうちに頼まなければいけないらしい。

3月になったら10品種の希少りんごの剪定穂を接ぐ予定で、それまで養生。
暖かすぎず、寒すぎず。古畳を分解して巻き付ける。

わたしはもちろんわかっている。
暖地でのしかも素人のりんご栽培は厳しいということを。
でも、こちらでも結構ちゃんと実っているのをあちこちで見てしまった。
5年後においしそうなりんごの写真をupしたい。

1/28/2024

28. Janvier

 




このところ冬が本気を出している。
寒いので暖をとるためなんでも燃やしている。

庭の枝、古畳、不要な家具、amazonの箱、竹など。(特殊なロケットストーブで超高温になる)
六角形のはオガライトという燃料。

市に回収してもらうごみは大幅に減り、包装のプラスチックがほとんどを占めている。

(ストーブは高温でプラスチックも燃えるらしいが、やはり抵抗がある…)

よく考えてみたら、ほぼ、ものを買うとプラスチックが付いてくるという生活だ。

毒入り菓子のグリコ森永事件の前はそうではなかった。犯人は捕まっていないし、不思議な事件だった。



次の日にストーブを開けると灰ができている。

この前まで生き物だったのに、ミネラルになってしまいましたなあ、などと思いながら、お外にばら撒く。

ストーブの調子が、酸素に触れた有機物が灰になり、さらにその灰の粒までも燃えるのでだいぶ量が減ってしまう。

その逆に炭がところどころに残る時もある。それは有機物が酸素と「出逢いはぐれた」不完全燃焼の結果。

この炭で古代人のように絵が描ける。木炭を作るために柳の木も育てている。
柳の枝をアルミホイルで包んで、料理炉の中に入れておけばかくじつに木炭棒ができるはず。

炭は多孔質で微生物の棲家になるので土に混ぜ込んだりすると良いと聞く。

炭は1グラム300平米の表面積を誇る。


1グラム300平米。

1グラム300平米。

1グラム300平米。


信じられないが本当だ。
炭がにおい消しになったり湿気消しになったりするのも当然だ。全部持っていかれる。





1/20/2024

「ダーラナのひ」

 




「ダーラナ」は世界中の先住民をモデルにしている。

先住民は言葉だけが言葉ではなかった。
あらゆるものがコトの葉。歌と物語の紡ぎ糸だった。
今に生きるわたしも、それら万物と会話ができたら…という思いがあった。

わたしたちは生き物とは対話するが、それ以外の存在との会話は一方通行である。
たとえば、わたしが石と会話していたら。あるいは畑の土に手を突っ込んでニヤけていたら、ご近所の噂になる(既になっている?)。
でもそうすることで、わたしの中で何も起こらないわけではない、何かがそこにあるようだ。声が小さくてまだ聴こえないけれど。

わたしたちは石とも木とも、星とも、機械とも、なにより自分自身とも会話をしなくてはいけない。「双方向」であるということを思い出す必要があるのだ。
双方向であって初めて完成品のわたしになる。
版画を彫っていたとき、そう気付いたことを思い出す。

さまざまな出土品を彩っている紋様のように描き、彫り、歌って、踊らなくてはいけない。
これからそのような時代がやってくる。きっと。
「ダーラナのひ」はそのように、万物との会話形式で進められていく絵本だ。

この本を作っていた時期は2020年とかそのころであり、もうかなり昔のことのような気がするが社会はものすごい恐怖にのみこまれていた。
ひとびとは自分の周りを怖がりはじめ、敵視さえし始めた。
そういう状況に心が動じないはずのお年寄りが一番そうなっていたのがショックだった。

マスクは大切な「なにものか」とわたしたちを隔てる壁の象徴だったようにわたしには思えた。
自分の内と外を隔てることはどんなに悲しいことだろう。その重要性に気づかないことはどんなに悲しいことだろう。
わたしはマスク着用のような物理的な部分とは別の息苦しさを味わっていた。
もしわたしが一尾の魚であるならば、ばしゃばしゃと意外な方向から波をたてられ、どこか狭い水域に追いやられるような感じ。

こういう時代は嫌だな、と思ううちに、カウンターとして先ほど書いた万物との対話というテーマに行き着いたのだった。
万物と対話しながら、感覚を研ぎ澄ましながら暮らしていた存在はやはり先住民たちであろう。
リアルに血が繋がっていなくてもいいから、遠い祖先に思いを馳せた。(あるいは未来の子孫がそうなればいいのにと願ってもいる)

「焚き火の絵本」と紹介してもらっている、この本の物語の中で、火を熾(おこ)すための風はダーラナの息である。
ダーラナの呼吸と世界をめぐる風が混ざり合い、炎が燃えさかる。
そこからまた新たな風が生まれる。それを見てダーラナは嬉しくなって踊ってしまう。

息をするということは、自分が風そのものであるということを思い出すということ。
風が生まれる起点になるということ。
それがわたしたちがここにいる、という座標感覚であり、目に映る「風」景の本質なのではないか。

息はただ吸ってはくだけではない。息には音色がある。
自分は意識せずとも、無意識下の部分は外部との会話をフル回転で続けているのだ。
先住民がもう少し意識的にそうしていたように。
その会話のてんまつが息の音色になって風に変わっていく。

自由な先住民にとっての居場所は風に導かれる場所であった。
「ここでやすんでいきなさい」出会った風景が教えてくれた。
とりわけ気のよい場所は風の交差点だった、そのような特別な場所が聖地とされた。

でも、いつしか聖地に先住民はいなくなった。
歴史の常で権力を持つ集団があらわれ、追い出したか、滅ぼしたのだろうと思う。
あるいは自ら去ったか…
わたしは聖地をめぐる旅に憧れがある。でも、その上にあるであろう、どんなに立派な宗教施設をおとずれてもそれを拝むことはない。
職人や祈るひとたちに対して畏敬の念がないわけではないが、わたしは拝まない。あやからない。パリのノートルダム寺院でも出雲大社でも遠慮した。
権威をなるべく排除して、その場所ではるか昔にそこに憩っていたはずの先住民の笑顔と涙を想像していたいと思っている。

というわけでダーラナは野原が似合う子なのだ。
彼女は自分の故郷のかけらに次々と出逢いながら、とんぼと一緒に絵本の中で放浪している。